屋鳥の愛

本編 〜4〜


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ぽたぽたりっと滴り落ちる赤い滴が床を汚す。それは、男の左腕から落ちていた。
「ドジったな」
傷口に巻いた布は赤く染まりきり、最早血を吸う事は敵わないほどだ。それに気付いてはいる彼は早歩きで進む。彼の感覚としてはたいした怪我ではないが、そのままにしていても良い怪我ではない。
「戦場じゃなくてこんな所で怪我したなんて凌統の野郎に知られたら何を言われるか」
面白いことを言わないだろうこ彼、甘寧は容易に想像できた。
甘寧は自分から突っ掛かる気はないが、売られれば喧嘩は迷わず買う主義だ。父親のことで甘寧を気に入らない凌統の態度は甘寧としては苛立ちを誘うもので、彼なりに我慢はしても結局は挑発に乗ってしまうのだ。だからこそ、そんな相手には自分の情けない姿というのは見せたくないというのが彼の気持ちだ。
「王貫、怪我の手当てしてくれ」
目的地に到着した甘寧は扉を乱暴に開けて、そこに居るであろう典医の姿を探した。



急に開いた扉に慌てて視線を向ける。去った男達が来たのかと思えば此方を見ているのは先ほどの二人とは違う男。
『よぉ』
右腕をあげて此方へと言葉を投げ掛けた様子からすると挨拶のようだけど、男の左腕が血塗れだったことに一瞬固まってしまった。その後で一応、笑顔で挨拶してくる彼にコクリッと頷いておく。血塗れであることも驚きだが、彼が甘寧そっくりだということにも驚きだ。
『王貫、知らねぇか?』
見知った顔に似ている彼もまたやはり良く解らない言葉を話す。
「……」
何を言っているのかは解らないので首を振る。その間も彼の血は流れているようで床に血が落ちていることが気になってしまい。私は彼の傷があるだろう腕を見つめた。
『知らねぇか……なぁ、あんた。この傷をどうにか出来ないか?』
今度は傷の方を指差して何かを言っているのでたぶん理解できた。傷を何とかして欲しいとかそういうことなんだろうと思う。そう理解はしたものの、医者でもないのでどうすればいいのかは判らない現状だ。でも、血が流れているのなら止血はしなければいけないだろう。止血をするのであれば紐とか必要だ。
彼の腕の傷が心臓よりも低い位置であることに気付き彼に近付くと椅子に座る様に指して示す。
『座れって事か?』
彼が何かを言ったのでもう一度、椅子を指す。首を傾げながらも椅子に座った彼の腕を持ち上げるとその腕が置ける場所や布や紐がないかと探す。けれど、ちょうどいい高さの物がないし、縛る紐もない。
何とか清潔そうな布が入ってるらしい箱は見つけたけれどその間にも彼の血は止まらない。
『腕を上げていればいいんだろ?』
彼の言った言葉は判らないもののそのままでは何も進展しないのでその腕を離して布が見えたところへと行く。
箱には様々な大きさの布が入っていた。その中でちょうどいいと思った布を2枚抜き取り、1枚はクルクルッと折って細くする。もう一枚は2度ほど折っただけで大きめにしておく。
『おっさんはいつぐらいになったら帰ってくるんだろうな』
細くした方の布を傷口よりも心臓に近い腕のところを少し強く巻く。そして、傷口に巻く布は圧迫しないようにして巻いた。
『おいっ、顔色悪いぞ』
自分の知識で出来る応急手当てが終わると気が抜ける。これほどの血を見たことがない自分にとっては命を失うような怪我でなくても充分にショックを受ける代物だった。
見るだけでなく手当てすることで感じた。流れる血の温かさ、匂い、その感触に気分が悪くなってくる。
『もう手当てはいいからよ』
彼が入って来た時に自分が最初に座っていた寝台を彼が指差した。何を言っているのかわからないので首を傾げる。
『だから、座ってくれって…』
「あっ!」
彼が私の腕に触れる。その手は赤く濡れていて、着ている衣服にベッタリとついたのが見えた…――



