しらくが言葉どおりにお粥を持ってきてくれて、そしてまた去ってから考えたのは天鬼のこと、気が向いたら来るということはいつ来るのかは予測できない。何より天鬼は来てくれるのだろうか?しらくが私のことを天鬼が救ってくれたようなことを言っていたのだからお礼はしておかないといけないだろう。
私は寝すぎた所為か布団に横になっても眠れずにいる。ごろり、ごろりと転がってまた反対に転がり、身体全体で暇だという事を表す。不思議なのは庇っているわけでもないのに腕があまり痛くないってことだ。まぁ、その所為で調子に乗ってごろごろっと転がっていたわけなのだけれど、転がっている途中で開いた襖には驚いた。
「……何をしている?」
俯けになったところで転がるのを止め、怪我をしていない方の手を使って上半身を上げて身を起す。
先ほどから来てくれるかと考えていた相手ではあったけど、呆れたように私を見ているような気がする彼に声すらも掛けてくれる事なく襖を開けるのはどうかと思うと文句を言いたい。
転がるなんていい歳した女がする事じゃなかったけど、暇だったんだからしょうがないじゃないかと、言い訳を心の中でした私だが、やはり自分の行動を思い返すと恥かしいので天鬼から目線をそらす。
「、怪我人が暴れるな」
微かにため息をついて天鬼が言った。しらくの言葉が本当であるのならば彼もまた鬼であるはずなのに……。
「心配してくれるの?」
「お前は俺と違って脆いからな」
一線を引いているようなことを言ってから、天鬼が私に近付き腰に手を添えたと思ったら軽々と持ち上げられて布団の上に寝かせられた。まるで幼い子どもを持ち上げるみたいに軽々だったのは彼が鬼だから?
「もうあまり痛くないんだけど」
私は上半身を起して左肩をぐるぐると回して見せた。少しズキとするけどそれぐらいで我慢できないほどじゃない。目が覚めたときに感じた痛みよりだいぶ良くて感覚としてはちょっとした打ち身程度だ。
「白紅の力だろう。治った訳ではないのだから大人しくしておけ」
天鬼は布団の脇に肩膝を立てて座った。
「しらくの?」
彼が手当てをしてくれたのだから、彼のお陰はあるとは思うけど『力』とは何だろう。こういう場合は普通に手当てのお陰と言うだろうし、手当てが力というのは変な感じがする。
「アヤツは鬼としては珍しい癒しの使い手だ」
力とは私じゃ理解できない特殊な能力の事らしい。
「癒しの使い手ってヤツだから私の手当てを?」
「それもあるが一番の理由は違う。アイツはお前を喰わないからだ」
彼等にしてみれば人間である私はもろいと思っているんだし、癒せる人……じゃない、鬼がいるのなら任せてしまうのだろうと、そう納得した私だったが、そんな私の思考を吹き飛ばす事を天鬼がごく当たり前な様子で言ってのけた。
「はっ?くわない?」
くわないとは、衣食住のうちの食の事?くわないという事が重要という事は此処では私を食べる事が当たり前って事っ!?あぁ、そういえば…――
「風呂場で……」
私は喰われかけたじゃないか。ただ襲われたとかではなく彼女は『おいしそう』と私を評価していたのだから。
「アレか。もう考える必要は無い」
一言であの出来事を切り捨てる天鬼。
「えっ、でも。また会ったら襲われたりするかも」
あの時の彼女は恐ろしく、私を獲物として見ていた。混乱していた私の記憶はそこで途切れていて、しらくと会話した時と変わらずに彼女からどうして助かったのかという記憶が無い。しらくの言葉からすると天鬼のお陰で助かったみたいなんだけど……。
「っ!……お前、覚えていないのか?」
「何を、ですか?」
ただならぬ様子に私は敬語で答えた。怯えたつもりはなかったけど、目付きを鋭くした天鬼に私は怯えたのかもしれない。
「いや、覚えていないのならそれでいい」
息を吐き出して、彼は目を逸らした。彼は私がどうして助かったのかを知っているのだろうと思うのに、それを尋ねる事が私には出来なかった。思い出したくない事なのだろうか?…――何を言ってるの。これは夢なんだから、きっとその事を夢見てないだけ。私はそう考えて、あの女性の事を思考から振り払って別の話題を考え出す。
「ああ、そうだ。しらくの事なんだけど」
「何かしたのか?」
しらくの名を出すと目を細めた天鬼。彼はしらくが私を気に入らないと考えている事を知っているのだろう。
「ううん、別にそういうわけじゃないんだけどね。彼に私を傷つけないようにって天鬼が言ってくれたんでしょう?お礼を言っておこうと思ったの」
天鬼の言葉がストッパーとなっていたのは確実で、それがなければ私はしらくに手当てされる事なくよくて放置、悪くて処分されていた事だろう。
「何だ。その事か……お前は変わっているからなしばらくは生かしておこうと考えただけだ」
「そんなに変わってる気はないんだけど、すぐに殺されないのはマシだよねぇ。それに覚えてないけど彼女から貴方が救ってくれたんでしょう?ありがとう」
何が変わっているのだろう見た目とか?でも、私はいたって普通の人だし性格だって取り立てて変というわけじゃないと思うんだけど。
「鬼に人はそのような態度は取りはしない」
鬼は普通人は恐れるものだと考えれば、私は確かにそれほど恐れているわけじゃない。
ううん、私は天鬼をあまり恐れていないのかもしれない。逆に何だか気が休まるような気がする。先ほどのように目付きが鋭くなっていなければという条件付だけど……。
「……あまり鬼って、思えないからかな。見た目は人と変わらないしさ」
彼は確かに普通の人よりも大柄だし、特徴的な瞳の色をしているけれど粗暴には見えない。しらくだって人間離れした色彩と美しさだが恐怖を感じさせるような外見ではない。
「あぁ……そうか。、お前には見えないのか」
「?」
天鬼の言葉に首を傾げると、天鬼が低く笑い。
「……特別だぞ」
何を?そう尋ねる前に天鬼の額に1本の角が現れ、彼の口元に牙が現れたように見えた。天鬼という姿に角と牙が現れただけだというのに、その姿は鬼そのものだと思ったのは彼の赤き髪と金色の瞳ゆえだろうか?
「どうして、急に現れたの?」
「現れたわけではない。お前が見えていなかっただけだ。お前は見る力を持っていないのだろうな。だから、ほんの少し見えるようにしてやった」
パチリッと瞬きをした私の言葉に天鬼が答えた。私には天鬼の角や牙を見る力が無いらしい。それは、肉眼で見るという事ではなく別の何かで見るという事で……。
「霊感がないって事?」
不思議な物を見るという事になるとそう言ったものだろう。
「そのようなものだ。神通力と俺達は言っている」
間違ってはいないようで天鬼からは否定されなかった。『神通力』というらしいと教えてもらったので今後、何か疑問があればそう尋ねてみる事にしよう。話している間に天鬼の角と牙は見えなくなった。角があろうと無かろうと天鬼は天鬼だけど、やはり無い方が落ち着くのは人である私の性なのかもしれない。
「ふぅん」
彼の説明で納得したようなしてないようなと思いつつ私は頷いた。その後、欠伸がでそうになったので口元を手で押さえかみ殺す。
「身体が疲れているのだろう。寝ろ」
「うん」
天鬼の声は優しい。鬼でも優しいのか。それとも、彼だから言うのか……。目を閉じて、しばらくすると私は眠りに落ちる。
そういや、不思議なことがある。どうして夢なのに私はこんなにも眠るのかな…――