天の章 14.悪意なき誓い


白紅が餓鬼達を何とかした後もまだ座り込んでいる私と、そんな私にしがみ付いている蒼夜。動く気配がない私の前方に立った白紅は冷ややかな視線を向けてくる。
「部屋に戻りなさい」
やはり部屋の外に出ることは歓迎される事ではなかったらしい。
「わかった」
頷いてはみたものの、自分にしがみ付くこの子をどうすればいいのだろう。蒼夜が鬼であるとしても小さな子どもで邪険には出来ない。けど、この屋敷の持ち主は天鬼だ。そして、私の世話を不承不承ながらも努めてくれているのは白紅で、私はこの屋敷で何かを言う資格はないと思う。心情としてはこの屋敷から放り出したくはない。この子の事を白紅にお願いをしてみようかと私は彼を見上げ。
「あの、この子の事なんだけど」
「式鬼とした者の面倒は主である貴女がみなさい」
しき。一体どんな意味を持つのだろう。士気、指揮、四季とか色々と漢字は浮かんでも白紅がいった言葉の意味にはなっていない気がする。それよりも気になるのは『主である貴女』というのはどういった意味?
「ねぇ、主って……」
「そーやはのしき」
舌足らずな口調は相変わらずなのに私の名だけはハッキリと発音した私は自分にしがみついている蒼夜を見て驚いた。白銀の瞳が私をじっと見つめていて、いつからか見つめていたのかは判らないけれど蒼夜は私に期待していた。何を期待しているのかはわからないけれど、確かに蒼夜は私に期待している。
「どうかしたの?蒼夜」
「ううん」
私が名付けた名前を呼べば、蒼夜は嬉しそうに笑い私の胸に自分の顔を埋めた。彼のその行動が彼が期待していたのは私が名前を呼ぶことだったのだと知った。まるで親を求める子どものように、蒼夜は私を求めているらしい。天鬼と白紅の事だって何も解決していないのに、私は蒼夜という存在を抱えてしまうことになった。
「立ち上がれないんですか」
「立てるよ」
私は蒼夜を抱いたまま立ち上がる。蒼夜はこの年齢の子どもとしてはとても軽い。痩せている身体はもう少し色々と食べないといけない。そう考えて、私に食べ物を与えてくれるのは天鬼達だ。
蒼夜の分も彼等に用意してもらわなければいけないだろう。招き入れた事を快く思っていない様子の白紅が彼を放り出そうとしないのはどうしてなのか。
「白紅」
先に歩き始めた白紅の背に呼びかける。立ち止まろうとも振り返ろうともしない彼を私は蒼夜を腕に抱いたまま追いかけ。
「しら……」
名前を呼ぼうとして彼を見上げた私は、名を最後まで呼べなかった。あの時の白紅と同じだった。天鬼を想って、私が消える事を望んだ白紅と。
「此処から先は戻れるでしょう」
名前を呼んだ私に気付いているはずなのに、彼はそう言うと私から離れていく。必要以上に私とは一緒に居たくはないとでもいうかのように、足早に。
私は白紅の背を立ち止まったまま、その背が遠くなっていくのを見続けていた。
「あいつ、きらい」
「蒼夜?」
不意に腕の中に大人しく居た蒼夜が言った。
はそーやのなのに」
「はっ?」
「そーやはのものだけど」
人を物扱いするのは鬼の特徴なのかと思えば、今度は蒼夜は私のものだという。そう言った発言に深い意味でもあるのだろうかと考えてもよく理解できない。ただ、このままこの子どもの発言を訂正しておかないと教育上によろしくない。
「私は蒼夜のものでもないし、蒼夜は私のものでもないよ」
「ちがうっ!はそーやの」
私の言葉に蒼夜が私の布を強く握る。子どもとは思えないほどの強い力に慌てるものの、此処で『うん』とは言えない。
「私は私のものだし、蒼夜は蒼夜のものなの。わかった?」
「そーやはのしきだよ」
「だから、そのしきっていうのが解らないんだけど」
今まで白紅に気になる疑問は聞いていたけれど、今は聞く事はできない。彼らの言う『しき』とはどういうものなのだろう。
はそーやのことがきらい?」
まるで見捨てられたかのように、蒼夜は私を見ている。
「嫌いじゃないけど」
嫌いではないけれど、私は一度……この子を見捨てようとしていた。それを考えると純粋に好きだという言葉を言えない私に何を思ったのか。
はそーやのじゃなくていいよ。でも、そーやはのだよ」
否定しないでっていう想いが伝わってくる。私の名前のところを『ママ』だと考えると蒼夜の気持ちが説明できるのかもしれない。
鬼が子どもをどうするかわからないけれど、この子は愛情に飢えている子どもなのだ。一度は見捨てようとしたとしても、私は結局はこの子を助けた。助けたのなら、私に出来る限り最後まで面倒をみてあげなくてはいけないだろう。
「うん、そうだね」
私は蒼夜の言葉に頷く。
この小さな鬼が私に何を言っているのか本当に理解しないまま、彼の言葉に頷いた。