星の螺旋 第二部
02 錯覚した事実
リハビリ前に病院の中庭にあるベンチで最近の日課である日向ぼっこをしながら物思いにふける。
としてカミュと会ってから二、三日に一度の頻度で彼から電話をもらっている。
病院なので看護士さんに取り次いでもらうことになるのだが、カミュの美青年っぷりが噂にでもなったのかどんな関係なのか数人に訊ねられた。一回だけの見舞いなのにどれだけ女の人を虜にしたのかと戦慄を覚えてしまった。
カミュの顔を見慣れすぎたせいで、彼が美形とかそういう感覚が私自身は麻痺しているらしい。
「退院前にまた来るかなぁ」
電話では当たり障りの無い話ばかりで、世話になることを断わろうにもその話をする隙すらない。話がそちらに行こうとすると電話を切り上げられることが続けばワザとだと理解は出来る。
聖闘士であるのだから忙しいのだろうし、見舞いとして時間をわざわざとってもらうのも難しいだろう。
本当にこのままカミュのお世話になることになりそうだ。彼のことは嫌いではないからこそどうすればよいのか悩んでしまう。
世界と比べれば平和な日本だからこそ周囲をあまり警戒もせずに考え込んでいた私は潮の香りを感じて意識を戻す。
いつからそこに居たのかはわからないけれど、少し離れたところで左目にアイパッチをした少年がこちらを見て佇んで居た。
アイパッチでは隠し切れていない左頬の傷、成長をし精悍さを増してはいてもかつての面影を残している。
「よかったらお隣どうぞ」
真ん中に座っていた身体を右側にずらし、見舞いに来たらしい彼に手で示す。
「……すまない」
素直に隣に座った彼は手に持っていた全体的に黄色でまとめたガーベラのフラワーアレンジを膝の上に置き手で支えた。
覚えているよりも精悍さを増した彼と可愛らしいフラワーアレンジ、意外と似合っている。
「……」
隣に座らないかと言ったくせに話題らしい話題が浮ばず何を言おうか迷う。
見舞いにでも来たのかと白々しくも聞いてしまおうか?
「貴方はさんだろうか?」
考えている間に相手から名を確かめられ、返答としては、『はい』か『うん』か迷って頷くだけにした。
肉体年齢は20歳ただし成長は寂しい限りだったので2、3歳ほど若く見えるものの中身は8歳児となっている私を演じるとかどれだむ設定過多だ。
もちろん設定ではなくこの世界での私であり、事実であるのだからそれに合わせるしかない。
よし下手に喋るよりも無口キャラでいこう。それなら下手なことを言う確率は下がるはず。
「俺はアイザック、巧の兄で……いや、兄みたいな友達なんだ」
彼は兄弟子と言いそうになって慌てて誤魔化した。兄みたいな友達っていう自己申告するっていうのは微妙な気はしたけれど誤魔化されることにする。
「そうなの」
「ああ」
クールになれ、アイザック。
あからさまにホッとした様子の彼に内心でそう思いつつ無口キャラ設定を付けた私は何も言わずに前を向く。
「彼は俺のせいで行方不明となった」
前置きもなく感情を置き去りにしたような淡々とした口調で呟いた。
そのために彼にとって弟弟子であった私が行方不明であるということを気に病んでいるのだと気付かされる。
「……」
私が残した心の傷に胸が痛くなる。
「俺の弱さが君から弟を奪ったんだ」
その言葉にアイザックのほうを見れば、感情を押し殺した声とは違い揺れる瞳、見たことの無いアイザックの姿。
私が知っている彼は悩むことはあってもいつも前を見て後悔など抱いていなかった。
「私は巧に会うためにこの世界で目覚めたの」
「あっ」
フラワーアレンジを支えている右手を握る。
「大丈夫、巧は生きてる。私がここにいるんだから」
もう一人の私の願いを叶えるため、弟を独りにしないために私は此処に居る。
今までの私を捨てさせるほどに心を締め付けるほどの願いだった。
私であって私でない彼女の願いを小宇宙を通じて理解してしまったために私は多くのものを置いてきてしまった。
それはアイザック達とカミュのもとでの修行の日々があったからこそだった。
「俺も生きていると信じている」
「ありがとう」
彼はそう信じたいだけなのかもしれない。それでも、その言葉はただの慰めではないと感じた。
「礼の必要などない。俺のせいだと言っただろう」
本来であれば持つ必要のなかった罪悪感を植えつけてしまったのは私だ。
「私がお礼を言いたかったの。アイザック」
謝れないからのお礼なんて、きっといいことじゃないんだろうけど。
「……」
「さん、さん」
「あっ、はーい!今行きますっ!ごめんなさい。今からリハビリの時間なの」
呼ばれた名前に今出せる大きな声で返事をする。動かしていない身体はいたるところが衰えていて声帯もその一つだ。
担当してくれている人は驚くほど回復が速いと言ってくれるけど、リハビリを真面目にして少しでも早く巧を探しにいかないと。
