誰が悪い?私、彼、彼女?天が悪いのは確定で。
部屋で大人しくしていても聞こえてくる喧騒が一段と大きくなったことに気付いて読んでいた書を置く。
恐れていたように景麒に王に選ばれた事実は広まったようで翌日から店を開くに開けない状態が5日も続いている。
店の周囲には街の人だけでなく近くの村からも人が来ていると聞くが王を説得するために日参している麒麟や王となる人間を一目見ようという者ばかりではなく断ったという話を聞いて妖魔が蔓延るこの国を見捨てるのかと恨む人間もいるようで夜中に腐って物やら汚物やらを店の戸や壁に投げつけてあったりするらしい。
店の者が台輔である景麒が来る前にと朝早くから片付けてはいるようだが店の中は暗い。蓄えはあるがこれが一生続けば立ち行かないのは目に見えているし、このまま私が王とならずに景麒が亡くなったとしたら悪評もひどいだろう。
もうここでの商売は出来ないかもしれないと両親が相談している様を見ていると申し訳ない気持ちで一杯になり、同時に景麒を気が済むまで殴りたい気持ちになる。
自分がこれほどに暴力的な思考の持ち主だと知れたのは王に断れることを予測もせずに堂々とここに乗り込んできた獣のお陰だが感謝する気はない。
「お嬢様、台輔がおみえになられました」
「そう、ありがとう」
推測した喧騒が大きくなった理由は当たっていたようだ。日参している景麒の登場に彼らが歓声でもあげたのだろう。
聞こえた声に立ち上がり部屋を出て、景麒をいつも通している室へと向かおうとして私を呼びに来た使用人の顔色に気付いた。
「……どうしたの?」
ひどく青ざめていて唇すら血の気がないのは体調が悪いを通り越して病気ではないかと思ってしまうほどだけど病気というよりも怯えているみたいだ。
まだ家に来て半年ほどで名を確か阮妙恵(げんみょうけい)、年の頃は14だったかな。奉公に来てそれほど経ってないのにこんなことに巻き込まれて悪いことをした。
「お嬢様は本当に王になられないんですか?」
「ええ」
この日々からの開放は私が王となることでかなうだろうが私としては棺桶に片足を突っ込む行為だ。
「どうしてですか!」
「怖いからよ」
「怖いって何がですか?王がいたら妖魔も出なくなるのですよね?」
彼女は私に王となるように訴えてくるがそれに頷くわけにはいかない。
確かに彼女の立場からすれば妖魔が減るだけでも日々の暮らしはぐっとよくなる。
私だって彼女の立場であったのならば選ばれたその誰かに王になればいいと無責任に思ったことだろう。
「そうね。ごめんなさいね。妙恵」
「お茶を淹れてまいります」
謝罪を呟けば彼女は俯き去っていく。その背に罪悪感を抱いたが私は自分自身が可愛いので自己犠牲精神は発揮できない。
私は私の選択で遠からず景麒が死ぬ未来を受け入れている人間だ。必要以上に悪人になるつもりはないが決して善人ではないのは自覚している。
景麒を待たせている部屋に向かいつつ、王とならないのなら両親に商売の移転をすすめ、私は家族とは別の街で落ち着く場所を探すとしよう。
その計画のためにはまずは景麒に私は王とならないので説得にもう来ないでほしいと納得させなければならない。
「お待たせ致しました。台輔」
こちらはただの平民で相手は台輔。私が王に選ばれたとしても王とならないと断った以上は崩してはならない身分差だ。
「舒覚様」
椅子に座っていた景麒が立ち上がり私の名を呼ぶ。
「私は何の身分もない娘です。どうぞ呼び捨てになさって下さい」
5回目となる台詞はもう練習する必要がないほどに発音は完璧であるさすが私と自画自賛して彼の前で立ち止まって俯く。
大人しい娘を演じているのでご身分高き台輔様の前ではこれが標準。最初の出会いの時は緊張してたとでも思ってくれればいいけどね。
