夢の歯車
〜25〜
部屋から出た私は珍しくオラクルとは会わなかった。その代わりというわけではないだろうけどオラトリオが居る。
「どうしたの?」
何だかいつもとは違うように感じて私は彼へと声をかけた。
挨拶からすべきかもしれないけど、おはようとかおやすみ以外は2週間近くもここにいると妙な感じだしっと心の中で言い訳しておく。
「何がだ?」
覗いていたディスプレイから顔を上げると彼は首を傾げた。
その様子は私が知る限りではいつもと変わっていなうように見えたので先程感じた違和感は気のせいかもしれない。
そうは思いはしても何だか気になって私はオラトリオへと近づくがディスプレイを見れない位置で立ち止まる。
これが私と彼の距離だ。見たところで理解できない内容ばかりだけどオラトリオは私が情報に近づくことを嫌っている。
直接言われたわけではないがそれが彼の行動の節々に見られればこちらだって用心をするようになった。
「今日はお仕事忙しかったの?」
だから、普段は彼のことを聞こうとなんてしなかった。
「何?おにーさんのことが心配?」
彼だって珍しいと思っているのだろうにその様子を表面上はうかがわせない。
「気のせいかもしれないけど何か変だから」
「変って俺は傷つくぞ。一仕事を終えて我が家に戻れば変と言われるなんて誰が思うか」
傷ついたと言わんばかりに嘆くその様は劇的だ。
そのせいで悪いと思うより先に役者なロボットだと感心してしまう。
彼の中には幾通りもの人の反応がテータにあり、そして常にデータを収集しているらしい。
監査官みたいなこともするからという話だったけどこういうデータも必要なのか。
「……何か反応してくれませんかね?」
「だって、寸劇みてるみたいで面白い」
胡散臭い笑みを浮かべていないオラトリオは嫌いではない。
変に取り繕わなければ私としては許容範囲なのだと思う。
「楽しんで頂けて光栄ですこと」
笑って言った私に反論せずにオラトリオは嘆いている間休めていた手を動かしはじめた。
「仕事終わったんじゃないの?」
「んー?外のは終わっただけ他はここで出来るからな」
働きすぎではなかろうか人だとすれば労働違反で間違いはない。
私との会話中も流れるように動くその手は変わらない。
ぼんやりとその手を眺めているとオラトリオがディスプレイから私へと視線を向け。
「そういえばはデータをいじれたよな。無意識でしているみたいだが……」
自覚はないので私は曖昧に頷いた。
この電脳世界は現実的でありながら非現実的で時間通りに食事をし、お茶会を開いてもお腹は膨らまないし減らなければ喉も渇かない。
そして食べ物を入れたのなら起こるであろう生理現象もこの身体はなくなっている。
どういうことだろうとは思うが電脳世界はそういうものなのだと思うことにした。
なので私が時々、自分が言いようにデータをいじっていると言われてもそういうものなのだろうとしか判断できない。
「意識してはしたことはないのか?」
「ないかなぁ」
オラクルと初めて会った時は考えた結果とは言えるかも知れないけどどうやってしたのかは覚えてないし。
「これを持ってみろ」
オラトリオから渡されたのは赤い表紙の本。
題名が書かれているわけでもないその本には錠がついている。
「何これ?」
「プレゼントだ。その本を読んでみてくれないか」
「鍵は?」
読んでみろと言われても鍵がない。
そんなものが読めるわけがないじゃないかと手を差し出せば彼は楽しげに笑い。
「生憎と失くした」
両手をあげてそう言ったのでそれが嘘だと丸わかりだった。
「うそでしょ」
「当たり。本当は鍵を作ってないんだよ」
鍵を作っていない錠つき本って何て無駄なものを作るんだろうか。
私が自分の手の中の本と彼を交互に見ればオラトリオは笑みを深め。
「鍵自体は脆いから壊せるはずだ」
「……つまりデータをいじれってこと?」
「そっ」
頷くオラトリオにため息をついて手の中の本をいじる。
この電脳世界の全てのものがデータだという。
今の私は0と1で構成されている存在なのだといわれて信じられるわけがないと思ったけれど、
現実世界でも私はよくわからない分子とかで構成されているのだと言われているのと変わらないと受け入れた。
いや、そういう事実があるのかもしれないと深く考えないことにしたということが正しいかもしれない。
勉強した地球は球体だとか生物は進化する生き物とか本当のことなのかとか深く考えてこなかった。
世間がそれを事実だというのならそうなのだろうと認識してきたに過ぎないのだと思う。
「脆いって言っても金属だし」
「金属じゃないぞ」
手の中の金色の小さいな錠を触りながら脆いって嘘だろうと眉を顰めていると、
