幻は現となり出会いを生む

小さな出会い


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聖域において見習いの神官は一定期間に行われる試験に合格することによって神官となる。半年毎のその試験を受ける資格は指導者である神官の推挙を受けることであり、私は聖域にきて三ヵ月後に行われた試験に合格し、正式な神官として銀の腕輪を受け取った。
個を判別するがために腕輪には個人によってモチーフが違い、私が受け取った腕輪は勿忘草である。本来であればモチーフを当人が希望し、同じモチーフをしている者がいない場合に通るのだが、かつて聖域において私が神官をしていた時の腕輪を神官長から渡されたのは、カツィカス家が保管していたのだろう。
神官達の腕輪は聖衣ほどではないが小宇宙を増幅する能力を持つ、神官が扱う過去の遺物には小宇宙を燃やすことが出来ない者には触れることすら出来ないものがあるので当然の処置とも言える。
これはアテナではなく私が伝えた秘儀によって造られるものであるがゆえに、アテナに仕える聖闘士以外にも使用できるものであるが小宇宙に目覚めている神官などカツィカス家の者をのぞけば数名でしかない。
それも仕方が無いのだろう。本来は個人の資質や努力にって目覚める小宇宙をカツィカスの者は秘儀によって小宇宙の扱いを継いでいく。よほど意志薄弱な者でない限りは小宇宙を扱えるようになるのだ。けれど、決してカツィカスの者は星座の宿命は得られない。
私に仕えるという一族に生れ落ちる者が星座の宿命を得ることが無いように私が小細工しているのだから当然だ。ただ私に仕えるかどうかは個人の意思に任せている。仕える気がないのであればカツィカス家に与えた秘儀を受けねばいい。
神の奇跡が遠くなったこの世で、神を必要としない者のほうが多いのだから選ぶのはその者の自由だ。神の支配からの解脱、それを人の堕落と神々は言う。
何を言うというのだろうか。それこそが人の進化、神は世界の支配者から零れ落ちたのだと何故気付かない。地上を離れたのならば残りの時を神々の世界で過ごせばいいでしょうに。
「……如何なさいましたか?」
渡され身につけた銀の腕輪を見ながらぼんやりとしてた私へと神官長がたずねてきた。
こちらを気づかっているのだとは思うが、威厳がまだ足りない。彼は私を出迎えた者の息子であり、五十代と神官長としてはまだ若く教皇であるシオン相手に太刀打ちするのは難しいだろう。
「懐かしいと思ってな」
「前聖戦の前に身に付けていらしったゃった物ですから、そのようにお感じになられるのでしょう」
「そうやもしれぬ」
時間が経ち、私自身の温もりが腕輪へと移っていく。
「神官長、見習いの腕輪を」
その腕輪をローブで隠し右手を神官長へと差し出す。
「私から戻しておきますが」
「いや、曲がりなりにも神が使用した物であるからな。下手な者に渡るような真似は出来ぬ」
神としての小宇宙を隠してはいても常に身に付けてしまった物であるゆえに何があるかはわからない。
大したことではないという油断が足元をすくう結果に繋がることもある。
「さようでございますか」
神官長より戻されたさきほどまでつけていた青銅の腕輪は見習いであるために個人を示すモチーフは無い。
始末するにしても今は方法が浮ばず左腕に見につけることにしてはめ込み。
「神官長、これより以降は私をただの神官として扱うようにのう」
「わかりました」
「カツィカスの者として、これより任命されました旧神殿書庫の司書としての務めに従事いたします。神官長」
頷いた神官長から神官としての作法として教えられたとおりに言葉がかかるまで待つ。
「よろしく頼みますよ」
「はい。それでは失礼致します」
神官長の執務室から出て神官達の多くが務めている神殿書庫からも出る。聖域は長年の間に資料が莫大となってしまっているので資料もまた一つの建物で管理している。