「そのようなことは出来ません。貴女は私の主となるべきお方なのですから……」
そんな風に眉を僅かに寄せて切なそうな表情しても私は惚れん。
お綺麗な顔は何しても似合うんですねっとイラとするので止めてもらえないだろうかね。
「どうぞ台輔、私のことは忘れて下さいませ」
「出来るはずがありません!貴方には天命が下った……なのに何故、王となられない」
人の話を聴かない御仁である。やりたくないからだ。さすがに素直にそう言えないので多少はオブラートに包んで最初から自分には無理、人を止めないですってことは伝えてたはずなんだけどね。
「天はお間違えになられたのです」
「……貴方の妹御にそう言われたのですか?」
王となりたくないのは私なのにここでどうして妹の名が出るのかと訝しげに見れば、その反応で逆にそうだと間違って確信したらしい景麒は人2人分ぐらいはあった距離を一気につめて間近までやってきた。
真剣な顔をした彼はたしかにかっこいいかもしれないが、私としては怖さが増す感じがするので止めてほしい。私と話す時は覆面でも義務付けてもよいだろうか?
台輔に対する敬う気持ちは残念ながら表面上でしかないので私の中の彼の扱いは雑である。知らぬが仏とはこの世界にはないが良い言葉だ。
「彼女にも言いましたが天が間違うはずはありません。貴女は王に必要な資質をお持ちになられているのですから」
自信がないのなら自信を付けさせて王になってもらおうとでも思っているのかね。
とはいえ、最初の出会いの時に似たようなことを言ってはいたがあれは花麗にというよりも私に言っていた。
……景麒が3回目に来た後にそういえば彼女の機嫌は悪かったな。
私と会う前か後に景麒と会って私は王に相応しいくはないと訴えたのかね。いや、逆に相応しいのは自分と言った可能性もある。
花麗は自分の優れた才を自覚しているので少しばかり自尊心が高く若さゆえにそれが傲慢となっているが経験をつめばいい。
「お茶をお持ちいたしました」
「お入りなさい。妙恵」
妹のことを少し長く考えすぎて、お茶が来たことで景麒に返事をするタイミングを失ってしまった。
悪い子ではないのだと伝える機会はまたあるだろうと無理に伝えることはせずにお茶を飲むために彼女を部屋へと招く。
分からず屋と話していて喉が渇いたので彼女はよいところでお茶を運んできてくれたものだ。
部屋に入ることを許された妙恵は緊張のためか身体を震えさせながらお茶を二つ置く。
一つはお客様ようの物だがもう一つは私が普段使用している物で普通はこういう時には使わない物だ。
緊張のあまり間違えてしまったのだろうこの場で指摘するのはやめて彼が帰った後に教えて、また同じ間違いをしないようにと注意をしておこう。
まったく景麒が来なければ彼女が叱られるようなことはなかったのにと思いつつにこやかに。
「台輔、どうぞお座り下さいませ」
近づいた距離を離すちょうどよい機会だと座るように促がして彼が座れば私も座る。睨まれているのかと思うほどに彼には見つめられてはいるが間近でなければ受け流せるので問題はない。
運ばれてきたお茶を飲んで一言感想を言ってから妙恵には出て行ってもらおうと杯に手を伸ばす。すぐに出て行かなければいけないのに残っちゃってるのはテンパってるんだろうね。
「舒覚様、お待ちを」
杯を持つ手をいきなり掴まれてお茶が毀れる。
いきなり何だと文句は言えないものの景麒を見れば彼の視線は私ではなく後方にあった。
そちらには使用人の妙恵が居るだけ……
「あっ……おっ、お許しを。どうかお許し下さい」
私の頭が事態を理解する前に妙恵が床に頭をこすり付けるほどに頭を下げている。
「娘、何故このようなことをしたのです?」
