羊草04


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私が目覚めた時に世界は変わって見えた。事実、私にとって世界は変わっていた。かつてこの世界で目覚めた時と今の私は大きく違うからだ。
病院らしき部屋を見回し、仮面を見つけそれを身につけるのはこの数年で出来た習慣で、女の身で聖闘士である私には必需品だ。
どれだけ眠っていたのかはわからないが違和感なく動く身体を起し、微量ながら小宇宙を感じさせる奇妙な雨に何かに急かされているような気がして病院着のままであるけれど病室の扉を開けた。
「目覚めたか」
「――…アルデバラン?」
驚くほど大柄な男性であるのに穏やかな小宇宙に覚えがあった。
「覚えていたのか。
彼と出会った時のことを思い出していたために彼であると気づくことが出来たのだ。
この世界で初めて出会ったのは彼であり、目覚めた今の私が初めて出会うのも彼だとは妙な偶然だと思う。
「何があったのですか?」
最初に会った時とは違って憔悴した様子の彼に問う。
「アテナがポセイドンの下へ行かれてしまった」
「……アテナが?」
「お前が眠っている間に世界各地でポセイドンによる惨状が起きている」
聖域が示す聖戦とは冥界とのものであったはずだ。
ポセイドンのことなど聞いたことなど、いや、かつてポセイドンをアテナが封じた話はカミュから聞いたような?
あまり覚えていないということはカミュもそれほど熱心に教えなかったことから、ポセイドンのことは予想外なことだろう。
「この妙な小宇宙を感じる雨もその一つですね」
「そうだ。アテナはこの雨を止めるためにポセイドンの下へ行き、星矢達はそれを追っている」
星矢達ということは氷河もポセイドンの下へ行っているのだろう。
それならば彼の小宇宙を探れば彼らが闘っているところへは行ける。
「貴方は?」
だが、アテナの聖闘士の最高峰である黄金聖闘士である彼がどうしてここにいるのか。
怪我をしているようだが聖闘士であれば闘うことを止めるものではないだろう。意識を失う前に見た氷河の傷のほうが酷かったのだ。
「俺は、俺達黄金聖闘士は聖域にて待機を命じられている」
カミュもまた聖域に待機しているということか。
「納得はできませんが理解はしました」
誰が命じたのかは知らないがアテナの聖闘士としては本末転倒だと思う。
アテナ自身で命じたというのなら一度敵対した黄金聖闘士達を信用できないということ。
アテナ以外の者が命じたのならば何をしたいのか私には理解できない。高尚な方の考えなんぞ私にはわからない。
「白銀聖闘士も……」
「アルデバラン、すみませんが話はまた後にお願いします」
杯座の聖衣を呼び寄せる。息をする様にたやすく手繰り寄せることが出来た杯座の聖衣が入ったパンドラボックスを開き身にまとう。
「何をする気だ」
「治療のアフターケアというのは大事なので、氷河の様子を見に行ってきます」
!」
「聖域に戻られるのでしたらカミュには後でお伺いしますとお伝えください」
待機ということは聖域に戻るのだろうと伝言を頼む。
「勝手なことをしてはならんっ!」
「私は何も命じられてません」
まだ私は聞いていないのだから。
笑って言えばアルデバランは瞳を見開いた。ああ、なんてズルイ人間なんだろう。
聞かずとも白銀聖闘士も待機を命じられているって解っているのに。
呼び止められる前に私は飛ぶことにする。氷河を探ると何故だか近くに感じる貴鬼の小宇宙を目指す。
最近近くに居たのは貴鬼であったために氷河よりも目標にしやすいかったからだ。



無事に飛べたと理解したのは近くに貴鬼の小宇宙を感じとることが出来たためだった。
足が地に石畳の上につき、感じ取ることができた懐かしい小宇宙に目眩を覚えたが倒れるわけにはいかないと足に力を入れる。
!」
飛びつくように私へと抱きついた貴鬼を受け止める。
「また聖闘士がっ!」
見たことのない女性が私を睨みつけているが攻撃を仕掛けくる様子はないように見えた。
「目が覚めたんだねっ!
