突然のお別れ。あれ?吸い込まれてるんですけど……


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松寿丸君と暮らしはじめて季節は一巡り、彼との出会いは山が色づくほんの少し前、ちょうど今頃だった。
一年経っても私は相変わらず山犬の子で、松寿丸君の言葉を信じるならば少しも大きくなってはいないらしい。
成長しない犬の子って気持ち悪いんじゃないだろうかと思いつつも彼の態度が変わらないので居座っていたのだけれど、近所の悪がき共に妖の子じゃないかと言われた。
彼らについては松寿丸君についてもムカつく呼び方していたので牙を見せて吠えておいたが、それがいけなかったのか私の妖の子説は近所では有力である。
山に行って傷ついていない小動物をくわえて運んでくるのだから怪しいんで下さいと言わんばかりだっただろう。
ここは居心地が良かったのだけれど、松寿丸君やその養母らしい杉の大方殿が妖に憑かれているのかもしれないなどという噂話は捨て置けない。
現代であれば見た目が成長しないのは遺伝的な問題だろうと考えてもらえるだろうに、この過去のような世界ではまだ妖という不可思議な存在が信じられている。
そして、確かにそのような存在が光届かぬ闇で蠢いているのだと私は知っている。蠢く何かに近づきすぎて黒いもやのようなものをうけて体調を崩した人を見た。
近所の神社にその人の家族が祈れば祈るほどその黒いもやが薄れた様子から、この世界は病気に祈祷は効くらしいと知った。とはいえ、それは黒いもやが原因である場合だけでそうではない病気には効かないようだった。
私自身が不思議な体験をしたためにこの世界の不思議を受け入れながら過ごしてきた一年間であり、人でなくなった覚悟を決められなかった私への準備期間のようなものだったのではないかと思う。
口では時に冷たいことを言うけれど撫でる手はいつも優しいあの子と離れることに未練がないわけではない。それでもこれ以上居ては離れられなくなってしまうだろう。彼らに迷惑をかけたくないと彼らの都合を考えてあげられる今のうちに離れたほうがいいのだ。
たった一年足らずでこれほど情が移ったものだと思うけれど、頼るものもない世界で手を差し伸べてくれた存在なのだから当然とも思う。
「くぅん」(ああ)
離れたくないよ。私の半分も生きてない子に縋る自分が情けないと大人としてのプライドが私を突く。
毎日の習慣で太陽を拝んでいる子を見上げる。私は立ち上がってここから歩き出さなければいけない。
大方殿に教えられて日輪を信仰する彼を素直だと思いつつも付き合わされる身としては面倒だと考えていたのが嘘みたいに今は彼の祈りが終わらないでくれないかと願う。
この朝の習慣が終われば一日は動き出す。そして、離れることを決心した私は今日この日に出て行くのだ。
「シロ、今日は珍しくも起きておったのだな。感心ぞ」
普段、彼の足元でまどろんでいる私が起きていたことに笑い彼は私の頭を撫でた。
それが嬉しくて私は彼のその手をもっと感じられるように目を閉じ、離れていくその手がとても寂しかった。
「ついて参れ」
晴れた日には彼は武芸の鍛錬をはじめる。それを傍らで見守るのが私の日常。
「わん」(松寿丸君)
背を向けて歩き出した彼の後に続かずに私は彼を呼んだ。
通じぬ言葉だけれどいつもは大人しくついていく私が鳴いたことに意外に思ったのか振り返ってくれた。
「あん、わんわん!……くぅーん」(あのね。私は行くよ!……さよなら)
一方的な別れの言葉を発して私は彼の背を向けて走り出す。
「シロ?……何処へ行くっ!待たぬかっ!」
いきなりの私の行動に松寿丸君が叫ぶ。そして、駆け出した私を追う足音が聞こえた。
一年前の巻き戻しのように私を追ってくる彼、一年で彼が成長したといっても全速力で駆ける私に追いつきはしない。
離れていく足音と泣き声のようにも聞こえる叫び声に引き返したくなる自分の弱さをねじ伏せて私は駆ける。足場が悪い山の方へと。
いつも全速力で駆ける時は爽快感を感じていたが、今はそのような昂揚感はなかった。彼の足音も声も聞こえなくなってから私は足を止めた。
探さないでとは言わなかったがきっと彼は探してくれるだろう。逃げ出した薄情な犬を彼は必死で探してくれる。
そんな薄情な犬など忘れて欲しい。でも、忘れて欲しくない。ぐちゃぐちゃな自分の気持ちをぶつけるつもりで私は地面を掘る。掘ったところで少しも気分はよくはならなかったし、白い毛が土で汚れただけだった。
その汚れを落とそうと川へと近づき、全身潜ろうと深くなっているところへと犬掻きで泳いでいると何故か川が渦巻いていた。
岩にぶつかってとかそういうことじゃなくて深いところの真ん中がいきなりぐるぐるっと回転し、犬掻きしていた私を引き寄せる。
必死でその渦から逃げ出そうと泳ぐが徐々に中心へと引き摺られていく。
「シロっ!」
ああ、これは死んだなっと諦めて流れに身に任せようとしたした私の耳に届いた声は松寿丸君のものだった。
そういえば引き離すことに必死でほぼ真っ直ぐ走っていたな私っと自分の間抜けさに気付いた。これでは気が抜けた顔とか彼に言われるのも仕方がない。
彼にトラウマになるようなことは避けたくて私は必死にまた泳ぎだしたが渦の力は強力過ぎて中心へと私は吸い込まれていく。視界に彼が川へと足を踏み入れているのが見えた。
松寿丸君ってば必死に走りすぎたのか着衣が乱れてるし、秋とはいえ川の水は冷たい。来たらダ……メ…――とぷんっと飲まれて意識は途絶えた。