の声と衣服の様子に甘寧が慌てて手を離したものの。
「おいっ!」
は意識を手放してしまい、甘寧は慌てて離した手を差し出して床に倒れるよりも前に受け止める。
「ってぇっ!」
自分の怪我を忘れていた甘寧はモノの見事に走った激痛に苛立ったように叫ぶ。その声はその部屋だけ出なく、少し離れた場所まで聞こえ。それは、良くわからない娘であると二人きりになるのを避けていた典医王貫の耳にも届いた。
娘がいるはずの部屋の方から聞こえたことに慌てて王貫が駆けつけてみれば、反対側の通路には血が点々と落ちている。扉にもまた血のついた手で握られた取っ手、それを見て王貫は扉を開ける。
「よぉ、王貫。何処いってたんだよ」
床にしゃがみ込む様に座っている甘寧はいつもと変わりのない口調で王貫に挨拶をした。何事かと心配になっていた王貫にしてみれば、拍子抜けする態度ではあったが甘寧の腕に巻かれた布に気付く。
「その怪我は?」
どんな時でも典医である彼は人の怪我や体調に目を向けてしまうのが癖となっていた。
「訓練中にちょっとな。切り方が悪かったのか血が止まらねぇんだわ」
確かに血が少し流れすぎたのか甘寧の顔色は僅かに悪いが手当てをされている様子から緊急にする必要はないだろうそれよりも気になるのは、そんな彼に抱かれるように気を失っている娘の手に付着した血と衣服についた僅かな血。
「彼女に何を?」
部屋の中へと入り、甘寧へと訊ねる。
「何って、手当てを頼んだだけだぜ?そうしたら顔色が悪くなって、たぶん血に酔ったかしたんだろうけどな。お前、女を弟子にするのはいいけど血に弱いのは直してやらねぇとな」
手当てを頼んだという言葉に王貫は驚く。甘寧が此処にくる時は大抵が適当に布を巻いたりとしているだけだったのに今回は珍しく血を止める為にきっちりと結び、傷口に布を綺麗に巻いていると思ってはいたのだが、言葉の通じぬ娘が手当てしたとは思いもしなかった。
「彼女は私の弟子ではないよ」
「何っ!まさか、病人を俺は動かしたのかよ」
弟子ではないのであればこの部屋にいたのは病気か怪我、怪我をしている様子はないとすれば病気だったのだろうと甘寧は慌てる。怪我の手当てをさせたことで病気が悪化したりはしないかと心配になり、の顔を覗きこんだ。
「いえ、私が知る限りでは彼女は健康そのもの」
「何だ。そうか」
王貫の言葉に甘寧は安堵の息をついたものの、目覚める気配はない。
「しかし、彼女によく怪我の手当てを頼む事が出来ましたな?」
言葉も通じないのにどうやって頼んだのかと不思議に思う王貫。
「はぁ?あっ、もしかしてお偉いさんの娘とか」
そんな娘が典医のところに何故いるのかも疑問だが、こういう話を耳に入れた呂蒙に怒られる自分を甘寧は想像していた。首を振って、否定する王貫にまた安堵の息をつく。
「そうではなく、彼女は言葉が通じないはず」
「そんなはずはねぇだろ?俺の言葉を理解して」
王貫の言葉を否定しようとした甘寧の言葉が止まる。最初に甘寧が手当てを頼んだ時には手当てをしてくれたのだが、次に寝台に座るように言った時は動こうとしなかった。怪我の時は血が流れている様子に彼女は理解をしたのかもしれないという可能性に甘寧は思い当たる。
「そういえば話さなかったな」
呉には無口な周泰もあるので別段におかしいとは思わなかったので、甘寧は疑問に思わなかったのだ。
「話さなかったんじゃなくて話せなかったってわけか。それにしてもよぉ、王貫」
「はい?」
納得したように呟いた甘寧であったが、情けない言葉で王貫を呼んだ。
「彼女、寝台に運んでくれねぇか?」
たいした傷ではないとは言えども出血は多く、腕の感覚は鈍い。を落とさないように気をつけてはいるものの、感覚がなければどうなるかは保障できない。
「ええ、その後に甘寧殿の怪我も診させて頂きましょうか」
甘寧の腕の中からを王貫は抱き上げる。血で汚れた服を着替えさせてはやりたかったが女官を呼ぶのは後の方がいいだろう。
「甘寧殿、床に座らずに椅子にでも座っていて下さいませんか?」
王貫は寝台にを寝かし、の手についた血を丁寧に濡らした布で拭いつつ、甘寧に動くように指示をする。
「へい、へい」
やる気が無さそうに立ち上がると甘寧が椅子へと座った。怪我をしている自分が後回しにされていても気にした様子はなく、気を失ったままのに心配なのか彼は視線を送っていた。その視線は彼が典医王貫の手当てを受けている間も向けられていた。

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