「貴鬼、心配かけたね」
まずは貴鬼へと声をかけてその肩に両手を置く。
「おいら信じてたよ。ムウ様もが起きるって信じてたっ!」
興奮して涙目になった貴鬼が伝えてくるのは心配していたという嘘偽りのない気持ち。
超能力が強いもの同士であるために強い感情はダイレクトに伝わってしまうので、普段は互いに壁のようなものを作り出しているのだけれど今はそのような余裕がない。
貴鬼はどうやら私が目覚めたことが嬉しすぎて、私はこの海の底にある神殿らしき場所に居る懐かしい存在を感じ動揺のあまりに。カミュが見ていればクールでいろと叱られるかもしれない。
「ありがとう。氷河達は?」
「氷河達ならアテナを救うために柱を壊しに向かっているよ!七本の柱は海将軍っていうのが護っててそいつらを倒さないとダメなんだって!時間がなくて皆バラバラに行動してるんだ」
詳しい説明というわけではないだろうが必要なことは貴鬼は伝えてくれたはずだ。
カミュは様々なことを説明してくれたがムウ様は最低限のことしか教えてくれないので、後からその真意に気付くことになることが多い。
もっと多いのは未だにわからないムウ様の訓練についての指示とかだけど、意味を尋ねたことはない。
「なるほど、では私もアテナ奪還に加わるとしよう」
それが私の目的にもそうだろう。
「海将軍に黄金聖闘士ではないお前が敵うと思うのか」
馬鹿にしたような女性、ポセイドンの配下だろう彼女に視線を向ける。
「勝てるかどうかは関係ない。私は私が望まない闘いを避けたいだけだ」
「望まない闘い?何を言っている」
?」
彼女の問いに抱きついていた貴鬼の腕を離させ後ろへと下がらせる。
「……貴女が止めるというのなら押し通る」
十中八九、ここに彼が居るとはわかっているが間違いであるかもしれない。
間違いであってほしいという願いのために私は会いたい者がいるなどと言いたくはない。
口に出してしまったら、それが確定してしまいそうだからだ。
「止めることもない。言っただろう。黄金聖闘士でないお前が海将軍に敵うものかとな」
「そう好きに進ませてもらう」
戦わないというのであれば私としては願ったりかなったりだ。
っ!がんばってね!」
「貴鬼、貴方は聖闘士ではないのだから怪我をしないようにね」
今は戦う気はないらしい彼女だがもしも戦うことになったらまだ聖衣を手に入れていない貴鬼にとっては分が悪いだろう。
「大丈夫だよっ!おいらはムウ様の一番弟子だもの」
「そうね」
貴鬼の言葉に頷いてポセイドン配下の女性を一目見てから走り出す。
この神殿で感じる小宇宙の様子からして戦闘に入った者もいるらしい。心配になったけれどここは氷河達を信じて一つの柱を迷いなく目指す。
近づいていけば感じるのは懐かしい凍気、カミュと変わらぬほどの冷たさに出会っていない間の彼の成長を感じる。
、聖衣が似合っているではないか」
懐かしい声が耳に届く。
「アイザック」
見上げれば別れた時よりも成長した兄弟子の姿があった。左目を縦に通る大きな傷跡、それによって左目は失明したのだろう。
「驚かないのか」
「小宇宙を感じていた」
気のせいであって欲しいと願いながらそれでも行方不明であると聞いていた兄弟子が生きているかもしれないということは喜びでもあった。
そして、今は再び出会えたことに視界が霞む。それでも目を閉じないのは彼が臨戦態勢をとっていることが理解できるからだ。
「俺だと知って来たのというか。かつて俺に負け越していたというのに大した自信ではないか」
「私は闘いを望んでいない。どうかアイザック、アテナと争うのを止めて」
このままであればアイザックと氷河が戦うかもしれない。
十二宮であったように師弟が闘うことと同じように兄弟弟子が闘うことは辛いことだ。
「説得だと?笑わせる。俺は海将軍クラーケンのアイザックだ。お前は何だ?」
「……私は、貴方の弟弟子だ」
師を変えたのだとしても、シベリアでの日々を私は忘れたわけじゃない。聖闘士となるためというより、生きるためだった私ではあったけれどアイザック達は私にとって支えだった。
逃げ出してしまいたい鍛練であっても、私よりも小さな彼らが頑張っているのに逃げるなど出来ないと意地で残っていた。そして、いつの間にか家族にむけるような愛情を私は抱いていた。
「聖闘士となっておごり腑抜けたか。敵を前にしてなんという体たらくだ!」
「アイザック貴方は私よりも聖闘士に貴方は相応しい人だ!海闘士ではなく地上の平和を願っていたあの頃を思い出してっ!」
惰性で聖闘士にまでなった私よりもずっとアイザックは聖闘士に相応しい存在だ。
