ぼんやりと意識が少し覚醒すると自分の身体の調子が悪いらしいことに気づいた。身体が熱っぽいらしくだるいし、汗によっては張り付いた髪が不快だった。その不快さはひんやりと冷たい何かが私の額に触れ、それは布のようで額が拭われたことで汗のべたつきが拭われたことで軽減されたが、次に胸元に冷たさを感じたことには疑問を感じて目蓋は重いものの薄っすらと目を開け…――
「ぎゃあっ!」
目に飛び込んできた光景に私は思わず叫ぶ。だって、私の着ている浴衣ははだけられて胸がもろに見えているし、それを見てるだけでなく手拭いで拭っている知らない男がいるんだか当然だろう。
慌てて飛び起きて浴衣をかき合せたが左腕がズキリッと痛む。そうだ。怪我をしたんだと思い出した私はその怪我についてと、ついでに目の前にいる男についても思い出した。そう、知らない男ではなくよく知らない男なのだ。
その訂正は彼の初対面での行動を考えると不安になりはすれ、安心する材料にはならなかった。そもそも彼が寄越した女性が私の怪我の原因なのだしって、あれ?どうやって私は助かったんだっけ?
あの女性に襲われて怪我をした後の記憶が曖昧だ。思い出そうとしてまたもズキリッと痛む腕に思考は乱れた。……まぁ、夢だからご都合主義なのだろうと結論付けておこう。
「あの、しらくさん?」
今はそれよりも最初に首を絞めてきたその彼がどうして寝ている私の近くにいて浴衣をはだけさせたのかが知りたい。たぶん、艶事めいた事は無い。彼のその怜悧な美貌には少しも興奮した様子がないし、興味すら浮かんでない。
「一度も、その名を呼んでいいと言った事はありませんが?」
「では、何て呼べばいいんですか?」
彼の態度に苛立つものを感じたが、記憶にある首絞められ事件の為に私は彼に丁寧な言葉遣いを試みる。夢の人物に対してこうも下手に出るのはどうだろうと思うけど、やはり怖いものは怖い。夢の中でも夢に居る間の私には現実なんだから、それも仕方がない事なのかもしれない。
「呼ばないで頂けますか」
慇懃無礼とはこの事かしらね?幾らどれだけ顔が良くてもこれだけ性格悪い人はもてないわよ。少なくとも私はコイツみたいな彼氏なんて欲しくはない。
「起きたのなら腕を出して頂けませんか?熱はほとんど下がっているようですが、包帯は変えておいたほうがいいでしょうから……ついでに着替えさせようと思っていましたが起きたのなら自分で出来ますよね」
此処で彼の言葉に逆らえばどうなるかわからないので、私は大人しく浴衣の袖を上げ布が巻かれた場所を見せる。なるほど、その為に一石二鳥を目論んで脱がそうと考えていたのか。でも何というかさぁ……やはり嫁入り前の女性がいるのにその態度はどうですか?少しは慌てたり、悪びれたり、からかったりとかそういう反応してくれませんかね?夢の中で無視されるほどに私の魅力というのは低いのかしら、ううん、潜在意識で自分の魅力を低いと感じているって事だよね。目が覚めたらしっかりとケアしないと。
「何を考えているんです?」
奇妙なものを見るみたいな目で彼が私を見ている。
「別にいいでしょう」
友好的でない相手に友好的に接する必要はあまり感じない。もちろん、命の危険というのを考えたらもうちょっと違う態度を取るべきだったかと気づいて慌てたけれど彼は気にした様子はない。……あれ?彼はこの見た目に似合わずに短気のはずだ。
「首絞めないの?」
思わず聞いた。聞いて自分の馬鹿さ加減に青ざめる。これではまるで期待していたみたいじゃないっ!私は期待してないし、そんな趣味も無い。
「絞められたいんですか?」
