夢の歯車

27


←Back / Top / Next→


脱兎の如く逃げ出した私は彼らに与えられた部屋でベットの上で布団を被り縮こまっていた。
私の身体には鳥肌が立っている。無意識で身体反応を制御しているのだろうけど、どういった理論なのかはわからない。
元よりこの電脳空間において私は何も知らず、何が出来るのかを自分では把握していないし、出来るかどうかもやってみないとわからない状態だ。
実践させてみるという彼の行動は間違っていなかったとは思うけど、何かを仕掛けてきたのは嫌だ。
布団の中で両手を擦る。思い出しただけで背筋にぞわぞわとしたものが起きたのはあの男、オラトリオのせいだ。
彼が私に何かをしようとしたのは確定だ。同時にそれは彼にも私にも良くないことであったことも確信している。
奇妙なことに私はこの電脳空間と呼ばれる不思議なところに存在するようになってから、色々な物事を断言していることが多い気がする。
どうしてなのかは解らないけど、こうしたほうがいい。それはいけない。というような行動指針的な思考というものが浮かび、それは間違いでないことばかりだったのでその声なき声に私はなるべく従うようにしている。
なるべくなのは私の中に浮かぶ行動指針を示すかのようなその思考に感情的についていけないこともあるからだ。
私は電脳空間に入ってから一度だけオラクルからの申し出を断わったことがある。それは私自身を解析してもよいかという申し出だった。
私の中の思考は解析ならばかまわないという認識であるようだけれど、感情としてはただの身体検査よりも色々と知られそうで断わった。
オラクルは便宜上として男性の姿をしているだけで性別などないのだと知ってはいても、身体のことを調べられる抵抗感があったのだ。
この件についてはエモーションが私のことを簡易的に解析というところで手を打った。簡易というのはオラクルと比べると性能の差で解析できる度合いが違うからだという説明だった。もちろん、そんなワガママを聞いてくれた彼女達には感謝はしている。
人が身体ごと電脳空間に訪れるという説明できない事態に本来であれば色々とデータというデータをとられているはずなのにオラクルはエモーションから受け取った解析データだけで納得してくれたのだ。
オラトリオのほうは渋々といったところだったし、私の姿を確認するとあの紫の瞳で私の行動を常に観察していたが……
「だからといって、あれはない。ないったらない!」
彼が私という存在がここにいることにストレスを感じている様子なのは何となく判っていたけど、忠告とかすっ飛ばして私に何かをしようとするとは考えていなかった。
狂気めいた何かを彼は抱え込んでいるのではないかと思ったものの、おちゃらけた軟派な態度で本音を隠している彼の奥深くなど想像したくはないし、彼が表としてだす軟派な彼もすべてが嘘ではないだろうけれど彼の精神というか中身は私のような人間には理解できないほど深みがありそうで近づきたくはなかった。
勝手だとは思う。軟派な彼に壁があると苛立ちながら彼の本音が聞けるほど親しくはなりたくはないとは、どれだけワガママなのかと。それでも彼に近づけば深みにはまって抜け出させないことになりそうで嫌なのだ。
「うう、会いたくない」
この部屋の外にまだ彼が居るような気がしてここから出れない。けれど、この部屋に居続けると暇すぎて辛いので部屋から出て誰かと喋りたい。
そうするにはこの部屋から出ないといけないわけで、彼が居るだろう場所にまた出て行くことになってしまう。会わないことは出来ないにしても時間がもう少し必要だ。
ぐちゃぐちゃとした思考の中で違和感を感じて私は布団の中から顔を出す。何に違和感を感じたのかと部屋の中を確認して私は見慣れぬものに気付いた。
「扉?」
普通に出入りすることが難しい大きさのそれは観音開きらしい高さが1メートルほどのものだ。屈めば通れるだろうけれど普段使いとするには不便そうだ。
先程まではなかったはずの扉の出現に現実であればパニックにでもなったかもしれないがここは電脳空間。能力さえあれば魔法のようなことも再現可能なんだから新しい扉の一つや二つは余裕だろう。
