しらくが向かうのは私が寝ていた部屋だと思っていたのに、案内してくれた部屋は違っていた。
「此処にしばらく居なさい」
そう言われ入った部屋は書物が至る所に積み重ねられていて、その様子は闇鬼さんがいた部屋とは違って生活観があった。
「あの?」
あるからこそ、元の部屋ではないのは確かだった。彼が間違ったという事はないだろうと思うが、誰かの私室と思える部屋でどうして過ごさなくてはいけないのか。
「ここ、誰の部屋?」
部屋の中を見回してから、しらくに訊ねた。
「私のです」
「どうして、貴方の部屋なの?」
「……」
驚いて私は思わず問いかけた。彼は私の事を嫌っているはずなのに……私の声は聞こえていただろうに彼からの返事は無い。もしかしたら、そのまま出て行ってしまうかもしれないと考えたが、彼は小さくため息をつき。
「此処にいれば闇鬼王とて貴女に手出しはできませんからね。貴女の世話を主よりお預かりしている身としてはこれ以上の面倒を避けたいからです」
「……お世話かけます」
眉をひそめた様子を見れば、かなり迷惑をかけたのだろう。美麗な男性のそんな表情に免疫の無い私は罪悪感を感じて、少しばかり反省した。
「そう思うのならば勝手な行動は慎みなさい」
が、反省したことをすぐさま後悔する。此方が反省したというのに、彼は私を睨みつけ冷ややかに言ったからだ。そういえば名前だって呼んでくれたりしないし……。
「あっ」
呼んでくれないって私は彼に自分の名前を言っただろうか?教えてもいないのに名前を呼んでくれないというのも間違っているような気がする。
「名前を教えてなかったよね。が私の名前」
「……それで?」
名乗ったというのに彼の視線は変わりがない。
「それだけだけど……」
いや、変わるとは期待していなかったさ。名前を教えただけで友達になれるような相手ではないとはわかってはいたんだけどね。それでも落ち込むものは落ち込んでしまう。がっくりと肩を落とし、はぁぁぁっと長く深いため息をついた。
「白紅」
「へっ?」
しらく、そう聞こえた気がして間抜けな顔で見上げてしまう。
「白紅が私の名です。知っているでしょうが貴方に名乗ったことはありませんでしたから」
教えてくれるとは思わなかった。表情はこれっぽっちも変化はなく、それどころか苦虫を噛み潰したような顔だったが、彼の満面の笑みとか期待出来ないと思うのでそれは気にしないでおく。
「あっ、うん。だけど漢字とか知らないんだけど」
そんな顔するなら教えなきゃいいのに……とか思いつつも、漢字を訊ねた。此処で聞いておかないと教えてもらえるタイミングはあまりなさそうだし。
「貴女なら教えても特に何も無いでしょうね。白と紅、それが名を表す字です」
何か一言多いけどこれまた素直に教えてくれる。その素直さに喜ぶより逆に不安を覚える私が天邪鬼なのだろうか?でもさ、どう考えても好意的でなかった彼が手のひらを返すとまではいかないけど態度は軟化している。関係ないって態度だったのに名前を教えてくれてるわけなんだから、友好的になってるんだよね。
「そうですか」
「……」
不味い。よくわからないけど不味い。私の返答に一気に白紅の不機嫌さが増したように思う。冷ややかなその視線に遠慮というものはなく、居心地はすこぶる悪い。
「あっ、あと、どうして王様が二人いるの?」
無言の視線に堪えられずに何でもいいからと私は質問をする。その質問に白紅の目が少し見開かれたように思ったのは気のせいだろうか?確認しようにもその表情は一瞬で消えてしまっていた。
「答える必要がありますか?」
目を細めた白紅は私の言葉の意味を探っているのか見つめてくる。
「ない、けど……気になる」
視線を見返せずに私の視線は畳へと向けられた。
「鬼の世では強き事が全て、ですが、ただ力が強いのみの鬼では鬼の忠誠を得る事は出来ません。そのような者は王と呼ばれる事はありませんし、時にはそれ以上に強い力によって滅ぼされます。王と呼ばれるほどの鬼とは知恵があり、神通力も強く、身体も頑強で力も強い一際抜きん出た鬼の事を『王』と恐れ鬼達は王と呼びます」
鬼の王様の条件とは、判りやすいのか判りづらいのか。強い鬼がなるって事は理解できる。理解できるけれどもその強さとは何だろう。人間で言うところの文武両道というかヒーロー?
「えっと、つまりは王はたくさん居てもいいの?」
強い鬼がたくさん居たら鬼の王はどれだけになるのか。
「王と呼ばれる方は天鬼様を除き二鬼。けれども、現在のように三鬼が王と呼ばれることは異例の事です」
鬼の世界がどれだけ広いのか鬼がどれだけ居るのかは知らない。知らないけど、どうして私はその三人いるらしい鬼王の二人と出会っているのだろうか。
「闇鬼さんもそのうちの一人なんだよね?」
「闇鬼王は三柱のうちの一鬼で最も策略家と評される鬼。……あの方の行動は意味が無いように思えて、その実は意味がある事が多い。しかし、何を思って貴女に興味を示したのかはわかりませんが、天鬼様を裏切るような真似をせぬ事です」
白紅の言葉の意味がよくわからなかった。闇鬼さん、彼が私に興味を示したようには思えない。そう思った時にかすんだ記憶の中で何か引っかかりを覚えたけれど私はそれを振り払い。
「……裏切ったりしないし、そもそも裏切るような立場でもないと、思う」
私は天鬼に白紅のように忠誠を捧げているわけじゃない。
「貴女は天鬼様のモノなのだから、天鬼様か私の許しなく他の鬼と二人きりにならぬこと。少なくとも、それぐらいは覚えておきなさい」
何となく、お前は私の母親かっ!と怒鳴りたくなった。モノとかいう内容に怒るところはだとは思うんだけど、彼にはそんな心遣いとか求めても無駄な気がする。
天鬼様のところを父親、他の鬼を男性って置き換えるとまさに母親の言葉のようになる。こんな事を考える私は余裕があるというか出てきたというか……この奇妙な夢を受け入れ始めているのだと思う。まぁ、その後で割烹着姿の白紅を想像して噴き出した事で無言の白紅に長い間、睨みつけられて生きた心地はしなかったけど。