縁談話2
温かで確かな存在を感じ、私の心は幸福で包まれて幸せな気分で目を開ける。
これほどに穏やかな気持ちで目覚めの時を迎えるのは初めてのことだ。
「……んっ?」
いつもとは違う部屋。そして、自分にまわされた逞しい腕。その腕を見て一気に昨夜の記憶が蘇っていく。
「呂布様?」
本当にその記憶が正しいものかと不安になって腕の持ち主へと視線を向ける。
戦場でのあの勇ましさが嘘のように穏やかな寝顔。その穏やかな寝顔は長年仕えてきた自分でも始めて見るもの。今まで見てきた寝顔は眠ってていても何かに挑むかのように厳しさがあったのに。
「良い夢を見ていらっしゃるのですか?」
起こさぬ様に、そっと呟くと私を抱きしめていた腕の力が強くなる。
「良い夢ではなく現実だ」
寝起きの擦れた声、そして穏やかな笑顔。
「どうした?」
長年共にいたというのに私はまだ見たことのない呂布様がいる。その事にぼんやりとしていた私の顔を覗きこまれた。
「いえ、あの……呂布様」
「奉先と呼べ」
今までずっと呂布様と呼んできたというのに字を呼べと言われるのは初めてのこと。今日は、いや昨夜から初めて続きのような気がする。
「私は呂布様の部下で」
示しがつかない、そう告げようとして急に険しくなった呂布様の表情に私は続ける言葉を無くす。
「俺が呼べと言っている」
「はい、奉先様」
言い出したら聞かぬ方であるのはわかっている。しばらくして自分の言ったことを忘れていらっしゃることを期待して私はこの場を頷くことにした。
「よしっ、ならば行くぞ。」
満足そうに頷いた呂…奉先様がそう仰ったと思ったら寝台から飛び出すように行動を開始する。私がいるというのに平気で寝巻きから着替えようと脱ぎ捨てている。戦場ならば兎も角、平時でこのような事態になるとは思いもしなかったけれども私は奉先様の着替えの準備を手伝おうと起き上がった。
「手伝いはいい。お前も着替えろ。迎えに行くがその時は護衛時の格好をするなよ」
私は手伝う事を許されずに不可思議なことを言われて部屋を出される。時折、想像もつかないことをなさる方だとは思いはしていたけれども今回ばかりはお手上げだ。
朝の早い時刻であまり人は通らぬとはいっても無人ではなく、普段の姿でない私を興味深げに見ていく者達が数名。
幸いなのは普通に歩いていても平気な格好だというところだ。私は部屋に着くと良く解らないまでも普段とは違う休日の時にのみ着る服を着用する。
しばらく待ってみたけれども奉先様どころか誰も現れない。
忘れられてしまったのだろうか。不安にかられて部屋を行ったり来たりする。
「、入るぞ」
扉を叩く音と共に奉先様が中へと入ってくる。
「もう少し、違う服が良かったが急だからな。仕方ない」
そんな事を言ったかと思うと一人で頷いている奉先様こそ普段とは違う姿。何か行事でもあっただろうか?
正装姿を好まない奉先様にしては大変に珍しいお姿だ。
「行くぞ」
詳しい説明もないままに歩き始める。それを追って私も少し急ぎ足でついていく。これはいつものことなので気にも留めずについて行くと門のところに馬車が止まっている。
どんな時でも赤兎馬に乗って行きたがるというのに今日は大人なしく馬車で、それも護衛であるはずの私までもが馬車へと乗せられる。
向かいに座る奉先様を見てみれば、珍しくも緊張なさっている。本当に何がどうなっているというのか。
「奉先様。どちらへ行かれるのですか?」
この方が緊張するとはどんなところへと行くのかと気になり訊ねた。
「お前の両親の元へだ」
「はぁ、私の……えっ?」
私は聞き間違いかと思い奉先様を見つめる。その視線に居心地が悪そうに眉を顰められたのは私の気のせいではないと思う。
「俺が行くのは不都合か?」
「いえ、その様な事はありません」
両親は大変に吃驚するだろうけれど不都合ではないはず。
「何をしにいかれるんですか?」
とはいえ、奉先様のような方が行かれる家ではない。商人としてこのご時世にしてはそこそこやり手というぐらいである。
「お前を貰い受けるのに挨拶も無しではいかんだろう」
何と言われたのか理解できずに固まる。
「どういう意味でしょうか?」
「、何を言っ……言ってなかったか?」
私の問いかけに声を上げた。そうして、『うー』と唸り声のような声をあげて頭を掻いている。
「その、つまりだ。俺の細君になれ……俺を嫌っておらぬのであれば見知らぬ奴よりも良いだろう?」
いつも自信満々だというのに自信なさげにそう言った。
私は自分への婚姻の申込だというのに心が落ち着いている事に気付く。
「それは、私への申し出ですか?」
何処か違う人への告白を聞いているかのよう。
「他の誰に言う」
奉先様は揺れる馬車の中で私へと手を伸ばした。そして、私を引き寄せて抱きしめる。
「俺が想うのは、お前だけだというのに……」
心はざわめき、胸が高鳴り、眩暈がする。気を失わぬようにギュッと奉先様の衣を掴む。
「俺がお前をどのような敵からも困難からも護ろう。お前が傍にいれば俺はもっと強くなれる……だから、俺の傍に居てくれ」
「はい」
私は奉先様の言葉に頷く。奉先様は無言で私を強く抱きしめた。
「ですが、奉先様は私がお守り致します」
その言葉に奉先様が私に何と答えたかは胸にしまっておこう。
その後、馬車が止まってもしばらく出てこず。
痺れを切らした護衛をしていた張遼が『ごほんっ』と咳払いをして2人の注意を引いたという事があったとか。