はじまりというものが唐突であることは、昔から知っていた。

カミュ視点


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新たな弟子をとる様にという聖域からの報せを受け取ってから、
どのような弟子が来るのだろうという期待とまた修行を逃げ出されるのではないかという憂鬱。
本来なら自身で迎えに行っていたのに今回は幼い弟子アイザックがいるからと迎えには行かなかったが、
吹雪いている為に予定より遅れている弟子の到着にそれを後悔した。
弟子を連れてくる使者が誰かは知らないが新たな弟子はこの寒さでシベリアに来たことを後悔しているのではないだろうか。
流石に修行をせずに逃げ出した弟子はいないが今回のことで新記録達成となったとしたら……。
そう思い悩んでいると覚えのある小宇宙が近づいてきていることに気づいた。
アルデバラン、彼が私の弟子を連れて来てくれるのであれば身の安全は保障されているというものだ。



家にたどり着いた二人を迎え入れる。すぐに扉を閉めたものの外気の寒さで一度冷えるとすぐには元には戻らない。
「アルデバラン、寒い中すまなかったな」
目が私の弟子となるだろう幼子に向きそうになるが、まずは連れて来てくれたアルデバランに礼を言うべきだろう。
「いや、ちょうど任務の報告に戻ったところだったからな。
 それにこの天気を思えば俺でよかったと思うよ」
アルデバランに抱えられた子どもには寒さに震える様子はない。彼の小宇宙で守られてきたのだろう。
聖闘士となるべく修行をする子どもに対してそれは甘いのではないかと思いはするものの、
まだ修行を開始していないのだから今回ばかりは仕方がないと何も言わないことにしよう。
「カミュ、この子がそうだ」
アルデバランに下ろされて私を見上げる黒髪の子どもの濃い焦げ茶の瞳と私の視線が交わる。
聖域から弟子育成の任務を受けて弟子を今までとってきたがこのような子どもは初めてだった。
これから始まる修行への意気込み、期待、怯えといった思いを欠片も感じさせず、まるで凪いだ海のようにただありのままにそこに居る。
「カミュ」
アルデバランの声で子どもから意識がそれた。
「すまない。この子なら修行から逃げ出すこともないだろう」
あまりにも見つめすぎていたらしく、アルデバランが怪訝そうに此方を見ている。
子どもを見極めていたのだという説明を兼ねて言葉を続ければ納得したように彼は頷いた。
だが、彼が納得しても子どももまた私に対してあまりよい印象は持たなかったのではないだろうか。
必要以上に甘やかす気はないが師弟としては信頼し、信頼されることは大切だ。
彼が私の顔をよく見えるように屈むと少し目を見開く、僅かではあるが表情が変化したことに嬉しくなって彼の頭を撫でると手のひらにその髪の柔らかな感触を感じた。
「私の名はカミュ、アクエリアスのカミュだ。お前の師としてこれから共に修行していくことになる」
「えっ、あ……です」
視界の隅に驚いたように目を見開いたアルデバランが映り。
『どうかしたのか?』
テレパシーで確認をとるとアルデバランの戸惑うような思考が流れてくる。
『彼の名前はタクミだ。という名は彼の姉の名だ』
『姉の?』
タクミという名であるとアルデバランは言ったが、このと名乗った。
確かに少しばかり間があったがそれほど、不自然というものではない。
『カミュ、一先ずは彼の言葉を否定しないでやってくれないか』
『わかった』
アルデバランが後で説明する気であるのなら、隠すことなく説明してくれるだろう。
この場はと名乗った子供のことを優先してやらねばな。
と言うのか?」
確かめるように問いかける。
「はい」
躊躇いなく頷き、向けられる眼差しはあくまでも澄んで真っ直ぐだ。
だが、彼が目線を下げた時にかなり疲労している事に気がついた。
幾らアルデバランと共に来たとはいえど子どもには辛かっただろう。
「長旅で疲れたのか?」
それに気づいたのは私だけではないようでアルデバランが声をかける。
「ベットの支度はしてある。少し、眠るといい」
師匠としては先に声をかけたかったのだが、仕方がない。
「はい、ありがとうございます」
礼儀正しく返事をする子どもに準備していた部屋に案内をしようと歩き出す。
「おやすみ」
アルデバランが子どもへと挨拶をし、それに返答をする様子は何処か大人びている。
甘えを感じさせないその態度は良い資質であるはずなのに何処か違和感を感じさせ、この子どもが歪な存在であるように見えた。
悪い子ではないと思うのだが……。



