夢の歯車
〜19〜
一人取り残された空間は無音。それは、誰もいない部屋などという生易しいものではないのだと知る。
ドアもなければ窓もなく部屋の外にある音すらも此処では聞こえず、私は閉塞感やら圧迫感やらを感じた。
薄氷の上に立って歩いているかのように、私の精神状態は何かのきっかけ一つで壊れてしまいそうだ。
「オラトリオが戻ってきたらどうしてくれましょうか」
私は誰も居ない広々とした空間で膝を抱えて座り、オラトリオを待ちながら彼が戻ってきたらどうしてくれようかと考えていた。
声に出して言っているのは何か音を聞きたかったのと今、自分がしている事を認識していたかったからだ。幸いなのかどうかは知らないけど独り言を聞いて怪しむ人間なんて居やしない。
ううん、そもそもがそういう人間が居るのなら私はこれだけの閉塞感を感じていないんじゃないだろうか。
「つまりはオラトリオの所為なわけですよ」
もう全てが彼の所為だとしか思えない。
少なくとも、自分以外は誰も居ないというこの状況はエモーションを帰した後に消えたオラトリオの所為だ。
「これなら額に肉って書いても罰があたらないと思う。うん」
美形の額に『肉』を想像してみて、プッとふき出し笑いをしてしまったが何だか余計に空しくなった。これもオラトリオの所為だ。
私の思考は彼でいっぱいだけど、きっとこれはエモーションが期待していただろうモノとは違う。
「あぁっ!もう此処はドカーンッと壁が爆発したりしてくれないかな」
どうやって出れるかわからないのが嫌ってだけなんだから、壁とか消えてくれたらいい。
そんなありえないことを願っていると私の目の前で空間が…――切れた。スパッというかそんな勢いで空間は綺麗な切り傷。
爆発するよりもまだいい方だろうかとか考えている私は結構、まだまだ余裕があるのかも。
切れた空間から此方へと入ってくるのはオラトリオではなく…――。
「あれ?エモーション?」
見事な緑色の髪をした女性の姿が現れたということは彼女がこの空間を切った?
「さん」
私の姿を見てとると彼女は嬉しそうに笑みを浮かべるとトンッと軽やかに空間の隙間から飛び出てふんわりっと私の前に降り立った。
彼女が出てきた空間からは見た事がない青年が続いて入ってくる。
透明感のあるピンク色の髪の古風な姿をした彼の手にある物を見て、空間を斬ったのが彼だと推測出来た。
何故か彼は近付いてこようとはせずに私を睨み付けるように見てくる。
「あら?オラトリオ様はいらっしゃいませんの」
「置いてかれました」
「まぁ、せっかく二人きりにして差し上げましたのに」
「……あの、後ろの方は?」
そんな気がしてましたとは言わずに私は彼女と共に現れた相手が何者かを聞こうとエモーションに訊ねる。
「そうでしたわ。お兄様」
少し離れた彼をエモーションが手招きをして呼んだ。
近付いてこなかったのだから躊躇うかと思えばそんなことはなく、彼は呼ばれるままに私達へと近付いてくる。
中性的な顔立ちをした彼は背はそれほど高くはないが、会話をする相手としてはちょうどいい高さだ。
オラトリオなんかは顔を見て話そうとする見上げるだけで首が疲れてしまうだろう。
「さん、此方は<A−C>CODE、コード兄様です」
「おー」
ちゃららんっと何処からか軽やかな音がしたと思えばエモーションの手にはマイク、何処からか降ってくる雪のように見える丸いもの、兄を紹介するにしてはいささか派手な紹介をされた。
丁寧な物言いとその行動は合っていないようなのに、彼女の明るさによって彼女らしさをだしている。。
私はというと彼女の紹介に思わず拍手をしながらコードという名の彼の方を見る。
頬が少し赤いのは紹介の仕方がもしかしなくても恥ずかしいのかもしれない。そう思う理由は私がされたとしたら恥ずかしいからだ。
「エレクトラ、この紹介の仕方はよせ」
「気に入りませんでしたか?」
「見世物ではないのだから普通に紹介しろ」
第一印象から想像したよりは幾分か柔らかな口調で彼がエモーションへと向ける目線は優しい。
「そして、此方がミステリアスな魅力でオラトリオ様をとりこにしたさんですわ」
「してません」
同じようにマイク片手に私を紹介するエモーション、空から降ってくる赤いバラの花びらがオラトリオから貰ったバラを思い出す。
