夢の歯車
〜29〜
扉の先は黒い空間で確かな形としては設定されておらず、目に見える形としては床すらなく戸惑ったけれど、光の道が消えていくこともあって恐る恐ると足を踏み出してみれば見えない何かがそこにはあった。
何度か踏んで感触を確かめれば、柔らかいというかトランポリンのような微妙な弾力。落ちる心配はなさそうだと歩き出したのは扉は私の目の前で消えてしまい背後には壁しかないので先に進むしかないというのが実状だからだ。
不安定な足元に気をつけながら先へ先へと進んでいくとぼんやりと浮かぶ白い人影のようなものが見えた。
普通であれば暗闇の先にある薄っすら光っている人の形をした何かなど恐怖してもおかしくはないけれど、今は現実とは違う世界なのだから幽霊とかそういうのではないはずだと、そう考えてその白い人影へと近づいていけばその人影は小学校に上がってぐらいの子どもぐらいの背丈であることに気づく。ただ気になるのは私が近づいても特に反応を返さないところだ。
手が触れるほどに近づいたら動き出すかもしれないと緊張と警戒をしながらしっかり確認できるところまで近づく。
簡素な白いワンピース姿のまだ幼い少女が目を閉じ直立不動で何もない空間に浮いていて、その少女に何故だか見覚えがあるような気がしたのは気のせいだろうか?
「……あれ?」
近づいて観察したことでその正体が何となくだが私には理解できた。
「ロボットプログラム?」
まだ不確かな存在にしか感じられないけれど目の前に在るのはロボットプログラムの雛形だ。
そもそもロボットプログラムであると目の前の存在を判断したのかすら、我ながら不可解でしかないのに己の中で目の前の子どもはロボットプログラムであり彼女と表すべきなのだと確信している。
「よくわかんないなぁ」
自分自身のことだというのに、どうして確信を抱いているのか理解できない。
「そもそも、今の状況からして理解できないけど……」
似ているようで違う世界に来てしまったこと、電脳世界という電子の世界に紛れ込んでしまったこと。大きく言ってしまえばその二つでしかないが細かくわけてしまえば多くの理解できないことが今の私にはあった。
日常から非日常に唐突に放り込まれてしまった理由などわからないが、偶然やら運命やらと結論付けることは嫌だ。
どちらにしても私にはどうしようもなかったことだったのだと諦めてしまいそうだからだ。だから、私はここに私が居る理由が何かあってそれを何とかすれば戻れるのだと考えていたい。
「そんな風に考えている時点で諦め半分なんだろうけどさ」
よくわからないうちに迷い込んだのなら、よくわからないままに帰れると思う。
ついてしまいそうだったため息を飲み込んで私は目の前のロボットプログラムである女の子から距離をとる。
「でも、ここってこの子だけなんだよね」
例えるのなら此処は檻だ。閉じ込めるためではなくこの子を護るために厳重に仕掛けが張り巡らされた。
そんな中に私は導かれるように入ってしまったわけだけど。
「もしかして呼んだ?」
私の呟きにポウッとほのかに女の子の周りが明るくなり戻った。
「何かして欲しいの?」
変化は何もない。何かして欲しいというわけではないのだろうか。
ここに来た理由はたぶん彼女と思われる意思を感じて、それは呼んだという言葉に反応したことから確かだと思う。
彼女は私を呼んだけれど、私には用事はない?