そう結論付けた私だが、ここはORACLE内部でありそんなところに彼らが許可しないアクセス方法を設置できるものなど普通は存在しないということを失念していた。
「何処に通じてるんだろう?」
出現した扉に近づいて私はその扉を開けてみると向こう側は見えずただ黒だけがあった。
光すら通していないようで奥行きとかもわからないその光景に私はため息をつき、扉を閉めようとしたところに小さな声が聞こえてきた。
『だぁれ?』
扉の先から聞こえてくるその声は遠く小さいがそれが子どもの声であることは理解できた。
「誰か居るの?」
『?』
言語ではなく雰囲気というものが伝わってくる。
現実世界よりも明確に伝わってくるそれは相手が私が知る意思を持つ電脳体の彼らよりも幼いと思わせた。
これは彼らよりも扉の先にいる相手のプログラムが稚拙だから? それは違うと声なき声が答えてくれる。
「こっちに……あっ、他の人って連れてきたらダメかな」
扉の先から来てもらおうとして、ここはおいそれと誰かを招いてはいけない場所であったことを思い出した。
でも、扉の先に居るだろう存在が子どものような感じがするので彼もしくは彼女がどういったところに居るのか心配だ。気付かれないうちに急いで行って帰ってくればいいんじゃないかと思い浮かぶ。
そんな問題ではないような気もしたけど子どもを放置というのも居た堪れず、私は黒い空間へと手を入れてみることにした。何事もなければ入っていこうと考えていた私は黒い空間に入れた手が見えなくなったことに驚いて手を戻そうとしたが少しも戻らないことに気がついた。
何これ?と混乱した私だが一方通行らしいという何となく理解したそのことに声なき声っぽい何かは起きる前に説明をしてくれるようにならないかと切実に思った。
「行くしかないのかも」
戻ることが出来ないのなら行くしかないのは当然のことだ。ここでもう少し冷静であればオラクル達を頼っただろうが混乱していた私は思い切りよく飛び込むことしか思いつかなかった。
飛び込んだ先にあったのは黒い空間ではなく何十にも張り巡った光の糸、そのうちの一本に私は立っていた。これは通信の道だ。
様々なデータの転送のために張り巡らされた光の糸、振り返れば私が立つのは糸の端で背後にはORACLE、電脳世界最大の図書館が存在していた。
この糸は先程までORACLEに繋がっていたらしいが今は綺麗にその糸は消えているし、外壁に穴のようなものも見えないので修復されているのだろう。
「ここに居たら見つけてくれるかな?でも、長く居たくはないしなぁ」
蠢くようにアメーバーのような何かが動いていたり、蟻の出来損ないのようなものが糸を食い千切ったりしているのが遠めで見えた。
あれらは今の私にはよくないモノだ。何もせずにここに居たら見つかってしまうだろう。
困ったことになってしまったと思うけれど先程の誰かに会いに行くことは心躍る。オラトリオのように相手は私を警戒していない、警戒しないと解っているからだ。
私は光の糸の上を歩き出す。落ちることはないと知っているから迷いなく足を踏み出していけば残してきた光は痕跡を残さずに消えていく。
私が通るだけの為の光の道、これはもしかしたら私が作り出したものかもしれない。そうだとすればORACLEから逃げ出したことになるのだろうか。
不可抗力ではあると私自身は思うけれどそれを彼ら、特にオラトリオが信じてくれて納得してくれるかどうかは想像もつかない。
「行こう」
悩んでいても仕方がないと駆け足で私は光の上を通り、近づいてくる異形めいた何かを無視して先へと急ぐ。
どれだけ走っていたのかはわからないけとれど辿り着いたのはかなり強固な壁があった。
「でも、扉があるんだよねぇ」
壁についた扉は私が部屋で見たものと同じもので、壁の中に入ることが出来そうだけど入ったら不法侵入になるのではないだろうか。
迷ったけれど私が通ってきた道はもう消えてしまっている。光の糸を私が繋いだのだとしてもやり方がわからないから結局のところは扉を開けるという選択肢しかない。私は決心すると扉へと手を伸ばした。

←Back / Top / Next→