次に目覚めた時、かなり調子がよかった。朝のようなのできっと次の日なのだろう。
私が上半身を起して伸びをしても腕に痛みが走る事はなく、ぱっちりと目が覚めて少しも眠くないし、身体も軽いとくれば。
「よしっ!絶好調っ!」
人生のうちでも何回味合えるかどうかわからないぐらい今日は調子がいい気がする。
私が現在も白い浴衣というか着物の寝巻きを着ている事を考えると、未だに天鬼達が出てくる夢の続きらしいけど、それならそうで夢の中を満喫する事にして部屋の襖を開けた。その先は私が寝かされていたところよりも少し狭い和室、たぶんこの建物は和風家屋で全室が和室だと思うんだけど……。
「次かな」
部屋を見ていたいわけではないので次の襖を開けると今度は和室ではなく縁側に出た。広い庭があって、そして塀の向こうにある緑の濃さは山らしい。他の建物は此処からは確認できない。それだけでなく人工的な物、例えば電柱なども一切見えなかった。目を凝らして見てみても目に入るのは木々ばかりでとても目に良さそうだが、こんな景色は見覚えはない。自分の中にある記憶にはない場所。雑誌か何かで見て夢の中の舞台として登場させたのだろうか?
夢というのは細かなところ何かはぼやけてそうなイメージがあるのに視線を何処へ向けても見える物に違和感はなかった。
誰もいないのだろうかと呼びかけてみようとして、天鬼としらくの言葉を思い出す。彼等は鬼であるという。それなら、そんな彼等が暮らす此処には鬼しかいないのでは?
「ここは抜き足、差し足、忍び足ってか?」
鬼に会って食べられのは嫌なので誰にも見つからないように静かに移動する事に決めた。この建物はとても広そうだし探険には向いているだろう。
幾つかの襖を開けたりしながら、私は元の部屋には戻れるように通路を覚えながら進む。
「不思議なほど誰もいないし、静かだわ」
開ける部屋、進む場所、そのすべてに誰もいない。静かに歩くのは結構、神経を使うので誰も会わないという事もあって普段どおり普通に回廊を歩き始める。私の足音ばかりでこの世界に私しかいないような気持ちになった。これがいつもの夢ならば天鬼かしらくがいるはずなのに、彼らの姿どころか声すら私は聞いていない。
「もしかして違う夢?」
ぴたりっと足を止めて私は前後左右を見回す。同じ場所に立っているはずなのに何かが変な気がした。
「……違うっ!」
違う。先程までと本当に同じ場所に立っているんだ。真っ直ぐに歩いているはずなのに前にある曲がり角につけないので、走り始めたけれど少しも近付かない。
「いやっ、何これ」
パニックに陥りそうになりながらも私は振り返って後ろに今度は走り出す。どちらでもよかった。今のこの場から離れられるのなら……なのに、何処にも辿り着けない。
先にも後にも私はいけないままに息が荒くなり、足がもつれ始めた。それでも先に進もうともう歩くと変わらないだろう速さで走る。
「……騒がしいな」
見知らぬ声が響いた。その事に驚いて立ち止まった私の膝が崩れ落る。走りすぎてもたついた足だからというだけでなく……。
「何かと思えば人の娘か」
声に視線を向ければ少し先にあった襖が開いていた。先程まではそこまでも辿り着けなかった襖が開いていて、その襖を開けたのだろう人が私を見下ろしている。その人がまとう色は闇、その髪も瞳も深い闇の色をして闇の衣をまとった彼はその口元に笑みを浮かべている様は何て優美な事だろうか。
見惚れてしまうほどだというのに、それと同じほどに恐怖を覚える――…そうだ。彼は…彼もまた。
「鬼?」
優美な美しさと天鬼からも感じる強い存在感を彼は持っていた。天鬼を逞しく、力強いと例えるとしたならば……彼はしなやかで、冷たさを感じさせる。そう天鬼とは正反対にも思える性質だというのにその存在感は何て大きいんだろう。
彼の声を聞いたときに崩れ落ちるように足は動かず、誰にも命じられていないというのに私は立つことが出来ない。
「ほぅ……直感は優れておる」
彼は襖から回廊へと出てきて私の前で膝をつき、私の頬へと指を滑らせ。
「なるほど、華姫か」
かき?彼の言葉を理解出来ずに私は瞬きをする。それは私の名前とでも思っていたりするのだろうか?
「……私は…ですけど……」
言葉が今にも喉の奥に留まりそうな感覚を堪えて私は名前を彼に教えた。彼はツイッと私のあごに手をそえて私の視線を上へ向け、彼と視線が合うようにさせられる。
「我は闇鬼と呼ばれている」
相手が律義に私の自己紹介に返答をしてくれるとは思わなかったので少し驚いた。
「……あんき?」
相変わらずに漢字が思い浮かばない。たぶん、最後の『き』は鬼であっているのだろうけど……。
「闇の鬼と書く、人であるそなたが焔鬼王の屋敷に居る理由は華姫であるがゆえだろう?」
闇の鬼とは彼にとても似合っている。
最初に彼について思ったのは闇をまとう者だと思ったのだから。
「かきって何ですか?」
ただ、彼は私の名を知っても『かき』と言うという事は名前ではなく何か別の意味があるのだろうか。
「あぁ、そなたは知らぬのか。いや……アレとて知らぬままにそなたを連れて帰ったのかもしれぬな」
彼は後半で自分で問い掛け、その答えを自分で見つけたのか。
「華の姫と書いて華姫と言う」
私の問いにも答えてくれた。しらくとは違って私への対応はしっかりとしているのに、しらくよりも私は彼の事を怖いと感じる。直接に害した事もあるしらくよりも……どうしてだろう?手が外されて安堵したものの、私の目の前にはそのまま手が差伸べられているのでその手の主である闇鬼を見上げる。
「……立ち上がらぬのか?我としてはそのままでも構わぬがな」
笑みを浮かべた口元、そして彼の視線の先は私の顔ではなくもう少し下でそのまま視線をおろすと足が崩れ落ちたときにまくれ上がったのか太ももが見えていた。
「っ!」
慌てて見えないようにしたものの、彼との会話の間はずっとあの格好だったのだ。すぐにとは言えなくても教えてくれた彼は親切なのだろう。こうやって、手を差し出してくれているのだし。
「ありがとうございます」
礼を言って私は彼の手を借りて立ち上がった。先ほどまで動かなかったのが嘘だったかのように足は動いた。
鬼という種族である彼らは例外なく背が高いのか、闇鬼もまたかなり背が高い……でも、天鬼よりは少し低いだろうか。
見上げる私の視線に気づいた闇鬼は私の顔へと視線を向け、微かに笑みを浮かべたがそのまま何も言わずに私の手を引いた。その手に私は逆らおうとも思いはせずに、彼に導かれるまま彼が先ほど開けた襖から部屋へと入り、無限回廊のようなあの回廊から無事に抜け出した私は一息をついた。