屋鳥の愛
本編 〜8〜
白虎、彼は人から虎になって空を飛ぶという非常識の塊。彼は人が米粒ぐらいにしか見えないような高さをかなりの速さで飛ぶので、私は虎の首にしっかりと腕をまわしてしがみついているしかなかった。
「ついたぞ」
不意に聞こえたその声に、あまりの高さと風にずっと目を瞑っていた私は目を開けて下を覗き込んだ。ずらりっと並んだ船が模型みたいにみえる。
「たっ、高いんだけど」
落ちたりしたら私の身体はどんな風になる事か想像もしたくない。したくないのに、想像してしまう自分もいるのが悲しい。
「仕方が無いだろう。此処ぐらいまでが人が此方を認識することが出来ない高さなんだからよ」
「あっ、そうか。驚かれるよね」
私が人を米粒ぐらいと認識しているということは下で此方を見ているかもしれない人もそうだというわけだ。何かいるとは認識しても白い虎とその背に乗った人というのは認識できないと思う。
「それもあるが姿をあまり見せられないんだ。それに今だと矢を射ってくるかもしれないな」
「どうして?」
驚かれるという事は思い浮かんでも、どうして矢なんて射ってくるとか思ったのか。私は疑問に思って訊ねる。
「戦場だし」
「なるほど。それは嫌だね」
すぐに納得して頷く。ゲームをしている時には弓で攻撃するよりも剣や槍で戦うのが当たり前だったから、矢とかはあまり思い浮かばなかった。だけど、実際の戦いにおいてはまずは遠距離から攻撃し、少しでも敵を減らそうとするんじゃないかな。
「此処が赤壁だよね?」
並んでいる多くの船は綺麗に並べられているかのように見える。
「あぁ」
「鎖で繋がれてるのかな?」
つかず離れずの位置にあるように思える船は鎖で繋がれているのかもしれない。
「この位置でよく見えたな」
驚いたように白虎が言ったということは彼には見えているらしい。思えば、この虎も器用な虎……いや、人?虎に変身して、変身後も人語を喋ってるだけでなく目も相当いいらしい。
「赤壁で連環の計をするってのは知ってたからね。後は、東南の風が吹けばいいんだけど」
そうなれば周泰らしき彼がいる呉軍の勝利は確実となる。私は魏が嫌いではないけれどお世話になったのだし、呉の彼の方に肩入れしたい。
「東南の風は吹かないぞ」
「えっ!」
白虎の言葉に驚いて身を起こすと彼の背からずり落ちそうになった。
「うわっ!」
「っ!危ねぇな。」
慌てて掴んだのは彼の毛だったけど、わしづかみにしても文句は出なかった。体勢を整えると私は毛を一旦は離して痛くないように気をつけながらも、今度はしっかりと掴まる。さっきみたいに少し驚いたぐらいで落ちたくはない。
「貴方が驚かせるから落ちそうになったじゃない」
「吹かないものは吹かないのだから仕方が無いだろう」
私の抗議の声に白虎があっさりとした口調で言うものだから、心配になった。
「今の季節なら東南の風は吹くはずでしょう?」
確かゲームでは妖しい術かなんかで諸葛亮がふかせていたけれど季節的には吹く季節だったらしいしね。そもそも史実で吹いてるんだから吹くはずだ。
「今日はここいらの風は俺が集めている。充分な風を集めないとお前をあちらに送れない。東南の風がふくのは明日ぐらいになるな」
白虎は妙に自身ありげだった。これが私の夢だからなんなのか私はその言葉が嘘ではないと感じる。でも、そうすると私を助けてくれたのだろう彼はこの戦いに出ているのに、風がふかなくて呉が負けることになるかもしれない。そうはならなくても傷つくかもしれない。
「よくわかんないけど、原因は貴方?」
「あぁ……いてぇっ!」
思いっきりに大きな耳を後ろに引っ張ってやる。ちゃんと痛覚があるらしく、白虎が頭を勢いよく振ったので耳から手が離れた。もう一方の手でしっかりと掴まっていなければ私も離れて落ちていたかもしれないが、かまってられない。
「原因があんたなら、はやく東南の風を吹かせっ!この馬鹿」
東南の風が吹かない原因らしい白虎に怒鳴った。私の怒鳴り声に耳を伏せた白虎は顔にしわを寄せ。
「大声でなくとも聞こえるし、馬鹿とはなんだ。馬鹿とはっ!俺は馬でも鹿でもなく、白虎だ」
何だかずれてる返答を返してきた。
「虎だろうが狼だろうが、東南の風を吹かせっ言ってるの。集めてるのならできるんじゃない?」
そういえば白虎って四神で風を司るんじゃなかったけ?
「……出来るがいいのか?」
「もちろん」
おかしな事を聞いてきたと私は一つ頷いた。
「お前、名前は?」
「はぁ?こんな時に名前なんて」
そういえば名前を言っていなかったかもしれないけど時と場合を選べっとか思う。
「東南の風をふかせたいんだろう?」
「……、フルネーム必要なら言うけど」
名前を教えなければ風をふかす気はないらしい白虎の言葉に渋々に応じて私が名乗った。いい名前だとか言って欲しかったわけでもないが名乗ったというのにそれについての反応がない。
「天の許しありが一度の風を願いて、西方を司る白虎が命ず。我が元に集いし風よ。あるべき地にて解き放たれよ」
どうして名前を教えないといけなかったのかと問い詰める前に白虎が力強い声で命じる。声が、私の身体を揺さぶったように思えたが風にとってはそれは正に命令であったようで私達がいる場所でも風がふき始め、今まで自分達が飛んでいたので感じていただけで本当は風がなかったのだということに私は気がついた。心地よいとは決して言えないほどの強い風に私は目を閉じて、顔にかかった髪を目に入らないように手で押さえる。
「おぉっ!爆弾持ったおっさんが飛んだ」
白虎が何やら感心したように言った。もしかしなくてもあの人だろうと私は目を開けたが下を見てもよくわからない。何処に誰がいるのかがわからないままに私が見つめていると船が炎上をはじめ、瞬く間に燃えていき船から飛び降りる人影も見えた。
「……」
燃え盛る炎は船を飲み込んでいく。その炎を燃え盛らせるのは風、東南の風だ。その風が私の元まで熱を運んできているのかジワリッと額に汗がでた。
「……っ」
今、私が願った事は何だったのか。下からは何かの、誰かの声が聞こえてくるように思う。大丈夫、これは夢……本当に?
「夢、じゃない」
夢であるとは思えなくなった。今、目の前で燃え盛る炎の船から聞こえてくるモノが夢であるはずがなかった。この声が聞こえてくるのが何故だかわからないのに声が、人々の最期の声が響いてくる。
「しかし、本当に良かったのか?」
「えっ?」
自分が今、何をしたのかという事実に呆然と下を見ていた私に白虎が言う。
「お前、これで帰れなくなったんだぞ」
そのただ一言で私の心がざわついた。
逃げられなくなった。私は、心の何処かでそんな卑怯な事を考えた。
炎上している船の上で空を見上げる男が一人。戦いの中でそれは自殺行為にも等しい隙であったというのに彼は空を見上げずにはいられなかったのだ。
「…………」
その視線の先には空を飛ぶ鳥の影らしきもの、訝しげに彼の目は目は細められたがそれ以上は思考は許されなかった。彼が敵により振るわれた剣を受け、流した後に見上げた空にはもうその鳥の影は見当たらなくなっていた。それを気にかかることっと心のうちにしまって彼は戦いへと専念した。