羊草06


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冥界に来てからどれだけの時間が経ったのかはわからない。太陽が爆発でもしたかと思うほどの小宇宙に師である二人を感じた後しばらくして冥界が揺れ空間が崩れていった。
冥界の異変は主であるハーデスが倒されたからこそ引き起こされたものかもしれないと希望的な推測をしてその場に仰向けに倒れ込んだ。
地上に戻るためのテレポーテーションをする余力は冥闘士達との戦いの中で残していることなど出来ず、ただ自分なりに闘いぬけたことに安堵した。
先に逝ってしまったらしい師二人やアイザックに多少のお小言めいたものはもらうかも知れないが、もう一度彼らと会えるのならそれもまたいいかもしれない。
「あれ?冥界なくなったらどうなるんだろ?」
我ながらマヌケな疑問が浮かんでしまったが、死した後に彷徨うことになるのは嫌な気がする。
冥界というのは罪によって罰せられるところだけどないと困るところなんだとぼんやりと考えていると冥界の崩落が止まった。
何が起きたのかわからないが一度倒れ込んでしまった身体を動かす気力がわかなかった。これだから氷河よりも遅く起きるのだろう。
意識を失う前に思ったのは、また同じように氷河より遅く起きたら格好つかないという悠長な思考だった。
どれだけ意識を失っていたのかはわからないが、意識を取り戻したのは誰かの声が聞こえたからだ
「……るか?」
「……」
声の主に問いかけようとして口を開いたはずなのに声が出なかった。
「これを飲め」
口元に付けられたのはペットボトルのようでそこから注がれた液体、スポーツ用ドリンクらしいそれを飲む。
「……あっ……あり…がと…」
正直、注がれた分だけでは足りなかったが声が少し出るようになったので礼を言う。
霞む目に男性らしい人物がいることは映っているがその顔を判別することができず、今にも落ちそうな意識からしてあまり良い状態とは思えず、礼を言う機会がまたあると楽観視できなかった。
「お前は杯座のだろう?」
頷いたつもりだが動いたかどうかはわからない。
「アテナからの要請でお前を捜していた」
アテナ、起きている時に会ったことのない彼女が私を捜してる?それは何故だろう。
まだ何か恩人が言っているようだけれどそれを聞く気力は残されておらず私はまた気を失ってしまい。
次に目覚めた時には人間だけどハーデス様の姉というパンドラが何故か私の身の回りの世話をしてくれていた。
彼女は復興のために慌しい聖域では弱った私の身体を休められないだろうと親切でしてくれたのだと思うが、聖闘士の私が冥界でお世話になっているほうがおかしい気がする。
男ばかりで話が合わないと言う彼女にそれを言えないまましばらく私は冥界に滞在してしまったが、中身はともかく実は男から女になった人間ですって知られたらどうなるだろう。
冥界の主であるハーデスの姉君に不貞を働いたとか言われたら嫌なので、この事実は冥界勢に知られないようにしなければならないだろう。
それに私は恩人を冥闘士のうちの一人としか知らないので、恩人にあらためて礼を言うことができないのは気にかかっていた。
彼は仮面の下の私の顔を見たので、恩人が誰かを知ったら女聖闘士として殺しにいかなければいけないのだ。
世話をしてもらっているうちに少し仲良くなったパンドラ経由で感謝の気持ちを伝えると共に正体を知ったら殺しにいきますという殺人予告をした私の気持ちを誰かわかってくれる人はいるだろうか?
