蝶よ花よと育てられた無表情。
「それでどのような使令をお望みですか?」
熱く心の中で決意していた私の頭を冷やすかのように冷静な景麒の声が聞こえた。
この場の雰囲気というか私の心情を読んでもう少し黙っていればよかったのにと目線を向ければ景麒はただ見つめ返してくるだけだ。
能面のようなその表情に真夜中に出会ったとしたら悲鳴をあげて逃げ出すかもしれないと思わせるほど感情が浮かんでおらず、それが気に入らないので彼が驚くだろう妖魔を告げることした。
「饕餮」
将来、戴の幼い麒麟が折伏するはずの妖魔。その名称を聞いた景麒は訝しげに私を見て。
「……何を言っているのですか?」
「だから、饕餮がいいって言ったの」
問われたので繰り返したというのに眉間に皺を深く刻んだ景麒。
「何を馬鹿なことを。主上、かの妖魔を折伏できるはずがありません」
「絶対に?」
確信に満ちたそのお答えですが残念。これが実は十年もしないうちに珍しい黒麒麟が折伏することになるんだよね。
私が王になっても戴のほうに影響は無いだろうし結構な確率で彼は使令としてくれるはずだ。
「そのような話を聞いたことはありません」
「今後、折伏した麒麟が現れると思う?」
「現れないでしょう」
きっぱりと言い切った彼にかつてではなくこれからの起きるであろうことだとは言わずに私はとあることが思い浮かび提案する。
「そっ、ならそういう麒麟が現れた時には一つ私の願いを叶えてもらおうかな」
「願い?」
このようなことを彼に言うような者は今までいなかったのだろう。私からの申し込みに戸惑った様子を彼はみせる。
私だって彼にこんな勝負を持ちかけようなどと、ほんの少し前まで考えていなかった。
「今は思いつかないけどね」
この世界が私が知るように流れるのであれば起きるが逆に流れが変わりそのような出来事が起きないのならこの世界は私が想像していたよりも違うのだと思えるだろう。
「その条件では現れないと私は証明出来ないために不利ではありませんか?」
景麒は私が持ちかけた勝負を断らず、このままの条件で受けた場合の自分の不利さが気になったようでそれを指摘してきた。
「私が期日は即位した日から十年までが条件。それまでに現れなかったら景麒の願いを私個人で叶えられるものなら叶えてあげるよ」
「それでは逆に主上が不利になりましょう」
「……結果が楽しみだね。景麒」
口の端が上がり、それを隠すために言葉を発する。
「主上?」
私の態度に何かを感じたのか問いかけのように彼は私を呼んだ。
「そうそう使令の希望だけれど饕餮は冗談だけど私の身を護れるような強い子希望」
「では賓満を……ぅぐっ」
覚えのある妖魔の名称に思わず無意識に景麒の腹を殴る。まさに無意識であったがためか景麒は構える余裕もなく力が抜けた状態のお腹に私の一撃を受けた。
「……なっ、何をなさるのですか」
抗議の声をあげる景麒がお腹を押さえているのは力の入っていないお腹は女性が殴っても痛いということだろう。
無意識だったのでそれほど力を入れてないはずだ。手加減もしてないけど。
「景麒、私は私の身を護れるような強い子が希望なの。私が自分自身で護れるように強くしてくれる子希望じゃないんだよ?その違いわかるかな?」
身を護るために水禺刀を振れるように剣術を習う予定はあるけど身体の中に使令とはいえど妖魔を憑かせる気は無い。
陽子に憑いた賓満……ええと、名前忘れたけど彼のことは好きなほうだ。でも何が悲しくておっさん顔の妖魔を憑かせなくてはいけないのか。
最低限の実力がつかないようなら背に腹は変えられないかもしれないけど今のところは嫌だ。決心がつかない。それを理解してくれるよね?私の半身さん?
「鉤吾を……主上の影に潜ませましょう。驃騎」
言われた妖魔の名に姿が浮かばなかったので反応できずにいると許されたと思ったのか景麒が私の影に妖魔を潜ませる。
一瞬現れた黒い影はしなやかに私の影へと潜んで消えてしまったが身体の中に居るわけではないし、影の中に居る護衛とは優秀だ。
「景麒、ありがとう」
「……いえ」
私が礼を言うと驚いたのか僅かだけれど彼は目を見開いた。礼を言えないような人間だとでも思われていたのかもしれない。
景麒にしてみれば私という存在は非常識の塊だろう。そうは思うがこれでも自重しているほうなんで早々に諦めてくれるように願う。
「じゃあ、もう用が無いから適当に時間潰したら帰って」
自分でも理不尽すぎると思う台詞を生まれてから鍛えた演技力で輝かんばかりの笑顔を浮かべて言ってみる。
「はっ?」
何を言われたのか理解できないといった様子で呆然とするあまりに薄っすらと口が開いている景麒なんてレアだろう。
この世界に携帯やカメラとかがないのが残念でならない。この間抜けな表情を永久保存にしたかった!
