死の誘い
冥界からの使者が聖域に来るということで任務がない者、休暇を与えられた者以外は聖域に待機することになっており私もまたその一人だ。
現在は怪我人らしい怪我人がいないので、鍛練場で同じく待機組である聖闘士との軽い組み手をしていた。相手をしてくれているのは矢座のトレミー、白銀聖闘士なのに珍しくちょっと腰が低い人だ。
初めて会った時はトレミーは人気のないところで俺のような者が聖闘士であっていいのかと呟いていて、落ち込んでるらしいと私なりに慰めの言葉をかけ、それからよく話す一人となり時間が合えば組み手の相手をしてくれる。
聖闘士としては弱いだろう私に気を使ってくれているらしく私でも対応できるように組み手をしてくれるし、彼は親切な人だ。アテナの聖闘士の鏡というものだろう。
「、何か考えごとか?」
拳を下げたトレミーの問いかけに私も拳を下げる。
「えっ、あー……すまない」
相手のことを自分なりに褒めているとはいえ、組み手中に考えごとはダメだ。
それに相手をいきなり褒め始めるのも変な感じがするので別の話題を探し、気になっていたあることを口に出す。
「その、気になる小宇宙を感じて」
教皇宮に何だか覚えのある小宇宙を感じる気がするのだが、あまり身近で感じた記憶はないため冥界の使者のものだと思う。
普段は十二宮には外部から瞬間移動が出来ないようにされている聖域の結界が今回は一時的に緩められ、冥界からの使者が教皇宮に瞬間移動をするのだと聞いている。
それだけで強力なテレポーテーションが使える者が来るらしいと認識できたが、使者が訪れているはずの教皇宮の雰囲気がいつもと違っている。
黄金聖闘士達は勢揃いしてるし、彼らの小宇宙からは奇妙な緊張が感じられるしで今回はどんな冥闘士が来訪したのだろうか。
そもそも十二宮はアテナである沙織さんの力が満ちているため、アテナかアテナに仕える聖闘士以外が力を揮うのは難しいらしいのにどれだけ超能力の力が強い人なんだろう。
今回の人選には興味を持ってしまったのだ。使者として選ばれている以上はそれほど喧嘩っ早い人ではないのだと教えてもらったことがあるしね。
ただ嫌味合戦一歩手前な状態になることはよくあるらしいので、進んで冥界勢に会いたくはないので使者が帰ったらカミュにでも訊いてみようか。
「君も感じたのか」
「オルフェ」
私達の会話を聴いていたらしくオルフェが会話へと加わった。
彼もまた白銀聖闘士ではあるが、一人で居ることが多い人であるので彼から話しかけてくるとは珍しい。
「何を感じたというのだ」
トレミーは私以外の人と話す時はと人見知りをするらしく声が低くなる。
私よりも聖域で長く暮しているはずなのに本当に恥ずかしがり屋さんだ。
「アテナではない神の小宇宙をだ」
「なっ!」
オルフェの言葉に驚きに目を見開き声を上げたトレミー。
その横の私は驚きのあまり何も言えずに呆然とオルフェへと視線を向けるだけしかできない。
「おいっ!そうなのか!」
トレミーが私へと問いかけたことで気になっていた小宇宙を探る。
最も強大だった冥界の神ハーデスの小宇宙ばかり気にとられていたせいであまり覚えていなかったせいで気付かなかったけど……
一度気付いてしまえば気のせいなどと思うことすら出来ないほどの小宇宙。
「死を司る神タナトス」
生きとし生ける者にとって避けられない死を司る神の小宇宙に知らず知らずのうちに声が震える。
「タナトスが聖域に訪れているというのであれば今回のことも理解できるというもの。黄金聖闘士が勢揃いし、白銀聖闘士、青銅聖闘士を半数以上待機させるなど普通ではありえない」
「たっ、確かに」
(っ!)
二人と会話をしている私のもとへ届いた焦っているようなカミュのテレパシーに教皇宮へと視線を向ける。
人とは全く違う深い小宇宙が鍛練場の空中に突如として現れ、訓練場に居る聖闘士やその候補生達がざわめく。
「どうし……なっ、何者だ!」
「タナトス!」
鋭く響き渡ったオルフェの声に身構えていく聖闘士達。
多くの候補生達は神の小宇宙に後退っているのだから流石といえばいいのか。
「ほう、オルフェか」
「……くぅっ……」
元から鋭い瞳を細めたタナトスの眼差しが向けられたオルフェではなく近くに居たトレミーが膝をついた。彼だけでなく訓練場に居る多くの聖闘士、候補生達が立って小宇宙が目に見えない重石となって膝をついていく。
私自身もその小宇宙に崩れ落ちそうで思わず近くのオルフェの腕を掴んでしまった。それだけでなくオルフェの腕を引いて崩れる足が一歩踏み出したために彼と立ち位置を入れ替えてしまった。
「」
いきなり後ろに引っ張られたオルフェの声が聞こえたがそれに答える余裕は私にはない。
僅かな立ち位置の違いで小宇宙の重圧の違いにもう立っていられず私は片膝をつき、膝を強く打ち付けないように片手を先に地面につくことで衝撃を和らげる。
「タナトス様、どうぞその小宇宙を抑えて頂けませんか。我ら聖闘士でも神の偉大なる小宇宙に耐えるのは難しきことであり、この場には多くの候補生がおります」
もう顔を上げるのですら億劫で、小宇宙の重圧によって今も身体は震えて目が霞む。
こんな神様達を相手にして勝ったという星矢達はどれだけ強い聖闘士なんだろうと弟弟子とその兄弟にして友人達に尊敬の念が湧き上がる。
「どうかお願いいたします」
斜め後ろの位置でオルフェも膝をついたらしくタナトス神に願い出た。
「……」
返答はないものの重圧となっいた小宇宙が緩む。
「クレーターの」
安堵する前に頭上から降ってきた声に一層に頭を下げる。
何を言われるかわからないけれど理不尽でもいい、私が何とかできることを言ってください。
この場を平穏に終らせたくてそう願う。
「……はい」
一度しか会ったことはないはずなのに、人のことを見下しているという神に名前を覚えられているというのはどうなんだろうか。
「次の聖域の使者に命ずる」
「はっ」
はぁぁぁ!?いきなりの言葉に内心で叫び声をあげてしまった。少しだけ漏れ出してしまった声を慌てて飲み込む。
「その命、謹んでお受け致します」
私の言葉が終るかどうかのタイミングで消える気配。訓練場に居た聖闘士達が吐く安堵の息を聞きながら、再びの冥界の使者それも冥界の神からの御指名に涙が出そうだった。
あれか?先ほどの私の願いがかなえられたから冥界の使者なんていうものをさせられるのか?