視点 : 松寿丸



あの山犬が消えてから季節は三度巡った。一年しか傍に居なかった白い山犬の子を今も覚えている己の女々しさに唇が釣りあがる。
自分の視界にはそれに怯えたように身を震わせた駒が見えたが駒が何を思うと関係はないと思考の外へと捨てる。もう自分は世の理不尽さに泣くだけしか出来ない無力な子どもではない。
井上元盛によって奪われた城を取り戻したのだ。井上元盛の死は私の手によってではなかったが愚かな駒が早々に片付いたと思えばよい。
今、家臣達より我が城主に返り咲いたことで元服の話がされている。それについて我にも依存はない。
「……元服か」
あの頃よりも大きくなった手をみる。あの山犬に触れた感触をこの手はもう覚えてはいない。
大きくなることのなかったと我が記憶している山犬の子、近隣の者に妖の子と言われていた。そして、そう呼んだ者をよく見つめていた。
後に己が傍に居ることで迷惑になるとでも考えてあれは我の元を離れようとしたのではないかと思う。
川の流れとは違う渦の中心に引きずり込まれていき、その後すぐに渦は消え去った。
我の膝より少し上程度しかなかった水の深さに白い毛並みはなく、流されたかと下流へと向かってもあの山犬の姿形はなかった。
川の中に居たあれは我が見付けた時には流れに身を任せていたようにも思う。我が来たことでこちらへと来ようとしていたようではあるが我が来なければ大人しく渦に飲まれていたのだろう。
悪しきものであったとは今でも思えぬが、あれは聡過ぎる獣であった。ただの山犬の子ではなかったのだろうと消えてしまった白い山犬を思う。
「通例通りにせよ」
そう言い捨てた。元服などただの過程にすぎないのだ。それについて幾人もの人間が相談する必要などあるものか。
中断していた執務のために立ち上がり部屋を出、いつの間にか固く握られた拳を緩める。
奪われたものを取り戻したというのに心は晴れず、何かが足りないと思う己の気持ちに気付いてはいた。
「我はもうお前を追いはせぬ。シロ」
我に特別なものなど必要はない。けれど、最後に山犬の名を呼んだのは我の甘さであったのだろう。





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