夢の歯車
〜17〜
「お待たせしました。お嬢さん方」
「それほどお待ちしていませんわ。オラトリオ様」
空間の一部がぶれたと感じた次の瞬間。その場所に見覚えのあるロボット、空港でオラトリオと名乗った彼が現れた。
正直なところ彼が現れたので私は吃驚したのだけれどエモーションがそれを当たり前のように平然と挨拶している様子からするとごく当たり前のことなのかもしれない。
いや、彼女のことだからすっごく珍しくても悠長に挨拶をする可能性もあるのではないかと想像してしまうのは私が彼女に対して何らかの偏見を持ってしまっているせいか。
そうであっても仕方が無いかもしれないと思う。夜分遅くに家に居た侵入者である私に対して彼女は丁寧に名乗っていたんだから。
「お久しぶり、お嬢さん」
二人での会話を一先ずは切り上げたらしいオラトリオは私へと視線を向けてくる。
まるで此方を見透かすように細められた眼が居心地を悪くさせた。彼は観察者で、私は試験管の上で切り刻まれて見られているような気分だと想像して余計に気分が悪い。
私の何が気に食わないのか知らないけれど私はゾウリムシでもミトコンドリアでも花粉でも何でもないんだから、観察対象にしないで欲しいという思いを込めて睨み返す。
「どうも」
睨みつけた効果は思ったよりもあったらしいけど、視線を逸らすとかではなくて彼の瞳に興味が浮かんだだけだった。
まぁ、彼が私を観察していたのも興味ではあったのかもしれないがそれは何処か警戒を含むものだったのに対して、今の視線は何というか……意外なものでもみるような感じだ。
どちらにしても見られているのは変わらないので居心地の悪さは少しもよくなっていない。
「あらあら」
面白そうな女性の呟き。マズイ、このような時の女性の心理は…――振り返った私がみたエモーションさんは『若い恋人同士を見守る目』をしていた。
自分でも一体それはなんだと思うけど、そういう風に例えるしかないような目を彼女はしている。
きっと、私とこのオラトリオとが一目惚れしたとか勘違いしているのではないだろうか。
「さんはオラトリオ様とお知り合いなのかしら?」
「えっ、いえ…」
「あぁっ!だから、少しと二人きりで話してもいいか?エモーションはカシオペア博士のとこに顔を出しに戻ったほうがいいだろう」
「まっ」
「はい、そうですわね」
ワザとなのかと思いたくなるほどに私の声を遮った二人に、人の話を聞いて下さいと思っている私の耳に「頑張ってくださいませ、オラトリオ様。恋はタイミングだとお聞き致しますわ」などという聞きたくもないオラトリオへの小声の声援が聞こえてしまった。
やはり恋愛に結び付けられたのだということに気付いて私はそれを否定しようと決めたのだが、エモーションは笑顔で消えていく。その素敵な笑顔が何故か憎らしく感じてしまうのは何故だろう。
私は消えたエモーションが居た場所から彼女を見送っていたオラトリオの背中へと視線を移す。
彼は初めて会った時にも話がしたいと言っていたが、私にどんな用件があるのかがわからない。
「俺の背中に何かついてますかね?」
確かに見つめてはいたが私のことは彼からは見えなかったはずなのに。
驚いて見ていると振り返った彼が私の驚きを察したのか困ったように、少なくとも表面上は困ったようにみえる笑みを浮かべ。
「電脳空間では情報の処理能力が高いお陰で死角がほぼないんだ」
「脅し?」
死角がないなどと伝えるのは彼は私が背後から狙うとでも思ってるのだろうか。
後ろから首を絞め様にも彼は背が高すぎるし、刺そうにも刃物はカッターナイフですら私は持っていない。
たかだか女一人のか弱い細腕で彼がどうにかされるような相手ではないだろうに、私からすればその警戒心が逆に滑稽だ。
「脅されるような心当たりでもあるのか」