私の顔を見たのは恩人と私を預けられたパンドラだけだったので助かったが、恩人は女聖闘士の掟を知っていたともとれて、命を救うためとはいえ私の仮面をとったのだとしたら殺されない自信があったと考えられる。
恩人の顔を覚えていなかったとか普通ならひどいけど、こういう場合はナイスって言えるだろう。
聖戦とか理由がある戦いならいいけれど顔を見られたから殺しますとか私には無理な感覚だ。グレーで済ませられるなら全力でそうしておくことにした。
二週間ほどお世話になってから地上に戻るさいに、聖闘士ではあるが気兼ねなく訪ねてくればいいという嬉しいはずなのに嬉しくない言葉をもらって地上へと私は戻った。



アテナの勝利で聖戦が終わりハーデスに対して今生のアテナが誕生してから聖戦に関する犠牲となった者達の復活を願いそれが聖戦終了後十日程経ってからに叶えられたのだという。
そこには黄金聖闘士であったカミュやムウ様はもちろんのことアイザックの姿すらあったのだからハーデスは大盤振る舞いだと思う。
ただ生きていた私はそこにもちろん姿があるはずもなく、亡くなっているものだと考えていたらしい氷河が大慌てでカミュ達に伝え、冥界で生きているのではとアテナから冥界に要請し冥闘士達に私を捜索してもらったらしい。
言ってはなんだけれどたかだか一人のためにアテナはよく動いたものだと思う。もちろん捜された本人である私は感謝しているし、助かったとも思っているけど私という存在でふたたび戦いになる可能性だってあっただろう。
負けたとはいえ同盟の条件ではないと突っぱねることもしなかったハーデス神、捜索した冥闘士の方々は大変ありがとうございます。その中には私が一度殺した人がいるかと思うとかなり複雑ではある。
私が聖域に戻ったのは聖戦から約一ヵ月後で、その頃には聖闘士が各地に派遣されたりと通常の体制に近いところまで戻っていたのは二度の聖戦経験者であるシオン様や老師のお陰だったんだろう。
今は聖戦から三ヶ月が経ち、老師は中国に戻られ黄金聖闘士は半数を聖域に残し各地に派遣されている。
報告書責めを受けているらしい双子座のサガや聖衣の修復士であるムウ様は常に聖域に常駐しているので、ジャミールで友達が居なかった貴鬼は楽しそうに聖域で過ごしているようだった。
私自身はヒーリングに優れているということで聖戦で傷ついた人を癒しているが、生き残った人のほうが聖戦の傷に苦しんでいるのはちょっとばかり貧乏くじのような気もするが、死というものは冷たく暗いものらしく味わってないのなら味合わないままがいいとデスマスクが言っていたのでそういうものかと納得した。
一つ困ったことがあるとすればデスマスクに冥界送りにされたのが、私自身が望んで冥界に向かったと聖域の人達に思われていることだ。
聖戦で聖闘士として戦う気はあったけど一人で冥界に乗り込むような無謀としか思えない勇気はなかったです。冥界で冥闘士と戦ったのは現実に冥界にいたから戦っただけなんです。
そんなキラキラとした眼差しで私を見るのは止めてください。聖域の皆様、貴方達の期待に答えられるような人じゃないんです。
私が出来ることなんてちょっとしかないんで、頼まれたことを出来たとしてもそんなに感謝しなくてもいいんですよ。感謝されないのは嫌だけどされすぎは困る。
師達がいる聖域では鍛練をしたほうがいいと思いつつ、ここ最近は彼らの眼差しに負け私は外に出ることが億劫でインドア派になりつつあった。
本来なら正式な聖闘士である私は聖域から住処を提供してもらえるらしいが、聖域の復興でまだまだ忙しい時期なため私はムウ様のところでお世話になっている。
カミュから良ければ一緒に暮らそうと誘ってもらえたものの一度出た身でどうかとも思ったので白羊宮でお世話になることにしたのだけれど、そうお願いした時のムウ様が驚いてたように見えたので実は迷惑だと思われてるんじゃないかという不安がある。
