星の螺旋 第二部

第二幕のはじまり


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夢のようで夢でなかったらしい異なる世界で過ごした日々を思い出してから私の日常は変化した。それは、劇的ではないけれど確かな変化だった。
いつもであれば流してしまっただろう会社の同僚の一言にほんのわずかな無意識レベルの悪意を感じてしまったり、テレビのチャンネルを選んでいる時にたまたま映った外国語講座番組のロシア語をテーマにしていたそれを当たり前のように理解し、小宇宙だけでなく知識もまたしっかりと身につけているのかもしれないと知り、試しに習った覚えのあるギリシャ語の講座本を本屋で購入し、自室で一人きりになってから内容を確かめればその内容を理解できると知った。
女神に仕え地上を護るために小宇宙という力や詰め込まれた知識であるはずだった。それなのに女神も師であるカミュも兄弟弟子達もいないこの世界に私は持ってきてしまっていた。
それゆえに私はあの奇妙な夢をただの夢だと断定することは出来ず、現実であると認識するには彼等と過ごした日々は非現実すぎる内容でありすぎた。
私が読んだ漫画にはという少年は存在せず、カミュの弟子はアイザックと氷河以外はすべて逃げ出してしまったらしい。
私が身体を借りてしまった少年は本来であれば逃げ出してしまった子の一人だったのかもしれないと思う。
氷河を救うためにアイザックが極寒の海へと助けにいくのは原作どおり、そしてそれを追ってである私も海へと飛び込んだのが、あちらでの最後の記憶であの状況を思えばはきっと助からないだろう。
彼の身体を借りてしまったのは自分の意思ではないのだとしても海へと飛び込んだのは私自身の意思。私という異分子の所為で本来の話よりも悪い結果となったことを理解してしまった。カミュは弟子二人、氷河は兄弟子二人、アイザックは弟弟子を失ったことになった。
それは三人の心に影を落とすだろうことは共に過ごしていた私にはたやすく想像できる。彼らであれば時間が経てば立ち直ることは出来るだろうとは思う。
「……でも、罪を犯したことは消えない」
夢ではないけれど夢で、現実ではないけれど現実な遠い遠い次元すら超えてしまった何処かの世界で私は少年を殺し、師と兄弟弟子達を哀しませた。
この世界でその罪を知るのは私だけではある。誰かに話したところでただの夢か気が狂ってるとでも思われることだろう。証明するために小宇宙を高めたところでよくて超能力者扱いにしかならない。
カミュとの出会いで正直に精神は少年ではないのだと説明したほうが正解だったんだろうと今更、後悔した。そうすればカミュは私を祓うかどうにかしただろうし、無理だとしても普通でない子どもなど弟子にしなかったはずだ。
今回のことがなかったしても、きっと私はあのまま修行したとしても雑兵ぐらいにしかなれなかったし、修行している間はどのタイミングでも唐突に少年自身の精神が戻ったりしていたら大変だった。
落ち着いて考えてみれば自分自身に情けなさがこみ上げる。私は我が身可愛さで取り返しのつかないことをしでかして、そしてそれを元の世界に戻った私は忘れてしまったという最低さなのだから。
「この力は私欲で揮うものではなくアテナと地上の平和のために」
そのための力なのだと彼に教えられた。日が落ち、灯りをつけていない暗い部屋で小宇宙を高めれば小宇宙が微かに光を放つ。
私の小宇宙は凍気をまとっているがために周囲の気温が下がり、部屋の空気を徐々に冷たくしていく。
「カミュ、私は不肖の弟子だね」
最早、彼の弟子と名乗れるような立場じゃない。ではないから?世界が違うから?違う。私が聖闘士の誇りなど欠片も持っていないからだ。
私は異端になるのが怖い。私はこの力を世界の平和のために使うことが出来ない。それこそが、カミュの弟子に相応しくないという証。
高めていた小宇宙を沈めれば光が消え、冷たくなっていた部屋の空気の温度が戻っていくが、凍えた私の心は戻らない。
「……謝るための君の名前すら私は知らないや」
私が宿ってしまった少年にだって名があったはずなのに、私が自分の名を名乗ったことでそれを知る機会はなかった。
あの海流では少年の遺体は上がらないまま、墓らしい墓が作られることもないのだろう。
「ごめんね」
謝罪の言葉が虚しく響く。その響きを耳にして私はもう彼のために謝るのを止めようと決めた。
結局のところ私は私自身のために一人の少年を犠牲にした人間でしかなく、どれだけ後悔しようと偽善でしかない。





私の運命というものはかなりねじくれているのだろう。この夜、私はカミュ達が居る世界へとふたたび行くことになったのだから。
夢の中で出会ったのは私の小さい頃によく似た少女の名は、私と同じ名前の私が犠牲にした少年の姉。
彼女は言った。弟を独りにしないでっと。彼を犠牲にしたような人間に頼むほどに彼女は必死で、ただ願い続けていた。
その彼女の想いの言葉を聞いて私は頷いていた。それが偽善だったのかどうかはわからない。
夢の中で彼女の願いを聞いた後に次に目覚めた時、私は巧という弟を持つとなっていて自分ではそれが至極当然のことのように思えたからだ。

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