屋鳥の愛

本編 〜5〜


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周泰がを彼の屋敷に招くことを許可されてまずしたことはに会いに行くことだった。その途中で廊下に点々と何かがついていることに気付き、確かるために屈めば少し乾いた血だと推測できた。
「……」
このようなところに血がついている理由は何者かが怪我をしていて此処を通り、そして、此処を通った者は典医である王貫の元へと向かったと考えることができる。周泰はそう理解し、微かに眉を顰めると立ち上がり先程よりも早い足取りで歩き始める。程無くしてついた部屋の扉、その前まで続いている血の跡は先ほどの考えを裏付けた。周泰は声を掛けることもなく扉を開けた。
「周泰殿、如何なされた?」
唐突に開いた扉へと視線を向ける王貫。彼はしゃがみこんでおり、その手には血で汚れたと思える布があった。周泰が床を見れば拭かれてはいるものの薄っすらと残っている血の跡がありことが判る。王貫はその血の跡を拭いていたのだ。だが、その血の持ち主である人物はこの部屋にはいない。
「……血が…」
王貫が周泰の視線を確かめてみれば床に残る僅かな血を見ていることに気づき。
「あぁ、甘寧殿が怪我をされたのですよ」
「…甘寧?……」
出てきた名は彼が良く知っている人物である。
「聞いた話によりますと手合わせの最中にされたということでしたが」
「……そうか…」
周泰は頷く。彼の目的は別にあり、命に別状がないのであれば甘寧のことは心配をする必要はあまり無いだろう。彼が目的であるの姿を探せばすぐに寝台に横たわっている姿を見ることが出来た。
「娘の……処遇が…決まった……」
横たわるを見ながら周泰は言い、その周泰の横顔を王貫が見る。
「…屋敷に…招く……」
「周泰殿の?」
周泰の言葉が思いがけないものだったらしく驚いた王貫が訊ねたが、周泰は頷くのみ。王貫が驚いた理由は、身元不明の人物を招くということにもあるが、周泰が屋敷に人を招くことがないと知っていた為である。それは、あまり語らぬ己を理解しており、それに人が気詰まりを感じるのだと察しているからだと王貫は思っていた。だからこそ、珍しいこともあるものだと思ったのだが……。
「意外と言えば意外、当たり前と言えば当たり前でしょうか」
言葉遊びのようなその言葉に周泰は視線をから外し、王貫を見る。王貫が何を言いたいのか確かめるような視線、その視線を向けられた当の本人である王貫は口元に笑みを浮かべ。
「貴方が誰かに積極的に関わろうとする事は良いことだと思ったのです」
関わるまいとしているわけではなかったが、積極的に自ら関わろうともしなかった周泰は人付き合いが上手いとはお世辞にも言えない。だが、彼は素晴らしい人物であると彼を知る周囲の人々は知っている。そして、その彼の良さに気付くには浅く付き合うのではなく深く付き合わなければわかりはしない。そう思えばこそ、王貫は言った。
「……」
彼女が甘寧の為に行った失血方法は大変に素晴らしいもので、何らかの知識を持っていることが窺える。もちろん、疑うような見方をすればそれこそが怪しいと思うのだろうが言葉が通じぬというのに怪我をしている相手の為に何か行動を起こしたということを考えれば素直に相手を認めても良いだろう。王貫は彼女が優しい娘であるのだろうと考えたのだ。
周泰は王貫に認められたということに頷いた。もしも反対されたとしても周泰が屋敷に招く意志は変わりなかっただろうが認められたほうが良い。
「周泰殿、言葉は通じぬのですが、彼女は多少、医術の心得があるようで先ほど甘寧殿の失血をしていました」
甘寧の失血を行ったという事を周泰は聞き、微かに眉を顰めた。言葉が通じぬ場所で血塗れの男と会っただろう娘のことを思ったのか、それとも別のことを思ったのかは王貫には理解することは出来ない。
「言葉が通じぬ相手への態度を考えれば優しい娘でしょう。 それに周泰殿のお屋敷でしばらく過ごせば言葉も覚えるやもしれません」
「…あぁ……」
言葉を覚えることは彼女の為になる。彼女が人々と同じ言葉を話せず理解できないことを気にはしない自分だが、周りの人々はそうもいかないだろう。
「それで、彼女が目が覚めるまで此処でお待ちになられますか?」
「……」
周泰は無言で頷けば王貫は調合した薬を包んだ紙を持ち。
「それでは彼女を頼めますかな?私は呂蒙殿のところに行くので」
調合したその薬が何なのか周泰には理解できたような気がしたが、それについてはあえて触れず。
「……わかった…」
「頼みます」
王貫の頼みを聞き入れ、彼が部屋を出て行く様子を見送り、視線を寝台で眠るへと向け。
「…………」
ただ無言で見つめる。静かな部屋で聞こえるのは周泰との息遣いのみ。僅かにの息遣いが荒いように聞こえるが体調が悪いわけではなく。実は王貫が扉を開けて出て行く時に目が覚め、薄っすらと目を開けたが周泰がいることに気付くと彼が視線を彼女に向ける前に寝たふりをしている為だ。
無言で見つめる周泰、必死に寝たふりをしているなのだが微かに動く目蓋が彼女が覚醒しているだろうということを周泰に知らせている。起きている事を周泰に気付かれていると思っていないの頭の中で色々と考えていた。不思議な部屋で気付いてからの一通りを頭の中で再現をし、中国語らしい言葉を話すゲームのキャラクターに似た男が二人。そして、甘寧のそっくりさんの方は怪我をしており、その手当てをした様子からは本当に怪我をしている様子だったこと。ドッキリで演技をするにしてもあれだけの怪我をすることがあるのだろうか?そう考えるとドッキリではありえない。そして、このまま寝たままでいられるのならば変な現実を見る必要が無いので楽なのだがそうもしてはいられないと彼女は気づいていた。
部屋の中には彼女と周泰のみ。は周泰に似た人が周泰を演じているのであればそんなに話し掛けたりしてこずに混乱もすくないかもしれないのだから今のうちに目を開けてしまおうかとが結論付けた後に目を開けてみれば……。



『……起きたか…』
自分を見ている視線とばっちりと目が合ってしまう。また眠ったふりをしたくなったが幾らなんでもそれは出来ずに理解できない言葉を言った相手を見る。
「おはようございます」
相手に理解できないかもしれない言葉ではあっても無言でいるのも何なので無難な言葉を返しておく。時間的には少しもおはようじゃないのだがそれを指摘する者はいない。
『……お前を…屋敷に連れて行く事になった……』
彼が何かを言った。理解できない言葉を微かな笑みをその口元に浮かべて言う相手。
「はい?」
穏やかな笑みは温かい。それを感じても何を言われたのかがわからずに首を傾げてしまう。
『……心配するな…』
何かを言って立ち上がった周泰のそっくりさんを無意識に視線で追う。動いている相手を無意識にただ追っているその視線ではあったのだがそうしたことで気付いたことがあった。
「顔の怪我、本物?」
特殊メイクというものを間近で見たことは無いが周泰に似た相手の顔の傷を見ても本物にしか見えない。顔にある刃物の傷跡などを他に見たことはないので断言は出来ないけど。
「………」
沈黙が支配する部屋。話しかけられることもなく、話しかけることもせずにただ考えていた。そして、二人の周泰の傷跡と甘寧の傷に一つの答えが浮かぶ。浮かんだその答えを理性は否定し、打ち消す。ゲームの中に迷い込んだ。そんなあり得ない事が起こるわけが無いのだと。



――…周泰が彼女を連れて帰ったのはその日のうちであった。

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