あぁぁぁっ!しらくの馬鹿っ!私は心の中でちゃんと説明したじゃないか!もちろん、私の心の中などは知らないという事なんだろうけどね。知ってれば私の今の考えにどうされていた事か……。
「もちろん違います」
口に出して意思表示をちゃんと示しておく、気が向いたから期待に答えましょうとか言われたりすると困るもの。
こんな会話と呼べない間にも彼はテキパキと私の怪我の治療を終え、新しく包帯を綺麗に巻いてくれている。
「それはよかった。貴女を勝手に傷つけたり始末すると天鬼様に叱られてしまいますので」
叱られなければ喜んで始末していましたよ?と、笑顔で告げるしらくは皮肉な事に綺麗だった。
私は怯えながらも現在の彼は『私をどうにかするつもりはない』という事実にホッとする。酷く怒らせたりしなければ彼からは一応は身の安全は保証されているのだ。うろ覚えながら私は天鬼、彼と会話をした記憶がある。その彼が私の命を保証してくれたのならありがたいと思う。
自分の命の保証があるかないかという事を考えるようになるとは思ってもみなかったけど、平和に生きているのがどれだけ幸せなのか学べたと思えば得難い夢なのかもしれない。覚えていたらだけどさ。
「ねぇ」
名前を呼んではいけないらしいので私はそうやって彼に呼びかける。
「……」
手当ての為に持ってきた道具をきっちりと箱にしまい終わったしらくは私の呼びかけを無視した。
「ねぇっ!」
先程よりも大きな声で同じ言葉を使って呼びかける。これも無視してしまうのかと思ったけれど、しらくは私へと目線を向け。
「何でしょう」
「あの人は今は何処に居るの?」
私の問い掛けは、天鬼が何処に居るかというものであったから彼が不機嫌になるのは仕方が無いかもしれない。
「あの『人』ですか……あぁ、貴女はお気づきになられていなかったんですか?愚かな方ですね」
「愚かって!」
彼の蔑むような目と馬鹿にしきった態度に私は怒りを表した。意味もわからない事で『愚か』などと評価を受けたくはない。
「愚かだから愚かだと言ったのです。貴女は気づいていないのだから、彼女は貴女を襲う時に本性を見せていたのでしょう?そして、それを止めたあの方を見た。それならば愚かでないのなら気づいていいはずだ」
彼女?私を襲った彼女は……先ほどは思い出させなかったはずの記憶が彼の冷ややかな声で揺さぶられる。思い浮かぶのは豹変した恐ろしい姿。あの時に私は何と思ったのか…――
「……鬼?」
そう、鬼みたいだと私は思った。
「おや、ちゃんと理解していましたか。それを覚えていなかったのは愚かではなく間抜けだったんでしょうね。私達は鬼です。あの『人』という表現はおかしくありませんか?人と同列にするなどあの方に失礼でしょう」
私への評価を訂正してくれたらしいが、あんまり変わらない気もする。いや、少しはよくなったのかな?愚かか間抜けかのどちらがいい評価なのかと比べるのは始めての経験なのでよくわからない。
「よくわからないけど、気をつけておく」
自分は鬼だと告げているしらくの様子にからかっている様子は無い、それなら本当に彼等は鬼なのかと納得しつつ、私の夢の中は和風で鬼が出てくるという、現実離れしたこの展開にちょっとついていけなくて頭が痛くなった。
「天鬼様は気が向かれた時にいらっしゃいます。……しばらくしたら御粥を持ってきますから、それまでに着替えておきなさい」
立ち上がると箱を持って彼は部屋を出て行く。彼にとっては混乱している私なんてどうでもいいらしい事がよくわかる態度だ。
気にかけてたりしたら「どうしたんですか?」とか優しく聞いてくるはずだ。私は自分で想像した心配してくれるしらくがかなり気持ち悪かったらしく両腕に鳥肌がたった。それだけ私の中のしらくは冷徹というかSな人、いや、鬼ということだろう。