オラトリオが本を渡した後から動かしていた手を止めてその手に本についている錠と同じ錠をその手に持っていた。
彼の右手の親指と人差し指で持たれているその錠をくにゃりと潰した。
「うわっ!」
「それはこれと同じだ」
潰れた錠がこちらへと投げられて咄嗟に受けとる。
無事に何とか受け取ったものの急に投げられたので睨んだものの、
こちらの視線など気にした様子もみせない彼に苛立ったので
気にしないようにしようと意識を手の中の潰れた錠へと向ける。
「あっ、本当だ」
確かに手の中の錠と本についている錠は同じものだ。何で解るのかと言われると答えられないが何となく納得できた。
でもこちらも私にとっては金属な気がして彼のように指で潰せず、手の中の錠をグッと強く握り締めても変わらなかった。
「認識力は高いんだがな」
オラトリオは何故か指で眉間を押さえている。
頭痛でも起こしたのだろうかと心配になり視線を向け。
「、お前はもう少し電脳世界の常識を学べ」
「えっ?何で?」
いきなり常識を学べ発言に思わず聞き返す。
「自覚のない力っていうのは始末に負えない」
彼はそういうとディスプレイを消して立ち上がった。
そうして立っている私の近くまで歩いてくると錠を握り締めている右手を開かせてそこから錠を取り出す。
「これならどうだ?」
錠であったはずの物が一瞬にして透明なガラスで出来たバラへと変わる。
触れるだけでも壊れてしまいそうに薄い花弁へと続く茎の方をオラトリオが私へと差し出した。
「持ってみろ」
彼の言葉に促がせるようにガラスのバラの茎を持つ。
精巧なその造形は見事なものだと思うけれど確かにこのバラは先程までの潰れた錠と同じだ。
「それを床に落せ」
彼は床を指差して指示を出す。
「壊れちゃうよ」
「それでもだ」
綺麗なガラスのバラを壊せというオラトリオに顔を顰める。
以前に彼から貰ったバラを花占いに使った腹いせとか。
「ガラスって危ないと思うんだけど」
「後始末は俺がする」
勿体無いという気持ちを込めて言ったのに彼は落とせの一点張りらしい。
居候の身なのだからと諦めてガラスのバラから手を離せば砕け散るバラ。
キラキラと光に反射するガラスの破片。薄かったからこそ修復不可能なほど粉々になってしまっている。
「電脳世界では姿形が本質なんじゃない構築しているデータが本質なんだ」
オラトリオはそう言ってガラスの破片を見つめていたがその顔が強張った。
「どれだけ形が変わってもデータさえ無事なら問題がないデータさえ無事ならな」
「こうしろって言ったのはそっちでしょ?」
どうして私が責められるのかとオラトリオから離れるように後ろに下がる。
ガラスのバラを落とせといったのは彼で、ガラスを落としたら壊れるのは当たり前なのに理不尽すぎる。
「そうだ。ただし結果が予想外すぎた。データが断片になるのは予測していたが残骸しかない。
ここまで綺麗にデータを消し去るのはかなり難しいんだが……」
「なっ、何?」
近づいてるオラトリオにじりじりと下がれば同じように近づいてくる彼に焦る。
焦りすぎていて背中は本棚にくっ付いてしまってこれ以上下がることが出来なくなった。
左右に逃げようとした私を閉じ込めるようにオラトリオの手が私の両脇を塞ぐ。
「」
私の声を呼ぶバリトンの声が耳をくすぐり、紫の瞳が射抜くように私を見ている。
逃げなければと思うと同時にその腕に捕らわれたくなった。
相反する感情に戸惑う間もなくオラトリオの右手が私の頬に触れその指の感触に肩がはねる。
紫の瞳を見つめ返すだけの私の目にオラトリオの目が細まるのが見えた。
ダメ。イケナイ。私の中の何かが警報を鳴らしている。
「オラトリオ、。何をしてるんだい?」
その声でその場の雰囲気が変わった。
「オラクル」
声の主はオラクルだった。
助かったという気持ちと残念だと感じている自分。どちらが本当の自分かわからない。
「場の雰囲気を読め。俺がを口説いてたっていうのに」
変わった雰囲気に合わせるようにオラトリオが明るく軽い口調でオラクルに抗議している。
口説いていた?確かに彼の行動はそうともとれるものだった。
だけどそれは違う。彼はただ口説いていたのではない。
何をしようとしたかわからないけれどオラトリオは何か怖いことをしようとしていた。
あのまま彼に捕らわれたままであったのならば取り返しがつかないことが起きただろう。
「……私、部屋に戻る」
身体の震えを隠すために私はオラトリオの腕の中から逃げだす。
彼は私を捕まえようとする意志はもうないのか引き止めることはなかった。
ただ彼の視線が逃げ出す私を見ていることだけは感じていた。