景麒の言葉に首を左右にふる妙恵、涙を流しているのか床に水滴が落ちた。
混乱して何も出来ずに呆然と佇んでいる私がいると同時に妙に冷静な私がいた。
「何をしたのか理解して……」
「頼まれたのでしょう?」
彼の言葉を遮って私が妙恵に問えば彼女は顔を上げた。
涙を流すその顔に胸が痛むのは彼女の人生を狂わしたのが私だからだ。
「妙恵、お茶を置いたらすぐに部屋を出なければいけなかったわ。お茶を飲んでも飲まなくても貴女は逃げるべきだったの」
お茶を飲まなければ事件は発覚しないだろうが飲めば一番に疑われるのは彼女だ。
私が普段よりも長く話しているのが不思議なのか彼女は私を見上げている。
まだ親元にいたい年頃だろうにこの件が発覚すれば彼女はただではすまない。
「これを売れば幾ばくかのお金にはなるわ」
私は立ち上がると髪を飾っていたかんざしを彼女へと渡す。
「お嬢様?」
「お前のしたことは店の者は誰も知らないわ。だから知られる前にお逃げなさい。捕まればただではすまないのだから」
私の言葉に青ざめた彼女が無言で何度も頷き。
「申し訳ありません。お嬢様」
最後にそう言って震える手でかんざしを握り部屋を出る様を無言で見送った。
彼女が出て行った部屋を包む沈黙を破ったのは景麒だ。
「よろしかったのですか?」
理由も聞かずに彼女を逃がした私を不思議そうに見ている。
仁の生き物である彼は彼女を許すように言うのだろうが世の中はそうではないということは学んではいるのだろう。
そして、私も自分を殺そうとした人間を許せるような出来た人間ではない。
「……台輔、使令をあの子につけて頂けませんか」
「理由をお聞きしても?」
彼女を逃がした理由をすぐには答えずに使令を動かすように告げた私に景麒が問う。
理由を教えぬままに主ではない私の指示をきく気はないのだとその視線は伝えている。
「青ざめた顔をして出て行く娘に何某かの反応があるやもしれませんでしょう?放っておけば口封じのために殺されるやもしれません」
可能性は未知数だ。彼女が出て行って首尾を確認するために近づくものがいるのかどうかなど私は知らない。
「わかりました」
「……彼女に接触した者を追えば命じた者が判るかも知れませんわね」
ただ接触する者が居るとすれば細くとも糸が繋がっているのだから手繰り寄せることも不可能ではないはずだ。
「舒覚様?」
私の言ったことを理解したのかしていないのかは知らないが景麒が声をかけてくるが今の私は彼と話すような気持ちではない。
彼女を私は囮にして犯人を見つけ出せるかもしれないと言い捨てたのだ。我が身が可愛いあまりに。
「気分が優れませんの。少し横にならせて頂きますわ」
「横になられるのなら自室でお休みになられたほうが……」
部屋にある長椅子に座り横になろうとすればそう声をかけられたので視線を向けることもせずに。
「そうして貴方はお戻りになるの?そんなことをすれば彼女が失敗したと知られてしまうでしょう?」
殺されそうになったのは、はじめての経験だ。そして私は自分の思い違いに気付かされた。
王にならなければ平穏な人生を過ごせると考えていたのは間違いだと。王に選ばれたと世間に知られた時点で遅かったのだ。
王に選ばれた人間が王にならなかった場合は麒麟は短い寿命が尽きて死ぬならば死ぬ前に王に選ばれた人間を殺せばいい。そうしたら天命は新しくまた王を選び出すように麒麟に求めることだろう。
この世界にとって合理的であり私にとって不条理な世界のシステムに苛立ちを感じるがどうにもならないと諦めのため息をついて目を閉じる。
使令に命じている景麒の声は聞こえてはきたがどう指示するのかは彼に任せることにした。私は一般人、彼は台輔そういうことだ。