彼に引きずられながらも通路順を覚えようとしていた私だがこの家は広いらしく、曲がって真っ直ぐ行ってと何度か繰り返しているうちにその努力は放棄した。ちなみに曲がるたびに私の身体が壁にぶつかるかというとそういうことはない。彼には人を引き摺っても綺麗に曲がれるという無駄な才能があるようで私はただ引き摺られているだけ……まぁ、それだけでもかなりな負担なんだけど。
この夢は間違いなく悪夢だろうから目覚めるまで引き摺られるんじゃないだろうか?そう不安になっていたが終わりはきたようで彼が立ち止まり戸を開けた。
「つぅ!」
ごんっと床に頭を打ちつける。しらくの手が私の服から離れたからだが先ほどの赤髪の男といいこの夢の男共は人を物か何かのように考えているのだろうか。
涙目になりながら私を引き摺っていたしらくを見ると彼の冷たい眼差しが私へと注がれている。
「立ちなさい」
眼差し以上に温かみの無い声が彼の口からでたが、反発するような気力はない私は痛む身体をのろのろと動かして立ち上がる。ちらりっと視線を開いた戸の先へと向ければ向こうに戸がまたあったがそこは元から開けられていたようで湯がはられた湯船が見える。
しらくに押されて私は脱衣所に入ったが彼もまたそれに続いた後で先ほど開けた戸が閉められた……嫌な予感がする。
「身体を清めますから脱い…」
「いやっ!」
予感が当たり私は思わず彼の言葉を遮るように叫んで背を向け逃げだす。否――…逃げだそうとした。
「手間を」
苛立ちでか鋭さを増した彼の眼差しに身体が硬くなり動けなくなってしまった私へと彼は右手を向けて伸ばしてくる。また先ほどと同じように私の首を絞めるつもりだろうか……恐怖に動けるようになった私は左手で喉元を覆って下がった。そのまま下がっていったが脱衣所と風呂場の段差に足をとられ後ろ向きのまま倒れそうになり慌てて戸にしがみ付くことで転倒を免れる。
「おっ、お風呂なら入るから男性の貴方は出てって!」
戸にしがみ付いて身体を支えながら私はしらくへと訴える。これでも嫁入り前の娘なのだ。いくら目を見張るほどの美形とはいえ見知らぬ男が居る前で夢であろうとも脱ぎたくはない。
「……では、背を流す者を寄こそう」
微妙な沈黙はあれど意外にも彼はすんなりと私の言葉に同意し、脱衣所から出て行き戸を閉めていく。
実は断ったり無視するかと思っていたのにあっさりと去っていったのが不思議だった。
「あぁ、一緒に居たくなかったのか」
たぶん、彼の様子からするとその可能性は少なくはないと思う。誰かがまた来るみたいだけどあまきやしらくと違って少しはまともなはずだし、男性であることを理由に出て行くように言ったのだから少なくとも女性ではあるはずだ。
そろそろまともな人が夢にも登場して欲しいと思いながら脱衣所で私は服を脱ぐ。替えの服や入った後のバスタオルがないのは気になるけど……万が一、しらくが戻ってきて服を脱ぎもせずにここにいる私を見たら何をするかわからない。もんどう問答無用に服を脱がされ湯船に放り込むことぐらい彼はしそうだ。
その想像に身を震わしてから私はしばらく湯船に浸かることにした。
お湯の温度を確かめて好みの温度であることを確認してから掛け湯し、さて髪か身体を洗おうと木で作られた浴室を見回したものの目に付くものはない。これでは何で洗えばいいのか皆目検討もつかない。
シャンプー、リンス、ボディーソープのボトルが無いどこか石鹸すら見えない。極端な話、自分の手以外に道具も無い状態……道具があっても誰が使った物かわからないのは使いたくないけど。
「湯船にでも浸かっとこうかな」
何をしたらいいのかわからないので湯船に浸かる事にする。その方が毛穴とか開くらしいからそのまま洗うよりも綺麗になるらしいしね。
湯船につかり一息ついた私の耳に戸が開く音が聞こえた。しらくに呼ばれた女性が脱衣所の戸を開けた音ではないだろうか?そう考えてから私の中では来る人は女性となっていたがそうだとは限らない事に気づく、あの男に心遣いやら気遣いとかを期待できない気がする。
もし男性が来たらどうしよう?頼めば出ていってくれるだろうか……また彼等のような人だったら困る。温かい湯船に浸かっているのに私は身体を震わせる。カタンッと脱衣所と浴室を遮る戸が動く音がしたので慌ててそちらへと視線を向ける。湯気でぼやけた視界が戸が開けられたことで少しクリアになり見えたその人はほっそりとした着物姿の女性で髪を結い上げタスキをかけている。
「あっ」
よかったと一息つく、女性だろうと男性だろうと他の人に見られるのは恥かしいけど男性でないだけマシだった。しかし、あまき、しらくの彼等に続いてこの女性も和服という事は私は着物を着たいとでも願望を持っているのだろうか?オマケに彼女もかなり綺麗な女性だということは美人になりたいというような願望もありそうだ。
「失礼致します」
彼女は風呂場に入ると戸を閉め、桶にお湯を汲むと小さな台にも見える木の椅子をお湯で濡らし、新しいお湯を汲み。
「お身体をお流しいたします」
目を伏せて私と顔を合わさないその女性はそう言った。確かにその手には布、たぶん手ぬぐいを持っている。この夢は和風な夢なのか。夢の中という事もあって私は羞恥心を押さえ込んで湯船から上がると彼女に背を向けて椅子に座る。
「御髪をまずは」
おぐし?