新たな弟子となった子どもを部屋に案内し、簡単に身繕いをさせた後に戻ればアルデバランは律儀にも立ったままで待っていた。
これがミロであったのなら何も言わずとも座っていただろうし、下手すると飲食物すら物色していたことだろう。
「座って待ってくれていればよかったのだぞ」
子どもの前ではなくなったのでギリシャ語で会話を始める。
聖域では基本的にギリシャ語なのでアルデバランとの会話はギリシャ語の方がしっくりとくる。
子どもには明日からギリシャ語を教え込まねばならないだろうが、
兄弟子達がいなくなってから寂しそうにしていたアイザックが彼の面倒を見てくれるだろう。
「少し考えることがあったのでな。立っていた方が考えやすかったんだ」
アルデバランに座るように勧めてから座り、新たな弟子のことで何か知っているらしい彼に視線を向ければ、
子どもの前では浮かべていなかった憂い顔にその内容が決して楽しいものではないことが解った。
「アルデバラン」
「あの子は日本人だ。彼の名はタクミ、先日8歳になった。
 両親と姉、四人家族だったが一年ほど前に交通事故で両親を失い、姉は今も意識不明の状態だ」
促がすように名を呼べばアルデバランが話し始めた。
「彼自身もその時の事故で怪我をし半年前まで入院をしていたが退院後、孤児院に預けられたそうだ。
 そして、その近くに任務で来ていた青銅聖闘士が強い小宇宙を感じて彼のことを見つけたらしい」
聖闘士候補生としては珍しくはないことだった。
世間一般には聖闘士という存在は知られていないのだから普通の親では才能があるからと言われて納得できるものではないだろう。
聖闘士候補生の多くが親が亡くなっていたり、生きていたとしても良い親でないことが多いのはその為かもしれない。
なのであまり相手の過去を詮索しないのが当たり前なのだが師であれば弟子のことは知っていなければならないと思い尋ねる。
「何故、姉の名を名乗るんだ?」
「事故の時、彼の両親は即死だったが彼と一緒に後部座席に座っていた姉はしばらく意識があった。
 彼女は救出されるまでずっと弟を励ましていたという彼女自身の方が重症であったというのにな。
 ――…あの子にとって姉の名を名乗ることは姉と共にいるような気がするのかもしれない。
 本人でないので確かなことはわからないが……」
家族を失いただ一人残った家族を求める気持ちはわからなくはないが情は戦いにおいて必要なものではないと常々考えている自分にとってはあまり良いように思えずに顔を顰めてしまう。
「そのような甘いことで聖闘士にはなれん」
「カミュ、甘さではなく覚悟の表れだとは思ったらどうだ。聖闘士になる為に今までの名前を彼は捨てたんだとな
 それに意識不明の姉から離れるのが嫌だと彼は一度断ったらしいが、
 姉の治療費の為に聖闘士の修行をすることに同意したというから逃げ出しはしないだろう」
「……まずは修行について来れるかどうかだ」
自分が考えるように甘さであるのなら彼は逃げ出すかもしれないとは思いはしても彼が逃げ出す姿は思い浮かばない。
逃げずに修行をあの子が続ける限り小宇宙を感じさせたという才を極限まで高めてあげるのが師としての私の使命か。

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