嫌だ。こういう人というかロボットだろうとこういう相手は本当に嫌だ。
人を色眼鏡で見ているとしか思えないし、まともに判断をしてくれるようにも見えない。
「――…なんて、そんなわけがないか。何処からどう見ても可愛らしいお嬢さんでしかないものな」
男は不意に笑みを深めて、好ましい相手を見ているかのような表情となる。
先ほどまでの彼の警戒心はただの冗談で、演技であると裏付けるかのように彼の態度は友好的なものへと劇的に変化した。
まるで、私が彼に対して警戒し壁を作ろうとしたことを察知したように、と考えた私自身が疑り深い人間のような錯覚をおこさせる。
「……」
無意識に私は笑顔の彼から離れようと一歩、後ずさる。
「可愛らしいお嬢さんには花が似合う」
「……あっ、ありがとう」
後ろに下がったというのにそれを怪しむような様子なく、オラトリオは何処からか出した赤い薔薇の花を私へと差し出す。
薔薇の花が届くように二歩、歩を進めて……私が離れた以上に近付いてきた。
私は彼の手から薔薇の花を受け取り、その薔薇の香りに首を傾げる。
「薔薇は気に入らなかったか?」
「ううん、この薔薇って香水でもたらしてる?」
一輪の薔薇にしては香りが強いような気がする。
花の近くで香りを嗅げば香るかもしれないけど、受け取ったとたんに香りがするなんてどれだけ強い香りなのだろう。
「いや……でも、何故そう思うんだ」
「香りが強いから」
「少し模倣が下手だったか。だけどなお嬢さん、此処は電脳空間だと知らないのか」
模倣だと彼は言ったが、私の手の中にある薔薇は生花のようにしか見えない。
ネットの中だと二人は言うし、自分がいる場所が少しばかり違う気もするが私が手に持っている薔薇は本物としか思えない。
「知ってると思う。エモーションがネットの中だって言ってたから」
「此処は現実とは違う。簡単に言えば今の俺もその薔薇もただのデータだ。もちろん、此処に居る君も」
知ってはいるし、違和感はある。でも、私も彼も薔薇も本物のような気がする。
此処がネットであるというのならば、もう少し違和感があって欲しい。
「まぁ、よくわからないけど一先ずはそれはいいや。今の私は夢を見てるだけの存在だし」
「夢?」
確認するようにオラトリオが繰り返し、顰めた眉が妙なことを言い出したぞっとでも思っていることを表す。
少しばかり彼の巧妙な仮面が剥がれたような気がした。
「そう、夢の私はいつも不思議な場所に現れてしばらくすると生身の私が起きて現実に戻るの」
「……今、戻ってみてくれるか?」
「無理、いつ起きるかなんて夢の中の私は知らない。本当は起きてるはずだったけどこんな状態だし」
彼も今の私もただのデータなのかもしれない。でも、私は目が覚めればデータではなくなる。
何らかの事情ですぐに起きれなかったみたいだけど、きっともうすぐ私は起きる。
夢の中に居る自分の意思では起きれないけど……。
「本当は?どういうことか話してくれるますかね。お嬢さん」
夢物語を語り始めた愚か者。まるで、自分自身がそんな愚か者のような気がしたがオラトリオに私は今までのことを掻い摘んで説明をした。
この不思議な夢の中で今まで出会ったロボット達のこと、カシオペア博士のお宅にお邪魔というか不法侵入していつもと同じように起きると思ったのにいつの間にか此処にいたと説明した私を彼はあからさまに馬鹿にするような真似はせず、私の説明の中で不明瞭な点があれば指摘し訊ねるだけでそれ以外では黙って聞いていた。
よく喋るロボットだと思っていたけど、オラトリオは実はかなりの聞き上手でもあるらしい。
意外だと思ったけれどそう思った私のほうこそ彼を色眼鏡で見ていたのだと自覚する。
何故か彼に対してだけ、素直に彼の好意を私は受け取る事ができない。
どうして彼にだけ否定的に捉えるような考え方をしてしまうんだろう…――