彼から貰ったバラはどうしたっけと思い出す必要もなくオラトリオが戻ってくるかどうかという花占いでバラバラにした記憶がある。
「お前が原因か」
「はっ?」
「コード兄様っ!あれは私が悪かったのです」
何に対しての原因なのか説明がなく、何を言われたのか理解できなかった私が首を傾げているのにエモーションは理解しているらしい。
「さんに触れた時に強い電波によって負荷が掛かりましたが、もう少し上手く対処できましたらこんなことには……」
「……」
辛そうな表情で自分を責めはじめたエモーション、それをしまったとでも言うように困ったように見ているコード。
兄妹二人の会話によって自分が此処にいることになっただろうと思えることを話しているということに気付いた。
それが起きた理由はわからないものの、彼女が私に触れた事が無関係ではないように思える。
「あの、エモーションの所為だけではないんじゃないでしょうか。私もどうしてだか此処にいるのだし何か関係し……」
「さんっ!なんてお優しいんでしょう」
言葉の途中でエモーションが私の右手を両手で握り、うるうるとした目で私を見つめている。
どうしよう。彼女の所為だけではないと思うし、自分も関わっていそうだと考えての行動だったのに何か私は間違ってたのだろうか。
此処まで感動する理由がわからないのと、どうすればいいのか判らないのとで辺りを見回し……見るものは彼だけということに気がついた。
お願いですから、貴方の妹さんを落ち着かせてくださいという願いを込めて見たというのに薄情にも彼の視線は逸らされてしまう。
逸らされてしまえば自分でなんとかするしかない。
「原因がよくわからないわけですし、此処に私が居る理由とか考えると原因ではないとは言い切れないと……」
「私達が触れた所為で電脳世界に来てしまったのは確かですわ」
「そう、なんですか?」
私が此処に居るのかという理由を彼女は断言した。
どうしてそこまで確信できるのかはわからないので戸惑って言いよどむ。
「触れた時に何かが私を通って電脳世界に入ってきたのを感じたのです。あのような感覚は初めてですし、さんが…人がその身体ごと電脳空間に現れたということも初めてのことでしょう」
「そうすると、戻る方法はよくわからないですよね」
夢の世界だから何でもありとか考えていたことは否定できない。
だから、初めてのことだと言われてしまうと私としてはどうすればいいのか困ってしまう。
「それは、わかりません」
「あっ、いや、気にしないで下さい。エモーションの所為じゃないと思うから」
エモーションが悪いわけではないし、それどころか彼女は私に自分が触れた所為だと思っている様子でそんな相手に何か文句とか言えない。
誰かに泣かれるのが私は苦手ということもあり、少しでも気にしないでくれるように笑顔を浮かべてみせた。
もしかしたら、彼女からすると原因は自分なのにそれを責めようともしない優しい人というふうに私は思われているのかもしれない。
そこまで私は優しいわけではないのだと自分自身のことを知っている為に、私はどうすればいいかと迷って……また、彼へと視線を向けた。
逸らしていた視線をいつの間にか私に向けていたらしいので視線が合った。
「エレクトラ、当人が気にせんと言っているんだ。それならばお前も気に病むな」
「……ありがとうございます。さん、コード兄様」
一先ずは今回のことは予想できなかった事態ということで、私達の間では誰が悪いわけではないということになった。
エモーションの気がかりは少し軽くなっただろうし、私も変に気に病んでは欲しくないし、私が原因だと判断されたりしたらコードがおっかなくなりそうだったのでこれでよかったのだろう。
二人と話をしていると兄妹仲の良さとかは凄くわかるし、コードがエモーションをとてもとても大切にしているのはわかった。
そんな二人と共にオラトリオを待つのは一人で待つ時よりも気分的には楽だった。
コードは私達二人の会話には参加せずに座っていたが不機嫌そうでもないのでよしとして私からは話し掛けたりせず、エモーションが見せてくれた謎な生物を育てる育成ゲームをしたりして私はオラトリオを待った。