私の管轄となる旧神殿書庫は別の建物で、前回は住み着いていると言われても過言でもないぐらい居た神殿書庫だ。
そこは二百年の間に旧とつき現在まで数十年近くほぼ開かずの間となっていたらしい。それもまた仕方がないと思うのは旧神殿書庫に神官長である私が居た時に古いギリシャ語ばかりで、いくら神官といえ困っていたので当時必要としているものの大半を翻訳したのだ。
現在ではそちらを参考としているらしく、旧神殿書庫は原本かそれに近いものを保管するだけの場所となってしまったのだという。
時代の流れと言うか私自身の行為のせいなので、責任をとって聖域に居る間は私がしっかりと管理しておこう。
そのせいで旧神殿書庫に篭ることになるのは普通だ。人付き合いが面倒で部屋に戻るのが億劫とかそういう理由ではない。
「……んっ?」
旧神殿書庫の近くに目ぼしい物などなく、利用者も居ないために人などあまり来ないと聞いていた。
それなのに何者かの気配があったことで足を止め、気配が感じるほうへと視線を向ければ木々の向こう側に居るようだった。
このまま気にせずに行ってしまおうかとも思ったものの、フッとかつて出会った彼もまた似たような場所であったのだと思い出し、気まぐれを起して気配の主を確かめに向かう。
もちろん彼とは別人であり、気配の主は押し殺したように泣いていた。まだ幼いだろうはずの子どもが背を丸め……
「如何したのだ?」
「ひぐっ……なっ、なんでもない」
泣き顔を見られたくないのか癖のある金の髪をした子どもは私を見ようとしない。
態度の違いはあれど同じ言葉を返されるのかと私は仮面の下で笑う。
「お前は聖闘士の候補生殿だろう?」
無言で頷いた子どもに近づけばその気配に明らかなほど肩をはねさせる子ども。
驚いたというよりも怯えたような反応にあまり良い気分にはならないが、子どもに対してというより子どもがそうしたという事実ゆえだ。
「もう行く」
乱暴に目元を拭う子ども、慌てて離れようとした子どもの腕を掴む。
「はなせっ!」
こちらを振り向いた子どもの瞳は綺麗なアクアブルーで、可愛らしい顔立ちをしていて将来が楽しみな子だった。
子どもの腕を痛めないように気をつけながら、穏やかな声を出すように心掛ける。
「どうして泣いていた?」
「関係ないだろ」
鍛練の後であるのか擦りむいた後などがところどころあるが、それで泣いていたわけではないのかもしれない。
「ふむ。お前も私も聖域の者、広い意味で仲間だと思うのだが」
「ちがうっ!」
強い否定。憎しみすら感じさせるそれはこのような歳の子どもがするようなものではなく。
「たしかに私は神官だが、そこまで否定せずともいいではないか」
冗談めいた口調で言えば子どもは力んでいた身体の力を僅かに抜いた。
「……神官?仮面をつけてるのに聖闘士じゃないのか?」
聖闘士候補生であるはずの子どもに聖闘士と思われていたから怯えられた?修行であるときちんと認識できていれば鍛練を施した者に怯えることなど少ない。
鍛練なのか虐待であるのか区別をつかないような愚か者も時に居るようだが、アテナのお膝元である聖域でそのような愚か者がいるのだろうか。
「神官を知らなかったのか。まぁ、お前のような歳であれば神官と接することもないか。聖闘士は知っているな」
一応の確認のために聞けば可愛らしい顔立ちを盛大に子どもはしかめ。
「バカにするな」
この年頃の子どもがこの態度とか聖闘士って候補生の教育どうなってるんだろうか。
聖域外の話を聞いていると前世の私が生きていた頃に近いみたいなのに、聖域という場所の時間はほとんど流れていないかのようだ。
もの申したいが神官長であった頃はともかく今はただの神官でしかない。
「馬鹿にしたわけではなくただの確認だ。神官は聖闘士と違ってアテナを護り戦う者ではないが聖域に残る大切な資料を保管する者達だ。教皇や聖闘士から要請があれば必要とする資料を探し貸し出すこともある」