「はぁ?」
私は何を言われたのか尋ねようと振り返ろうとしたがその前にお湯が頭へと掛けられる。目を瞑ってなかったので慌てて目を瞑ったが少しお湯が目に入り、桶のお湯が無くなってかけられるお湯がなくなったときに手で目元を擦った。
おぐしとは髪の事だったらしく、女性が私の髪を洗い始める…――この歳でよもや他の誰かに髪を洗われる事になるとは夢といえども思ってもみなかった。
本当なら断りたいのだがタイミングを逃してしまいそのまま彼女に大人しく洗われることにした。女性の細い指がしっかりとした力強さで私の髪を洗っているがそれが痛いわけではないし丁度良い強さだ。なのに何故か背筋がぞくぞくして不安になる。髪を洗ってもらうと次は身体ということらしく、彼女は首筋を布で擦り始めた。
「前は自分で出来ます。背中だけで結構ですから」
同性でも流石に前はご遠慮いただきたいと断った。だというのに、それでも彼女は首筋、腕、背中と洗っていくことに焦りを感じていた私の耳に入ってきた呟き。
「おいしそう」
私と彼女しか居ない此処でお風呂場では場違いなその台詞、私が言っていないという事は今、私の背中を洗っている女性が言ったはず。
おいしそう?此処に何か食べ物でもあるのだろうか?もしかしたら、桶か何かがこの夢の中では食べ物なの?それは勘弁していただきたい!と言いますか私は食べませんからね。絶対。
そんな変な事を考えていても、私の背筋の寒さは酷くなるばかりだった。湯船から出たことで身体が冷えたのだろうと考え、此処は早々と身体を洗って湯船に浸かろうと後ろの女性から布を受け取ろうと振り返って……。
「……きゃあぁぁぁぁっ!」
驚きに我が目を疑うとはこの事だ。しらく程ではないとしても顔立ちが整っていた女性がいるはずの後ろにまさに鬼女という姿の女の姿があった。
血走った目に唇から覗くのは鋭い牙に瞳孔が蛇の目のように細められている瞳。
「ねぇ、指の一本ぐらいはいいでしょう?」
鬼女が歌うように軽やかな声で問うてきた。うんっと頷けるわけがない。想像したくないがこの場合の指の一本とは彼女が私を食べるという事だというのが容易に想像できる。
私は捕食者が目の前にいるという事実を疑う事無く受け入れ、逃げるしかないという事実をヒシヒシと感じていた。背筋の寒気はこの事だったのか。この夢の中ではじめての同性ではあるがあの二人の男達に劣らず性質が悪い。いや、彼等は人を食べようとはしなかったのだから此方の方が悪質だ。
女性の細い指の先、爪が鋭く伸びて尖っていてあれで引っかかれたら痛いだろう。全裸なこの状況で逃げ出すのは多少、躊躇いはあるが食べられるよりはマシだ。
「っ!……つぅ…」
必死に逃げ道を探していた私に女が飛び掛ってきた。慌てて避けたものの女の爪が左腕を引っ掻き、私は右手で引っ掻かれた場所を触る。腕のただの水とも違う感触は血で。
「いや、助けて……」
これは夢、これは夢。そう私の理性は告げているのに私の本能がこの事態に恐怖し、身体は震える。
「ふふっ」
ぺろりっと舌で爪の先を女が舐め、自分の優勢だと知っている様子が見て取れた。助からないのだと絶望に追い込まれた私だったが、女の次の攻撃が来る前に戸が外れる勢いで開く。
「何をしているっ!」
実際、戸は外れたようで脱衣所の方に倒れたらしい大きな音が聞こえた。
「あっ、あぁ……天鬼様」
女が先ほどまでと一転して怯えた表情を現れた人物あまきにみせる。冗談かと思うほどみるみると伸びていた爪は戻り、牙もまた見えなくなってすっかりと最初見た時と同じ姿と彼女は変わる。
彼が来たことで助かりはしたのだが彼が怒っているのだろうその様子は怖くて堪らない。ただ幸いな事に今のその怒りは私には向けられていないのが救いだ。
この場に踏み込んできた彼は私と彼女の今の状況を理解しているのだろう。
「お許しくださいませ」
震える声で女は媚びた。その憐れっぽさは彼女の豹変した様を見ていなければ女である私ですら同情してしまいそうなほど。
「俺の意に逆らったと自覚しているか?」
激しい物言いではなかった為に私は彼が彼女を許すつもりだと思った。
「はっ、はい。もう…」
女の言葉が途切れる。
「……あっ…あ゛あぁぁぁぁ!」
血を吐き、絶叫が響く。
彼女の背中から腕がはえていた。
いや、あまきという男が女性の胸を貫いていた…――そして、私の意識はまたも暗転する。