彼が戻ってきてくれるのであればポセイドンの配下であったとしても、カミュはまた受け入れるはずだ。
「かつてを俺は忘れたわけではない。ただ捨てたのだっ!今の俺はポセイドン様に忠誠を捧げる身!!」
けれど、アイザックの瞳はかつて私に向けたことのないような冷徹な光を宿したまま変わらない。
「闘いは避けられないと?」
我慢していた涙が零れ落ち頬を伝う。
「お前がアテナの聖闘士であるならばな」
違うと言ってしまうのは、兄弟子と争いたくないと捨ててしまうのは簡単だった。なのに、捨てられないのは私は知ってしまったからだ。
「私は杯座の!この胸に宿る闘志に誓って例えアイザック、お前にでも勝ってみせるっ!」
この聖衣は私を選んだのではない。星の宿命が導いたのは私ではなく『彼』だった。
彼は私が操る身体の奥底で望んだ。弱いからこそ両親も姉も彼の傍から居なくなったのならばそれを護るための力を。
それが私が小宇宙を扱えた理由であり、杯座の聖衣に選ばれた理由。かつての私、この世界の私、その私の弟、三人で一人となった今の『私』は人との絆を守りたい。
カミュ、アイザック、氷河、ムウ様、貴鬼、多くはない私の人との絆だというのに、目の前にはそのうちの一人がいるというのはなんて皮肉なんだろう。
「よくこの俺に大口を叩けるものだ後悔することになるぞ!」
アイザックが上げた右手によって襲ってくる凍気を水によって押しのける。
「ほう、あの頃にはなかった力だな。凍気は諦めたのか」
小手調べだったのだろう彼は余裕のある笑みで言った。
そうカミュの下に居た頃は私もまた凍気しか使わず体術だけでなく、凍気において勝るアイザックには負け続けていた。
「カミュの教えは今も覚えている。こうして」
作り出した凍気をアイザックへとぶつけるが片手で払う仕草で相殺される。
「確かに多少は強くなっているが、やはり俺には敵わぬな」
「……勝利したわけではないのに勝った気になってもらっては困る」
地を滑るように百筋以上の水が走りアイザックへと襲いかかる。
「何だこの攻撃はっ!」
たどり着く前に水は凍りつき、凍った水が氷となり石畳へと乾いた音を立てて落ちていきそのうちの一つを踏み出したアイザックは踏み潰した。
「海将軍の鱗衣は黄金聖衣に匹敵するほどの防御力を誇る。それをお前の力で砕くことなど不可能っ!このような温い攻撃でよく俺と闘う気になったものだっ!」
素早い踏み込みによって繰り出されたアイザックの右の拳を避ける。
ついで目に留まらぬほどの速さの左拳を後方に飛べば続いた右足による蹴りを腹部に入れられ勢いよく飛び石畳に背中から落ちる。その衝撃で顔から仮面が剥がれ落ちる。
「……アグッ!」
勢いよく上から腹に置かれた左足、体重をかけるように身を乗り出すアイザックと目が合う。
、お前は子どもの頃と変わらず甘い。先ほどの言葉は偽りだあったようだな」
「アイザッ…ク……本当に、戻ってはくれないの?」
震える右手をあげて置かれたアイザックの左足の足首へと手を置く。
「汚れきった地上を救うには一度すべてを破壊せねばならない。それから神話の時代のように美しい世界を創り上げるのだ。それを成し遂げるのはポセイドン様以外いないのだ!」
「そんなこと私は受け入れることなんてできないっ!」
地上には多くの人が生きて生活し、そしてこれからも生まれ続ける。
それらすべてをノアの箱舟のように洪水によって洗い流すことなど受け入れるとなど出来ない。
「何っ!ぐぅぅ……何を…した!」
一気に高めた小宇宙をアイザックの足首へと注ぎ込めば後ろへと飛び退かれたが目的は達成している。
しっかりと立つには私の小宇宙によって内部から組織が破壊された足には辛いはずだ。
「小宇宙を同調させ、アキレス腱を破壊させてもらった」
立ち上がり種明かしをしてみせれば強く睨みつけられ。
「お前は愚かだ。クールになれば俺を殺せただろうにっ……その甘さがこの俺の最大の奥義をお前が受けさせることになったのだ!オーロラボレアリス」
両手を合わせて高められた凍気が私へと向かってくる。そのまま受けることなど考えられないその攻撃に水によって幾重にも壁を作り出す。
一瞬にして凍結し、そして砕けていく壁を抜けて恐ろしいほどの凍気が私の元に届き……
「まさか……聖衣がっ!」
身にまとっていた杯座の聖衣が凍り付いていくのが感じられる。
「アイザック!」
「なっ……死ぬ気かっ!」
防御を捨てた全力での攻撃を技を出しているアイザックへと放てば無数の水の糸がアイザックへと襲い掛かる。