「主上、申し訳ありませんが先程は何と?」
聞こえていたからこそ動きを止めたとは思うんだけどな。もう一度聞きたいとは物好きだね?ドMなの?……とか、からかうのは流石に止めておこう。
言葉の意味を理解しないだろう可能性もあるし、理解したらしたでうるさそうだ。これから長い付き合いなんだから最初から飛ばしすぎないほうがいい。
仁の生き物である麒麟を殴るのはどうかと思い浮かんでそういえば普通に叩いている王がいるのでそれが理由で失道はないはずだ。
「だからね?もう景麒に用は無いからいつも帰る時間になったら帰って」
「……」
無言で肩を震わす景麒にこれは説教フラグきたかもしれないと心構えをするが、しばらく待っても景麒は口を開かない。
呆れてものが言えないのかと彼の様子を窺えば眉根を寄せて唇を噛み締めている。怒りを我慢している表情と判断できなくもないけど、これは泣くのを我慢しているようにも見える。
もしかしたらこの景麒は打たれ弱いのではないだろうか。彼の生い立ちを考えれば蝶よ花よと育てられた可能性はかなり高いし、官吏からもあからさまな排除めいたことを言われている可能性は低いだろう。
考えれば考えるほどに箱入り息子的な景麒が脳内に出来上がり、王となったばかりの相手に邪険に扱われてどうすればよいのかわからずに混乱しているだろうことが推測できた。
人に迷惑をかけているという自覚が乏しい相手にあまり遠慮をしようとは考えていなかったが打たれ弱い箱入りな相手を苛めるような趣味はなく。
箱入りであるのならば私もしばらくは箱入りでいさせてあげてもいいかと考え直す。すぐさま王宮に行くようにと求めなかった褒美代わりだ。
ただ箱はダンボール箱だ。用が済んだらすぐさま箱を取り上げて畳んで捨てる予定である。
「やることが思い浮かばないのなら、お互いを理解するために今日は話でもしようか?」
私の脳内には大きなダンボール箱にいつもと同じ無表情の景麒が体育座りをしてすっぽりと入り込んでいる姿を想像したためか顔には自然と笑みが浮かんでいる。
「……主上」
心なしか弱弱しく聞こえるその声に女の子もしくは麒麟姿であれば私は彼に気を使ってあげただろうと思う。
彼が弱っている姿を見ても同情心がわかないどころか上背のある男でそれも女の私よりも綺麗な顔立ちを見ると顔にラクガキをしたくなる。
私を選んだのは天の采配であり彼自身の意思ではないと知ってはいるが私に理不尽な生き方を敷いたのは彼だ。心の中に湧き上がる苛立ちを押し殺す。
「茶を運んでくるから待ってて」
気分転換の為にも景麒から離れようと私は彼の返事を待たずに部屋を出る。頼めば持ってきてくれるだろうが一度毒殺されかかったせいか自分で用意したほうが私の気分的にもいい。
使用人は居ても忙しい時は自分で出来ることをするようにしていたし、私が嫁ぐことを両親は考えていたのか一通りの家事の仕方は教わっているのでお茶ぐらいは余裕だ。
「ああ、でも……」
王になったら自分でお茶を淹れる機会はあまりなさそうだ。この世界の両親に受けた教育は良妻賢母になるためのもので名君となるための教育ではない。
すべてが無駄ではないけれど彼らから与えられた教育の多くが無駄になるのか。そう思うと自分は親不孝者だ。それでもきっと私一人逃げるよりは王となることを選んだ選択は彼らのためになるはずだ。私がためらった理由を美徳にすればいい。
国や民を思うからこそすぐさま頷けなかったのだと、そして国や民を思うからこそ決意をしたと噂を広めれば今の状況からは開放される。
王の生家ということで客は増えるだろうし、嫌がらせをした者の中には自分がしたことに後味が悪くなってこの店で買い物をする人間も居るかもしれない。
心配や迷惑ばかりかけていた娘の最後の親孝行となるのなら演じてみせよう。国を民を愛する心優しい王となるだろう娘を。
……でも、まずは私とこれから共に生きることになる半身の分のお茶を淹れることからはじめようか。