「ふぅん」
「興味がなさそうだな。お前ぐらいの年の子にはつまらぬことかもしれんが……」
神官について説明をすると子どものしかめっ面は戻ったが返答はかなり呆気なかった。
「仮面は何でつけてるんだ?」
女聖闘士かもしれないと思われた理由のこれは女聖闘士のものよりも、おうとつが少ない仮面だ。
「これは個を出さぬためだ。老若男女といった外見でその能力を判断されぬために、神官は見習いとなった時からこうして仮面をつける」
見につけている仮面の頬を軽く指で叩く。
「声が変なのもそのせいか」
「お前は頭がいいな」
「バカにしてるのか」
声が変質していることは話していないのに不自然を感じたらしい。それが勘であったとしても、仮面とつなぎ合わせることができたのなら頭がいい子だ。
「褒めたというのに。この声は仮面に秘儀がかけられておってな、付けることによって高い声のものは低くなり、低い声のものは高くなるというように一定の音域へと変質する。多少は個人差はあるが声で個人を聞き分けるのは至難の業だぞ」
聖闘士であれば小宇宙で判断するようになったりもするが、それとて才能がある者に限られる。白銀ですら小宇宙で個の判断を出来ない者はいるのだ。
「へぇ」
「……欲しいか?」
興味のなさそうに呟いた子どもに聞いてみる。
仮面をあげる方法は神官見習いになってもらうことしかないわけだが。
「いらない」
「そうか。お前は頭のよい子のようだから見習いとして指導してもよいかと思ったのだがなぁ」
間髪いれずの返答に残念だと思いながら言う。
「指導……」
何やら複雑そうな顔をした子どもは鍛練は好きではないようだ。
「神官は見習いが一人前の神官となるまで指導する。もしくは才がないと判断して告げることになる」
「候補生を神官見習いにするのか?」
「いや?普通は聖域外でその才があるだろうと見込まれたものが神官見習いとなるらしい」
昔は神童と呼ばれる子どもの元に聖域の人間が向かったりとかしていたらしいが、現代になってそれは難しくなっていることだろう。
金で解決とかしてたりとかしていたらしいが、今もそうだろうか?そう考えると聖域というのは人買い集団でしかない。
聖闘士になれずとも死ななければ食事が出されていただけマシだったけど、今はそれよりも恵まれたところで住んでいる子が多いだろう。
その場合は子を聖域に差し出す親は昔よりも少なくなっていると思うが、どうやって今は候補生の子どもらを集めているのか気になるな。暇があれば調べてみようか。
「なんでオレをさそったんだ」
「お前だからだ」
神官というのは言葉を選ぶ人達ばかりだったので、テンポよくこうして会話してくれるのは楽しい。
「……オレだから?」
「そうお前だからだ」
彼の琴線に触れたらしく恐る恐ると確かめるように呟いた子どもに大きく頷く。
「オレのこと知らないくせに」
「知らないが、お前と話しているのは面白い」
「オレは楽しくなんかないっ!」
強い口調で否定し、子どもは唇を強く噛む。唇を傷つけてしまうと思ったが、今の子どもに手を伸ばしても良い結果にはならないような気がした。
「そうか。それは残念だ」
子どもの言葉に息を吐き、掴んでいた腕を放す。
「あっ……」
「私はそこの旧神殿書庫に務めている。お前が暇な時は暇つぶしにでも来ておくれ」
傷ついたような子どもに木々の間からも見えていた旧神殿書庫を指差す。
子どもの視線がそちらほ向いたのを確認して、子どもの頭を軽く撫でる。
「ではな」
そう一言告げて私は旧神殿書庫へと向かうために立ち去った。名も知らない子どもが来るかどうかは子ども自身に任せるつもりだ。
ただ子どもが来た時に出すことが出来るお茶やお菓子は準備しておこう。誘ったのは私なのだからお出迎えの準備は当然だ。

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