上腕骨隙間を狙って肩口を狙い、それ以外にも覚えている人の急所を狙ったその攻撃は数箇所鱗衣を貫通していく。
フェイクとして別の場所も狙いはしたが急所を狙ったその攻撃の多くは技を放っていた彼の身体に何箇所も穴を開けた。
倒れ伏していくアイザックへと駆け寄りその顔を覗き込む。
「……見事だ。
激痛を感じているはずの彼は笑っている。
「アイザック」
「なんだ泣いているのか?」
「私は泣いてなどいない」
私自身の意志で私はアイザックではなく皆を地上の平和を選んだ。その私が泣くことなど許されるはずはないのに。
、最後に一つ忠告を……ごほっ……」
口から吐き出された血に私の攻撃は彼の肺を傷つけたことに気がついた。
「アイザック、もう喋らなくいい!」
彼の口元を汚す血を手のひらで拭う。
「はぁ……甘いな……だが……話さねばならん……い…一番恐るべき男はポセイドン様ではなく……」
彼の口から語られる言葉に目を見開くことになった。それが本当であればこの戦いは十二宮の時と同じく聖闘士によって起きた戦いということになる。
最後の力を振り絞り彼の知ることを語ったアイザックは瞳を閉じ、その穏やかなその顔に落ちた滴が彼の頬をつたい石畳に落ちた。



仮面を拾い上げて再度身に付けてから、破壊しなければならないという柱を攻撃してみたが、私自身の小宇宙を込めた拳ぐらいでは壊せないことが理解できた。
いくつか破壊されている柱を青銅聖闘士である氷河達が破壊しているのだから何か方法があるはずだ。
ーっ!海将軍を倒したんだねっ!」
「貴鬼」
名を呼ばれ視線を向ければ黄金のパンドラボックスを背負った貴鬼が居た。
「天秤座の聖衣、なるほど」
「流石はっ!話が早いや」
聖闘士は武器の使用は認められない。聖衣によっては武器のような機能がある物もあるが、あれはあくまでも聖衣の一部とされている。
ただそれは所有者にのみ認められた特権のみようなもので、他人の聖衣の武器のようなものを聖衣の所持者でない聖闘士が使用すれば掟を破ることになる。
唯一例外が天秤座の聖衣であり、アテナか天秤座の聖闘士に認められれば使用できるというものだ。
「私も認めてもらえるのか」
黄金聖衣には意志があるのだとムウ様に言われていたため、命令外でここに来ている私には使用できないのではないかと思ったが天秤座の聖衣は認めてくれるようだ。
浮び飛んできたトンファーらしき武器を手にとり柱の前に立つ。
「貴鬼、下がってて」
「うん」
貴鬼が充分に下がったのを確認してから小宇宙を高めれば黄金聖衣の一部である武器がそれを増幅させる。たしかに他の聖衣との明確なまでの違いが感じられる。
増幅させた小宇宙を武器にのせて柱へと叩きつければ、幾度も殴りつけた時が嘘のようにヒビが入り柱が崩れ落ちていく。崩落に巻き込まれないように貴鬼のところまで戻り武器を聖衣へと戻す。
「……」
立っていることが出来ずに膝をつく。
、どうしたの?」
パンドラボックスへと聖衣をしまい、そのパンドラボックスを背負った貴鬼が心配そうに私を見て言った。
「少し疲れただけ。貴鬼、先に天秤座の箱を運んでくれる?少し休んでから私は行くから」
今にも倒れ伏してしまいそうな身体を右手で支え、貴鬼へと笑顔を向ける。
「うんっ!先に行って天秤座の聖衣を届けてくるっ!」
私の笑顔に安心したのか元気よく駆け出した貴鬼の背が見えなくなるまで見送り、見えなくなったところで気力が尽きて身体は石畳へと倒れ伏す。
白銀聖衣が凍りつくような攻撃を受けた私が無事でいることがおかしかった。
先ほどで小宇宙によって支えられていた身体は柱への全力の小宇宙による攻撃によって支える力を失った。
貴鬼に倒れるところを見せることなど出来ないという気力で保っていた意思にも限界が来た。それでも残る力を振る絞って横たわるアイザックの傍らに這いずって移動し、アイザックの手を握る。
「……流石はアイザックだ」
ひどく眠い。きっと目を瞑れば目覚めるかどうかはわからない眠りに落ちるだろう。それをもたらしたのがアイザックであることを恨む気はなかった。
ただそれほどの凍気を扱うことが出来たアイザックが、私の兄弟子が誇らしいのだ。
「ああカミュ、氷河……」
二人の気持ちがやっと理解できた気がする。ヒーリングを施した二人がどこか笑っているように見えたのはきっと今の私と同じ気持ちであったんだろう。



――…穏やかな気持ちのまま私は目を閉じた。







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