今日は朝から師であるムウ様が守るこの白羊宮で家事をさせて頂いているのもその不安を和らげることと、何か理由を付けて外出をしなくてもいいようにするためでもある。午後からはヒーリングでの治療の予定が入っているので清掃は午前中だけだけど。
白羊宮の中のチリを集めて宮の入り口で外へと掃きだしていると珍しい人が上から降りてくるのに気付き手を止め待つ。
「精が出るな。
「シオン様、ようこそいらっしゃいました。ムウ様でしたら聖衣の修復をしていらっしゃいますが」
今日は教皇の衣装を着ていないのでプライベートなのかもしれない。
「ムウならば私に気づいて手が空けば出てくるだろう。それに今日はムウに会いに来たわけではなく孫弟子達の様子を見に来たのだ」
「貴鬼はムウ様の手伝いに」
孫弟子という単語に貴鬼のことだろうと思いそう言えばシオン様の表情が悲しげなものに変わった。
「私は孫弟子達と言ったではないか」
「……申し訳ありません」
そんな表情は下手に叱られるよりも胸に迫るものがある。
「教皇としてではなくムウの師として私は参った」
「はい。シオン様」
その言葉に頷いて白羊宮に入っていくシオン様の後に続き。
「お茶の準備をしてまいります」
声をかけリビングにシオン様を残して、ホウキをしまってから三人分のお茶の準備をしていると奥の部屋からムウ様達が出てきた気配を感じた。
待たせないように急ぎ足で運び入れるとくつろいだ様子のシオン様とムウ様、元気にシオン様に話しかける貴鬼の姿があった。
一枚の絵のように調和の取れた彼らを見て疎外感を感じたのは被害妄想というものなのだろう。
「お待たせしました」
、おいら手伝う」
「ありがとう。貴鬼」
私の声に貴鬼が駆け寄ってきてトレーの上のお茶を運んでくれる。
すべて私がやってしまったほうが速いのだろうけれど、その心づかいが嬉しくて手伝ってもらっているとシオン様が何か微笑ましいものを見るような視線で見ていた。疎外感とは別の意味で居心地が悪い。
、トレーはそちらに置いて座ったらどうだ?」
テーブルの上に運ばれたティーカップやお茶請けとしてクッキー、何も持っていないトレーを戻してこようとした私にシオン様から声がかかる。
そちらというのは棚のことだろう。空いたところがあるので置けるといえば置けるけど、ムウ様に何と言われるかとその様子をうかがうために見ると目が合ってしまう。
「そうなさい」
「はい。ムウ様」
頷いて棚の上にトレー置いてシオン様の隣の席に座る私の前は貴鬼でその隣はムウ様だ。正式な女聖闘士となると師であろう異性の前で仮面を外してはならないらしい。
女性の前では仮面を外せるらしいけど、うっかり外してて男性が偶然見ただけでも殺さないとダメとか怖すぎる掟なので、就寝時に外しているが時々つけたままがいいかもしれないと迷うことがある。
、白羊宮によく居るようだがムウ達が修復をしている間は何をしておるのだ?」
「掃除をしていることが多いです」
サイコキネシスを使って天井が高いところでも埃を落とせるので超能力は大変便利だ。
シオン様とムウ様が何やらアイコンタクトというかテレパスしている。そういったことに才がある二人なのでいいけど、実はこの二人と老師、シャカ以外の他の黄金聖闘士のテレパスは近くに居ると受信出来てしまう。
自分で膜のようなものを作り出して遮断してしまうので話は気かないようにしているけど、最初の一回だけは驚いて聞いてしまったことがある。あの時は仮面があってよかったと思った。
は掃除好きだったけ?ジャミールではそこまで掃除してなかったよね」
「掃除は積み重ねみたいなものだから出来るなら毎日したいだけかな。ただジャミールは私が触れていいのか判らない物が多かったから」
掃除は私にとっては好き嫌いの問題ではなく、するべきものだ。うっかりサボると面倒なことになるので毎日やったほうが楽なんだよね。
「何が置いてあるのかよくわかんないもんね」