「迷惑でなければ待っててもいいだろうか?」
「いいけど、退屈なら帰ってもいいからね」
リハビリルームへと向かうために歩き出したかかったアイザックの声に振り返り頷く。
そうは言ったけれど、待つと言ったアイザックが勝手に帰ることは想像できないのでまた後で会えるだろう。
アイザック視点
の姉が聖域に来ることになるとカミュから聞いてあいつの事情を知った。
姉のために聖闘士となる修行をはじめたのだと。かつてであれば甘いことだと言っただろうが情は弱さにもなると同時に強さにもなりえると知った今ではの必死さの理由がわかった気がした。
姉を忘れないためにか姉の名を名乗っていた弟弟子。それなのに一度も姉のことを口に出すことの無かったあいつは何を思っていたのだろう。それがどのような思いだったとしても姉が目覚めたと知ったのならば喜んだはずだ。
俺がの姉のことを気にしていることに気付いたカミュから彼女の入院先がどこかを教えてもらったのは、聖域でただ待つことが耐えられなかったからだ。
見舞いには花を持っていくものだという知識から、入った花屋の店員から入院しているのなら花瓶が必要ないほうがいいだろうと言われて買った花束ではなくフラワーアレンジ。
黄色、オレンジ、白のガーベラが使われたそれは店員から聞いた花言葉から選んだ。
黄色の究極の愛はの姉への想いを、オレンジは冒険心、目覚めた彼女がこれからを恐れることがない様に。
白は希望、弟であるが生きていると信じている彼女とそう願う俺のためのもの。
入院先の病院に入り俺は彼女の病室に向かったが彼女はおらず、何処にいるのかと考えて小宇宙を探ることにした。
「……えっ」
血縁者は感じられる小宇宙が似ることが多いため、覚えているの小宇宙と似た小宇宙を捜そうとしたのに懐かしい小宇宙に声をあげてしまう。
誰もいない病院の廊下に零れ落ちる滴。あぁ、こんなにも俺はお前を失ったことを後悔していたのか。溢れ出した涙を乱暴に腕で拭う。
今は泣いている時ではない。感じた小宇宙を探れば建物内におらず中庭らしき場所のベンチに空を見上げて彼女は座っていた。
20歳になっているはずなのに小柄なその姿は髪の色が同じなためかとよく似ているように思う。
意識を周囲に向けていない相手へと近づき何と言って声をかければ迷っていると視線が向けられる。
とよく似たその瞳から感じるのは懐かしさ、会ったことのないはずなのに彼女を知っているような気がした。
「よかったらお隣どうぞ」
俺が見ていたことでベンチに座りたいと言えなかったのだとでも思われたらしくそう声をかけられてしまう。
彼女に会いに来た俺にとってはありがたいことだったので、移動してくれた彼女の左隣に座る。
会話がなくただ過ぎる時間、当然だろう。彼女は俺のことを知らないのだ。
「貴方はさんだろうか?」
名を確認ために視線を向けたが長年の入院生活のためによりも色の白い肌に戸惑う。
頷いた彼女の首は細く今にも折れそうだ。近くで見れば彼女ととの違いがわかった。
「俺はアイザック、君の弟の兄で」
カミュからはまだが聖闘士候補生であったことを言っていないと聞いている。
「いや、兄みたいな友達なんだ」
俺がここで言うわけにはいかないと滑らせてしまった言葉を誤魔化せば彼女は疑問に思わなかったようで頷いた。
「彼は俺のせいで行方不明となった……俺の弱さが君から弟を奪ったんだ」
本当は言うつもりがなかった言葉を言ったのは、彼女がにあまりにも似ていたからだ。
カミュに教えを受けていた聖闘士候補生の頃、俺の悩みを聞いてくれたに。
10年近く意識不明であった彼女の精神は、厳しい修行をした候補生でもないのだからまだ幼いはずなのに俺は何を言っている。
「私は巧に会うためにこの世界で目覚めたの。大丈夫、巧は生きてる」
自分の不甲斐なさに唇を噛んだ俺の右手を温かな手が包み。
「私がここにいるんだから」
その言葉が俺の心に沁み込む。
「俺も生きていると信じている」
俺は理性ではなく感覚で理解した。彼女は『弟』が生きていることを確信しているとそして、それを俺もまた信じたいと思っている。
「ありがとう」
彼女の穏やかな笑みにも思い出すのは彼のことで。
「礼の必要などない。俺のせいだと言っただろう」
そんな笑みを俺は向けられるような人間ではないのだと言えば、困ったような顔をさせてしまう。
「私がお礼を言いたかったの。アイザック」
おぼろげな記憶の中のの俺の名を呼ぶ声と重なる。
「……」
何かを俺が口走ってしまう前に。彼女は名を呼ばれ、リハビリだと立ち上がったその手が俺の手から離れた。
辛うじて待つことを伝えた俺は一人残されたベンチに座ったまま温もりを失った右手を握り。
「彼女とは違う。混同するなっ」
そう己の心を縛める。