夢の歯車

15


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「……さんっ!さんっ!」
必死に私の名を呼ぶ女性の声。その声の主は今にも泣きそうで…もしかしたら、泣きながら私の名を呼んでいるのかもしれない。
そこまで必死に名を呼ばれる事態というのが思い浮かばないけれど、起きないとね。
瞑っていた目を開ければ自分が想像したとおりに今にも泣きそうな顔をした女性、エモーションが目の前にいた。
「気がつかれましたのね」
「……えっ?」
私が目が覚めたのを彼女が喜んでくれているというのに彼女が居たというそのことに私はまず驚いた。
夢から覚めているはずなのに夢の続きを私は見ているらしく、記憶があるかぎりでは今回が初めてだった。
「電脳世界にいらっしゃったことで悪い影響がないかと心配で」
戸惑う私の様子にエモーションは指を三本立てたりして、何本見えるかなどと聞いてくる。
それに答えつつも私は聞きなれない『電脳世界』という言葉が気になった。
「電脳世界って?」
「此処はネットの中、先ほどまで貴女がいた現実とは違う場所です……今は外部とは連絡が取れない空間にいますけれど、さんが目覚められたのならネットワークを復旧させませんと皆さんにご心配をお掛けしておりますわね」
ネットの中、電脳世界。私が居たというカシオペア博士がいたところとは違う。
それでもどちらにしても私にとっては夢の中のはず…――なのに、いつもあった夢の中に居るというぼんやりとした感覚がない。
何やら霞がかったようなあの独特の感覚がなく、真っ白で奇妙な空間にいるというのに現実味を帯びている。
「5分ほど経過しているぐらいのはずですけれど明かりもなくご不便をかけてますわ」
私が目覚めたことで優先事項を私から一先ずは変えたらしいエモーションが真剣な表情で何もなかったはずの空間からバネルを出現させ、そのパネルを指で打っている。
その一生懸命な様子に彼女の手伝いをしたい気持ちはあったものの、何をしたらいいのかわからないので私はぼんやりとエモーションを見つめていた。
パネルを打つたびに凄まじいほどの数字の羅列が渦を巻いていたけれど彼女の表情が良くならないのは上手く復旧が出来ないのだろう。
それでも彼女は諦めずに復旧作業をし、私はどうすればいいかと辺りを見回して不思議な糸に気付いた。
半透明な、テグスといった感じの糸が壁と思われるところからシュルリッと姿を現しているのだが微妙に左右やら上下に動いたりしている。
「あの、エモーション」
真剣な彼女に話しかけるのは心苦しいけれど、あの微妙な糸が気になって私はソレを指差しながら彼女に声をかけた。
「何かありましたかしら?」
パネルを打つ手を少し緩めた彼女は私が見つめ、指差す方を視線で追って。
「まぁっ!回線ですわ」
笑顔となってエモーションはパネルを今度は打つ手を速めた。
パネルからシュルリッと薄く緑色に輝く糸が出て、半透明な糸の元へと辿り着いたと思えばその二つの糸は綺麗に繋がる。
「貴女のおかげですわ」
「どう致しまして」
何が起きたのか私にはわからないもののお礼を言われたのでその場にあった返答をしておく。

ぷるるるる

空間に電話のコール音のような音が響いた。
一体、何事だろうかと辺りを見回した私の横でカチャッと受話器をとるような音が聞こえ、そちらを見ると受話器をとったエモーション。
電脳空間って何でもありなのかな。
「はい、<A-E>EMOTION-ELEMENTAL-ELECTRO-ELECTRAですわ。私達は大丈夫ですわ……私達とは私とさんですけれども……此方の状況は……」
徐々に専門分野的な話になってきたので私は電話が終わるのを待ったが、何やらエモーションが受話器から耳を離せば、首を傾げながら私のほうを見て。
「オラトリオ様から電話を代わってくれと仰っておられますわ」
電脳世界に知り合いはいないし、専門的なのはわからないのに……あれ?
「オラトリオ?」
聞き覚えがある名前だ。今までの夢は同じ夢の続きであったのなら彼が居てもおかしくはない。
私の記憶間違いでなければ『オラトリオ』は空港でであったロボットのはず、エモーションから受話器を受け取って私は耳に当てる。
「あの、もしもし?」
「やぁ、空港でのお嬢さん」
想像通りの空港で出会ったロボットの声が聞こえてきた。
ただあの時よりもその声がおちゃらけているように聞こえるのは気のせいだろうか。
「お茶のお誘いは間に合ってます」
彼の真意が掴めないのと、予測不可能な事態に陥っていると断言できる今の状況の為にナンパな相手をする暇はない。
「……もう少し、駆け引きを楽しみましょーや。お嬢さん」
考えがわかったのか、彼はそう言って幾分かテンションをおとした。
彼との付き合いの真髄をみたというのは過言であるだろうけれど、彼のノリに合わせていたら此方が疲れるだろう。
日本人にないラテン系なノリを今の彼は出してきた。空港で出会った時には強引過ぎるところはあったもののイギリス風な紳士さだったのに。
「言われなくとも楽しみたい時は楽しみます。今はご用件をお伺いしたいんですけど?」
私はオラトリオに用件を言うように求め。
「今回のことで話があるんでエモーションと一緒に居て欲しい」
「……どうしていいかわからないし、消えない限りは一緒に居ます」
もしかしたら、夢から覚めて消えるかもしれない。
そうなったら彼との約束などは守れないし、此処に居るよりも目覚めたいからそうなったら守れなくてもいいと思う。
「まっ、それでよしとしときましょう……彼女に代わってもらえますかね」
私は彼の言葉に答えずに近くエモーションへと受話器を差し出し。
「彼が代わってて、エモーション」
「ありがとうございますわ。さん……お電話代わりました。はい、さんと……ですが、ホームセキュリティが……」
笑顔で受話器を受け取った彼女の表情が相手の話を聞いている間にクルクルと変わっていく。
「――…わかりましたわ。ホームセキュリティが起動している状態であるのならば私がしばらくの間はいなくともかまいませんでしょう」
お話の決着はついたらしい。
エモーションが受話器を置けばチンッと何やら懐かしい気持ちになる音がした。
さん、オラトリオ様が此方にもうすぐいらっしゃるそうですわ」
彼女が誰かを様付けをするのはすんなりと聞ける。聞けるのに、その様付けする相手があのナンパなロボットであるのが少し不思議。
彼は様付けされるような役職についていたれするお偉いロボット様なのかも、それとも彼女が私を様付けしたように様付けしてそのままなのか。
そんなことを私が考えているとは知らないエモーションが考え込んでいる私を心配そうに覗き込んでいるということに私が気付いたのは少し後のことだった。

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