天の章 13.子ども


どれだけの時間、呆然と見ていたのか。まるで繰り返しのように爆ぜていく餓鬼達に神経が麻痺してきたころ。自分の腕の中で震えている子どもの事を思い出した。私が強く抱え込んでいた腕を緩めると、離れる事を恐れるように子どもはその小さな手でギュッと私の着物を掴んだ。それを少し息苦しく感じたけれど、怯えた子どもを無理に引き離すのは酷い事だ。
地べたに座り込んだままの状態から動けない私は力の入らない下半身に何とか力を入れてジリジリと戸から離れていく。
「……もう、大丈夫だよ」
子どもだけでなく自分にも言い聞かせる為に私は言葉を発した。まだ餓鬼に追いかけられた恐怖は抜けない、いつ餓鬼が爆ぜる事無く此方へと入ってくるのかが心配で餓鬼達から目を話す事も出来ない。その為に私は子どもに注意を払っておらず、怪我をしたのかどうか確認する余裕すらなかった。
「……」
震えるだけだったその子どもが不意に身体を動かし、私の胸に埋める様にしていた顔を上げた。その事で私の意識が餓鬼から子どもへと移り視界の隅ではなく、きちんと子ども自身を認め、見る。青ざめた顔色などではなく紛れもなく青みがかった肌の色、深い青の髪に白銀の瞳。子どもは決して人ではありえない色彩の持ち主だった。
「えっ?」
まだ子どもの可愛らしい顔立ちではあるが、目の前の子どもは鬼?鬼であっても餓鬼に追われて逃げる事になるのは子どもだからか。ただ見つめていると子どもと視線があった。
「僕、名前は?」
何も言わないままで無言で見つめているだけではどうすればいいかわからない。まずは名前を聞く、僕とは言ったが可愛らしい顔立ちの子であるから、もしかしたら女の子かもしれない。その子どもは無言でふるふると首を振った。見知らぬ人とは話してはいけないという教育でも受けているのだろうか。鬼がそういう教育を子どもにするかどうかは知らないけど。
「私は。名前がっていうの……君は?」
自分から名乗ってみる事にしたが、子どもはふるふるとただ首を振る。
「名前いえない?」
「あー……うぅ……」
意味不明な子どもの声に私はどうしたらいいのか迷った。この子どもの親を探す事になるのならば、名がないのは困る。だけど、言葉を話す様子のない子どもに名を言えと強要する事はできない。私は子どもを見つめていたが仮でも名前を呼んだ方が子どもがもしかしたら安心するかもしれない。
「じゃあ、お姉ちゃんが名前をつけたあげる」
私の言葉に子どもが瞳を大きくして、コクリッと頷いた。嫌がってはいないらしい様子に私は子どもの名前を考える。悠長にしていてもいいのかという思いはあったがこれだけ入ってこれなかったならば、大丈夫のはずだ。
「蒼夜」
月夜の空の色のような深い髪が印象的な子ども。その容姿から連想した漢字を適当に語呂がいいように合わせた名前。深い意味など無く、私のその子どもに対するイメージだけで名付けたその名を…――
「……そーや」
子どもは嬉しそうに呟いた。怯え不安げだった先ほどまでの様子はなく、私に名を付けられた事を喜んでいる様子の子ども。そーや、そーやと少し舌足らずな口調でただ繰り返す様子は、欲しいおもちゃを貰って喜ぶ子どものように無邪気だ。子どもの恐怖が消えた事はいい事だけど、それほどに名前をつけてもらったことを喜ぶ事が私には理解できない。
爆ぜる音は先ほどよりも頻繁ではないがまだ聞こえ続けている。いい加減に戸を閉めるか、此処を離れるかした方がいいような気がしてきた。諦める事のない餓鬼達の群に嫌気が差していたし、この音を聞き続ける事は不快だった。だが、私が意を決して子どもに話しかける前に地面を踏む音が背後の方から聞こえ。
「逃げるつもりでしたら、もう少し上手く逃げてください」
後ろを振り向き、背後に立っているらしい人物の顔を見るために視線を上げると酷く冷めた目と合った。覚えがある声の調子で白紅は呆れたように言った。数日間の何処か感情を置き去りにした声よりも、此方の方がマシだと改めて感じていたが、白紅は私が抱いている子どもを見ると眉間にシワを寄せ、苛立ちを隠す事のなく。
「貴女は何を考えてるんですかっ!」
闇鬼と出会った事を叱った時とは違った様子ではあるが、今回もまた白紅的にはいけない事を私は仕出かしたらしい。私と蒼夜を交互に見比べていて、私は蒼夜がまた怯えたりしないだろうかと様子を確認すると意外な事に怯えるどころか逆に白紅を睨みつけている。
怯えないのはいい事だけど白紅を怒らせたりしたら、子どもといえど容赦はされないのではないかとハラハラしてしまう。
「この屋敷に鬼を招き入れるなど」
やはり蒼夜は鬼だったのか。鬼と関わるなという事を私は散々言われてきた。それを破ったどころか客でもない私が誰かを連れ込むのは叱られるような事だろう。
「でも、アレに追われてて」
「追われて?……まぁ、いいでしょう」
私はアレと言いながらまだ続いている音の主達を見つめる。白紅は不快そうにそれを見つめていたが戸へと近付いて、餓鬼達を犬を追い払うように手を動かした。
それにどれだけの効果があったのかはわからないけれどすぐに音は聞こえなくなって、白紅が戸を閉めているらしい様子が見てとれた。ただ怯えて逃げるだけの私からすれば酷く簡単な扱いだったが、天鬼や白紅はあの餓鬼達よりも強いらしい。