「すまない。私を庇っ……」
「無事かっ!」
オルフェの言葉を遮ったトレミーが顔を気落ちして顔すら上げられなかった私の両肩を掴んだ。
その勢いで身体がゆれて顔を上げると必死なトレミーの顔が見えた。
「大丈夫、心配をかけた。オルフェも大丈夫ですか?」
心配するトレミーを安心させるために笑みを浮かべて頷き、オルフェを見やれば頷いた。
私は自分が彼の腕を掴んだこと有耶無耶に出来そうだと安堵する。
黄金聖闘士に匹敵するとまで言われる白銀聖闘士の彼に睨まれたら、今後の聖域生活が悲惨になっちゃうもの。
でも、人間嫌いの神様に名前を覚えられているという不穏さに比べたらマシかもしれないけど。
「気を失った候補生達の様子を見に行きましょう」
候補生達の半数近くが気を失ってしまったりしているようなので動き出していた聖闘士達に混ざり彼らの面倒を見みにいく。
後に幾人かこのことが要因で候補生から外れたという話を聞いた。それは神の気まぐれというものが、人に大きな影響を与えるのかと聞いた私はため息をついたのだった。
アテナ視点
冥界からの前以っての報せにより今回の冥界からの使者を迎えるのは私、シオン、黄金聖闘士の資格ある者全員である。
それは地上を、人を嫌っている神がいきなり冥界から来るという知らせを受けたため。何故という疑問はあれど同盟を組んでいるのだからと聖域の結界を緩めて出迎えた。
「タナトス、貴方が使者となられるとは思いませんでした」
女神ではあって人の中で転生を繰り返す私よりも小宇宙の扱いが長けた死の神が、浮遊して地面に足をつけないようにしていることに地上が嫌ならば来なければいいではないかと思ってしまう。
「冥界の使者はラダマンティスだ」
冥界三巨頭である彼が使者となっているのは目の前の神のせいであると理解する。
表情に出てはいないけれどサガのような雰囲気を漂わせている。きっと苦労しているのでしょう。
「何故、地上へいらしゃったのですか?」
神と神の対話であるために冥闘士も聖闘士達も口を開かないが、この場に居る者達が彼の返答を待っていることが伝わってくる。
「ある者に会いに来たのだ」
「それは何方でしょうか?」
侮って負けたという星矢のことだろうか?
彼の治療は終っているとはいえ、ベストな状態とは言えず妙なことをされては困ってしまう。
「クレーターの聖闘士、次の聖域の使者としてあの者を望む」
聖域と冥界との聖戦の後に聖域、海界、冥界の同盟が結ばれ、交流として互いに使者を送りあっている。
海界への使者はテレポーテーションが可能な者が条件であるが、白銀聖闘士達には少なくない人物がその資格はあった。
問題は冥界への使者であり、冥界へ赴くこととなるその使者はエイトセンシズに目覚めた者でしかなれない。
その資格があるのは黄金聖闘士を除けば白銀聖闘士の琴座のオルフェ、杯座の、青銅聖闘士の星矢達のみ。
冥界から蘇った多くの聖闘士達にはエイトセンシズに目覚める下地はあれど、セブンセンシズに目覚めていない者がエイトセンシズを得ることは不可能なのだ。
エイトセンシズに目覚めている者の多くが冥界と因縁浅からぬ者ばかりということもあり、実力も高いにまで冥界の使者をお願いしたのだけれど、あまりにもハーデスからの好意的なへの評価に危機感を覚えそれ以降は彼を使者にしたことはない。
「をですか」
ハーデスだけでなくタナトスにも気に入られたというの?
瞬と同じく穏やかな雰囲気を持つ聖闘士ではあるが、人を厭っている神々の何を彼は惹きつけたのか。
「ふんっ、あれの小宇宙は判り易い。私があれに使者を命じておく」
「タナトスっ!お待ちなさいっ!」
聖域内であるためにたやすくタナトスにテレポーテーションされてしまう。
神々というものは何と自分勝手かとタナトスの行動を不満に思うも、冷や汗を流しているラダマンティスが居る前で癇癪を起すわけにもいかない。
今の私は神として覚醒しているからこそ、かの神が悪意なく行動していると理解してしまっている。そして、下手に止めてしまえば冥界との仲は悪くなってしまうだろう。
師であるカミュは咄嗟にテレパシーを送っているようだったが、の傍にテレポーテーションしたタナトスのせいで繋がらないようで顔色が悪い。
には説明もせずに申し訳なくあるけれどタナトスのことを任せてしまおう。彼が無難に収めてくれることを私は期待した。