はじまりに続くための終わり
女神達の邂逅
輪廻転生。魂が巡るのだとしても、未来から過去に戻ると思ったことはない。
私が前世と思われる記憶と心を持ったまま生まれたのは前世で生きた時代より遙か昔。神代の時代。世界に神秘が溢れし時だった。
何も言うことの無い赤子の時代から、周囲のことを探りそれを理解できた時には頭がパーンッて破裂するかと思った。
どこの誰が生まれ変わったら神代の時代に生まれるなどと思うことが出来るというのか。事実は小説よりも奇なりということわざ通りだよね。
ため息をつきつつ枯れ果てたかつて花が咲き乱れていた湖の近くでぼんやりと過ごしているとニュンペー達に母に呼ばれていると伝えられる。
少し遅れたぐらいで娘の私に怒る母親ではないが、この世での唯一の心安らげる母の呼び出しぐらいはすぐに応えたい。
「お母様」
枯れ果てた植物の上を蹴って駆けて母の元へと急ぎ、母の姿が見えた瞬間に呼ぶ。
「私の可愛い娘。おかえりなさい」
腕を広げた母の腕の中に飛び込んで抱きつく。
「コレーが帰ってくるわ」
「お姉様がっ!お姉さまが戻られたら一緒に花冠をお母様のために作るわ」
冥界の主であるハーデスが姉を誘拐したせいで地上は荒廃し、母は色々とあって私と弟を産むことになってしまった。
姉ちゃんは人の足を持ち人語を操るお馬でも姉上と慕ってくれる弟は可愛いと思うよ。最初はビビッたけどその分可愛がってる。
その色々は置いておいて地上のためにと冥界から姉が戻ってくることになったのに、庭師の策略により冥界で石榴を三粒口にした姉は年の四ヶ月を冥界で過ごさなければならないのだ。
知らない間に出来た弟妹である私や弟を可愛がってくれる姉を四ヶ月とはいえ、話に聞く限りは面白みもなさそうなところに送りたいとは思わない。
けれど、力ある神ですら違えることのできないこの世の理に生まれたての神である私にはどうすることも出来ない。
「貴方はコレーが好きね」
優しい母の笑みに私は力強く頷く。
「大好きですっ!お母様、お姉様、アレイオーンそれに優しいニュンペー達とずっと居たいわ」
「……私もですよ。」
宝物のように優しい声が私の名を呼ぶ。娘のために世界すら荒廃させてしまった愛情深い優しい母。
ダメ男達のせいで望まぬ妊娠であっただろうに生まれた子である私達に対する愛情は深すぎるほどに深い。
きっと私が姉のように心無く連れ去られればまた地上を荒廃させるほど嘆くだろう。
それを予測できるがゆえに私は多くの神々から傷つけられることは無い。
同時に彼等は触れてはならないもののように私の名を呼ばず、デスポイナ。女主人と呼ぶ。
秘儀の女神、それは彼らが私に触れたくがないために与えらた役割。世の理に反しない秘儀を施す者が私だ。
「お母様っ!ッ!」
聞こえてきた姉の声に振り返れば、弟であるアレイオーンの背に乗った姉の姿を視界に捉えた。
足の速い弟は冥界から帰ってくる姉を迎えに行っていたのだろう。
姉が近づいてくるほどに世界に彩りが戻っていく。地上に咲き乱れる花々が春の乙女たる姉の帰還を祝っている。
「お姉様っ!おかえりなさいませ」
約束された穏やかな八ヶ月間。姉のいない時に嘆く母と過ごす悲しい四ヶ月間。
そんな日々を人の一生以上に過ごした神代の終わりまで。
私の世界が哀しみに満ちたのはいつだったか。
はじまりは母、姉、弟以外の誰もが私の名を呼ばぬことだったのか。
神の血が流れていてもアレイオーンは馬でしかなく、永久の命など望めず逝ってしまった時か。
世界に神秘が薄れ、神々が地上を去ると決めた時なのか。母も去ると決めた。姉もまた去るのだと言った。
それでも、弟が愛し駆けた大地を去り難く思う私は神とは呼べないのかもしれない。
神として気が遠くなるほどに長く生きたというのに人であった頃を忘れられないのだから。
どうするべきかと悩んでいた私の元に女神が訊ねてきた。
「秘儀の女神、貴女に願いがあるのです」
今まで宴の時に挨拶する程度でしかなかったはずの彼女の来訪に私を取り巻くニュンペー達がざわめいていたが、気にしないようにと手を振ることで抑える。
「何を願うというのだ」
母と姉、ニュンペー達以外に対して使う冷めた口調にも目の前の女神は彼女の役割を考えれば当然のことながら気にした様子なく。
「ゼウスに地上の守護者としてくれるように願い出ました。地上に残るため私を人として転生させて欲しいのです」
私が悩んでいた地上を去るか残るかという問題に関することを口にした。
今まで聞いていた限りでは初めての地上に残るという選択であると同時に神としての永久の命を捨てるという選択までも彼女はしていた。
「……神としての永遠の生を捨てるのか」
人であるという前世の記憶がある私なのに出来なかった選択。
それを生まれながらにして強い女神である彼女は選ぶという。
「ええ、地上を守護する者として私もまた人になりたいのです」
一度決めたことだからなのかためらい無く頷いた女神から強い意志を感じた。
「貴女の願いを叶えよう。秘儀の女神たる私が貴女を『人』としよう」
力の強い神々が罰するために存在を作り変えるためではなく、地上の守護者として地上に残るという彼女のためにその意志を変えぬよう秘儀を施そうと決める。
「と仰るのですね。貴女の名は」
「母や姉以外に呼ばぬ名だ」
神としての誓いのために名を言った私に意志の強い瞳で私を見ていた女神が、何故だか意外そうに私を見ていた。
呼ばれない名前などあまり意味がないが確かに私の名前であるので頷いて答えれば、彼女は笑い。
「人となれば多くのことを私は忘れてしまうでしょう。神としての残り少ない時を貴女の名を呼んでもよろしいですか?」
「私は私の名を呼ぶことを何者にも禁じたことはない。好きにすればいい。アテナ」
「はい。そうすると致しましょう」
奇妙な女神だった。争いを嫌うがゆえに私は彼女と今まで会話をする気も無かった。こんなことが無ければこれからも彼女と話す機会はなかっただろう。
今回のことは大変に妙な因果であるとは思ったが、地上の覇権に憎きハーデスとポセイドンまでも名乗りをあげていると知った私は秘儀の女神として最高の仕事となるように準備をした。
まず女神アテナを地上の守護神として人の輪廻の輪に取り入れ、他にも彼女に頼まれてもいないことを秘儀として施した。
女神の力を使えるのだとしてもあくまでも人でしかない彼女のために彼女に仕える戦士達もまた彼女の元に集うようにしたのだ。
そして、冥界を支配するハーデスが女神の戦士達を冥界に留めようとしても、一定期間以上経過したら輪廻の輪に戻すようにも秘儀を施しもした。
きっと彼らはハーデスとポセイドンとの戦いの時にはアテナの心強い味方となってくれることだろう。
秘儀を滞りなくするために何度か定期的に地上に降り立たねばならないけれど。
まぁ、地上に残ることも神去ることも選べなかった私には相応しい結末なんだろう。