3.てのひら

腕の中にいる少女は小さくか弱い。
自分が少し力をいれるだけで脆く崩れてしまいそうだ。


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目的の喫茶店までもう少しで辿り着く、それが惜しい様な気がして遠回りをしてしまおうかと考える自分がいた。
そう考えただけで行動には移さずに喫茶店へとそのまま向かったが、そう考えた自分に内心で呆れる。
「着いたぞ」
「あっ、着きましたか?」
俺の胸に顔を押し付けていた相手が勢い良く顔を上げる。
その態度から早く降ろして欲しそうなことが伺えて少しイラつくのは何故なんだ。
「あの?」
「……」
行動に移さない俺を不安に思ったのか此方を見つめくる。その視線に俺は何も言わずに彼女の足を地面へとゆっくりと下ろす。
「ありがとうございます。ケビンさん」
無理に抱き上げたのは自分だというのに礼を言われるとは思わなかった。良く解らない少女だ。本当に。
「此処が紅茶が美味い店だ」
英国での暮らしの為か紅茶は美味くないと我慢がならない。アールグレイ、ダージリンがいいと銘柄までは拘らないが美味くなければどんな良い葉を使っていようが駄目だ。
「そうなんですか……確かに隠れた名店って感じです。こういうとこ良く知ってますね」
少し大通りから離れたところにある店。少女のその様子ではこの店を知らなかったらしい。俺も偶然にこの道を通った時に中に入らなければ知らないままに過ごしていただろう。日本では一番に紅茶が美味いと思う店を。
「偶然、この店に入ったんだ」
扉の前で立ち話をしていてもしょうがないので扉を開ける。
少女が先に通れる隙間を開けておく。
「へぇ……あっ、すみません」
頭を小さく下げて少女が中に入るのを見届けてから自分も店内へと入り、頻繁に足を運んでいるわけではないがゆったりとした店内の雰囲気は変わっていないので安心する。
「奥でいいか?」
扉や窓に近い席だと俺に気付いた人間が近づいてくることがあり、そんなことになれば店が落ち着いていようと意味は無い。特に反対も受けなかったのでそのまま迷わずに奥の席に座る。店に入ると何となく定位置というものを決めてしまうがこの店での定位置は此処だった。
扉も見えるし、店内を見渡せる位置取りの場所で異変にいち早く気付ける。メニュー表を手に取る必要は無いのだが少女が見たいだろうと手に取ると相手へと見せれば、熱心にどれがいいかと悩んでいるらしく、『どうしよう』と小さく呟く声が聞こえた。何時までも悩ませていても構わない心境だったが注文を聞きにウェイトレスが来たので決めざるおえないだろう。
「俺はアールグレイのストレート、ホットで」
「私は……ええと、アールグレイのストレートの…アイスティーで」
俺の言葉につられたらしく途中までは同じ様に言っていたが少し迷ってアイスにしたらしい。この店はアールグレイ、ダージリンと色々な銘柄のお茶の葉を選べる紅茶専門店に近い店だ。
「アールグレイで良かったのか?」
ウェイトレスが居なくなってから訊ねる。もしも、違う方が良かったそぶりを見せたら即、新しく注文するつもりで。
「はい、特に好きなお茶っ葉とかないですし……正直、よく判らないんですよ」
「紅茶が嫌いだったか?」
湾曲的な嫌がり方だろうか?日本人は直接的な表現を避けると言うし。
「いいえっ!好きなんですけど、紅茶は」
「そうか」
好きではあってもそれほど拘ることではないということか。変に細かいことに拘るダディより何十倍もマシだ。いや、数百倍か?
「……」
沈黙が訪れる。いつもならば女性であれば相手が語っている。俺はそれを聞いているフリをするか、呆れて席を立つかすればいい。
「……」
沈黙が続く、いつもと勝手が違う女性相手に悩む。こういう時は万太郎のあの意味の判らないテンションの高さが羨ましい。
紅茶が運ばれてくるまで会話が無いままだった。
「いい香りですね」
ホットの方が香りが強い。
「冷たい方が良かったか?」
アイスティーはあまり趣味ではないが変えた方がいいだろうか?返事を待つまでに口をつける訳にもいかないので見つめていると。
「私、猫舌なのでホットはホットのままに飲めないので」
首を振って俺の申し出を断った。俺としてもそれはあり難いのでただ頷く。やはり、それ以上は会話が続かずに二人とも紅茶を飲み干すまで沈黙が訪れる。
ストローを持つ少女のその手は小さい。自分の手と比べるとどれほど違うのだろう。そんな意味の無いことを考える。殆ど知らない少女だというのにこの沈黙は気になる物ではなかった。


チリンッと可愛らしく扉の鈴がなって扉が開く。
あまり話さないうちに時間はいつの間にか経っていて、彼女が帰る時刻になっていた。
「本日はご馳走様です」
少女の言葉に首を振る。
「でも、私のお礼なんですからやはり私が払うべきだった気がします」
代金を払おうとした彼女より先にポケットから札を取り出して支払ったのだが、彼女はお礼だからと自分で払いたがっていた。
「女性に払わす気はない」
そのことについては譲る気はないのでその時と同じように一言でケリをつければ、不満そうな彼女だが俺が譲る気がないのは理解したらしく小さなため息をつくだけで今度は特に何も言わなかった。
「じゃあ、今度は違う方法でお礼をします」
「はっ?」
聞き間違いかと訝しげな声を出してしまう。
「今日のでお礼なわけないですよ」
やる気満々らしいその言葉に呆れるやら、笑えてくるやらマスクの下の自分の表情は表現しがたいものだろうな。
「連絡先、教えてもらえませんか?」
自分の連絡先、それは止まっているホテルの電話番号だろう。しかし、ホテルにはクロエもいる。俺にとって多くのことを話せる相手だが、今はまだこのという少女のことは秘密にしたい気がする。
「……3日後にまたあの場所に行く。それでいいだろ」
「そうですか、無理に聞いちゃダメですし。だから、来て下さいね?約束ですよ」
俺の言葉に右手を小指を立てて差し出してくる。意味が判らずにただ見ていると困ったように相手が笑い。
「あっ、もしかして指切り知らないです?」
ユビキリ?何だ、その拷問方法。約束をするのに指を切っていては10回しか出来ないだろうに。
「じゃあ、握手しましょう。握手」
パッと指を開かれる。
「あぁ」
俺は頷いてその手を取る。先程の想像通りに俺のてのひらよりもずっと小さいてのひらが握り返してくる。
「さよなら、ケビンさん」
握手を解くとニッコリと微笑んで少女が歩き出す。
「またな……
何故だか『さよなら』とは言いたくなくて俺はワザとまたと告げた。
不思議な少女だ。女性が傍にいても安らぎどころか苛立ちの種だったというのに彼女は違う。
その姿が見えなくなるまで見送ると俺はホテルへの道を歩き出した。

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