「もしかして私が困っていたから?」
先ほどと同じように明るくなって戻るという反応があったので肯定だったらしい。
まだ未完成であるはずの彼女が私を助けようとした理由はわからないが、ここに招いてくれたのは悪気はなかったみたいだ。
「そっか。ありがとうね」
今度は明かりではなく女の子の口元が僅かに綻んだ。いい子だ。
私が居なくなったことでオラクルが困るだろうとか、オラトリオに嫌味というか監禁されるかもとか問題が色々と浮かぶがこの子に悪気はなかった。
下手なことをしてはならない私が誰にも相談せずにでてきたことが問題なのだ。
「ちょっとここに居させてもらうね」
また少し明るくなって戻る。了承してもらったのでどこかに座ろうと思ったけれど暗闇にただ緑の線が周囲に展開しているだけのこの場所は居心地が悪い。
「イスとか出しても大丈夫?」
すぐに反応はなくてダメなのかと思った頃に肯定の明かり、迷ったということだろうか。だとするとあまりよくないのかもしれない。
「あー、やっぱりこのままでいいや。座れるもの」
私には暗いが床があるように歩いているのだから座れるはずだ。電脳世界なのだから地面というわけではないだろうしと座る。
ロボットプログラムの女の子と私だけの空間、私が黙れば沈黙がこの場を支配した。
「あのね。ちょっとお話していいかな?……ありがと」
明るくなった彼女にお礼を言って、何を話そうかと迷い。彼女は私を助けてくれようとして、ここに導いてくれたのだから私のことを話そうと思った。
今の彼女が今後どうなるかはわからないけれど、ここはロボット達にとっては赤ん坊にとってのお母さんのお腹の中みたいなものだから覚えていないだろうと思うけれど。
「私の話をするね。私、こことは違う世界に居たの。遠い遠い場所で、すぐには帰れそうにないの」
そう彼女に話し始めながら、それは私自身に今の自分を認識させる行為だった。
短くない話であったのに彼女は時に光り、時に泣き出しそうに眉を寄せた。私は彼女が私自身に同調し、哀しみ憤ってくれていることを感じた。
不思議なことに彼女は私に近しい存在のような気がして、そんな彼女を知りたいと思う。
「私、っていうの。貴女の名前を知りたいな」
彼女がはじめて目を開き、その瞳は綺麗な琥珀色をしていた。
綺麗なその瞳はすぐに閉じられてしまったけど。私を見てくれたことが嬉しくて微笑んだ次の瞬間。
『っ!そこを動くなよ』
声が空間に響いた。
「あー、見つかっちゃったか」
タイムリミットだ。オラトリオの行為にムカツイていたとはいえ、勝手に出てきた訳をどう説明しようかと悩んでいると。
『おいっ!、干渉するのは止めろ』
「はぁ?私は何もしてないけど」
いきなりの言い掛かりに何を言っているのかと顔をしかめて、何処にいるかわからないけど上のほうに向かって声をあげる。
『だったら、どうし…俺が……弾かれそうに…って……』
オラトリオの声が遠く、ノイズも酷くなる。
「えっ?オラトリオ?ちょっと冗談でしょう?おーいっ!オラトリオのばーかぁ」
悪口を叫んでみたけれどオラトリオからの返事はなかった。
最強のガーディアンだってオラトリオのことは聞いているのに彼が弾かれるって一体ここはどこなの?
ここに唯一存在する女の子へと視線を戻すと。
「……なんか、満足そう?」
気のせいかもしれないけど女の子は楽しそうだ。この状況を喜んでいるとなると彼女がオラトリオを排除した?
でも、私には気概を加える気配はないし私がこの空間を書き換えようとした時も了承してくれた。
彼女はオラトリオが嫌い?なんで?正式に活動していないだろうロボットプログラムである彼女がオラトリオと会ったとは考え辛い。
誰かが何かを嫌う時は情報というものが必要で、そうすると……
「あれ?私のせい?」
ばっちりはっきりとオラトリオの悪口を言った。私の状況を一通り説明したことをのぞくと8割は彼への愚痴だったかもしれない。
私のことを親身になって聞いてくれた彼女はオラトリオを排除してしまったらしい。
悪気なくしてくれたことを叱ることは難しく、そもそもここは彼女の場所でオラトリオは訪問者になる。
その訪問者が気に入らないからと家主である彼女が中に入れなかったという行為は悪いとは言い切れないような。
私はオラトリオと再会した時にどう説明すればいいのかと頭を抱えた。