貴鬼もそう思っていたのか。ムウ様が管理しているので何か入ってるっぽいツボとか、鉱石っぽい何かとかよくわからないものばかりだよね。
聖衣の修復に使用すると聞いていたので私が触って台無しにしたとかになったら嫌なので自室として与えられた部屋以外は触らないようにしていた。
「ふむ、ムウよ。に細工を教えてはどうだ?」
「細工をですか?」
シオン様の言葉にムウ様が問いかけているが、私としてもどうして細工を教えるということになるのかは疑問だ。
「ここに何があるのか知っておいたほうが共に暮すもどう扱えばよいのかわかるだろう」
「材料の本質を知るには実践ということですね」
納得したように頷いたムウ様の様子からして、材料の性質を知るために実践だと教わっているらしい。
それってどうかと思うんだけど聖闘士ってこういう無茶をするから、一般人とは感性が外れていくのかな。
聖闘士になる決意はしてるけどなるべくなら一般人としての感性は捨てたくない。
「修復士とするかは師であるお前に任せるがな」
修復士という言葉に思わずシオン様を勢いよく見てしまう。
冗談かと思ったが、彼の表情からすると冗談ではないようでムウ様が私を修復士にするつもりなら受け入れるつもりのようだ。
を……修復士にですか?」
戸惑ったようなムウ様にちょっとばかり傷つくが、修復士とか出来なさそうなので反対でいいですよ。
「聖衣の修復に最も必要なのは聖衣の声を聴くことの出来るかどうか。その才は修行で開花するようなものではなく生まれつきなのだと知っておろう」
「はい。私達の一族にその才を持つ者が生まれるのだと貴方に教えられました。貴方が私を見つけ出したように貴鬼も私が見つけました」
一族って、その眉は部族だかなんだかのものだったのか。
シオン様、ムウ様、貴鬼と私以外の師弟が麻呂眉だから私もいつか剃ることになるかと少し心配だったんだ。
「むろん我らが一族以外の者にも生まれはする。シャカもその資格はあるだろうがあやつの性格ではな」
ため息混じりに首を横に振っているが、乙女座のシャカってどういう人なんだろうか。
あまり喋った記憶がないし、すごい人だとしか知らないのだけれど教皇である彼がため息をつくほどの人なのか。
「シオン様!ムウ様!もおいらと同じ修業をするの?」
あれ?何だか嬉しそうな貴鬼に嫌な汗が背に流れる。
「修復士の修業をするとなれば先に修業をはじめているお前が教えることもあるだろう」
好々爺といった感じのシオン様が貴鬼の言葉に頷いている。
「おいらがに教えることがありますか?ムウ様!」
期待にみち瞳でムウ様を見つめる貴鬼に何と答えるのだろうかとムウ様へと私は視線を向けてじっと見つめた。
「……修復士にするかどうかは本人の資質が向いているかどうかでしょう。まずは細工を教えてみて様子を見ましょう。貴鬼はが困っているようならコツを教えてあげなさい」
「はいっ!ムウ様」
最後の砦であるムウ様が折衷案を出してくれたことに私は修復士の修業はしなくてもよさそうだと安心する。
手を抜くような人ではないので、教えてくれるとなれば細工を真剣に教えてはくれるだろうけど修復士にするかどうかは別だ。
今までのことからするとムウ様は私に材料を取りに行く貴鬼の護衛として共に材料を取りに行かせることはあったけど、それ以外では聖衣の修復に関わったことはなかったしね。
!おいら一生懸命教えてあげるからねっ!」
「ありがとう。貴鬼に教えてもらえるの楽しみにしてる」
満面の笑みを浮かべる年下の兄弟子にこれ以外のことは言えない。
一人でする作業とか嫌いではないし、凝り性なところがあるから細工も呆れ果てられるような結果は出さないと思うし大丈夫のはずだ。
でも、思いつきで言っただろうシオン様のことは恨みますからね。





シオン視点

聖域で起きた異変にいち早く駆けつけた若き聖闘士、それが私の孫弟子であるとの初顔合わせであった。
身にまとうのは長年誰も得ることのなかった杯座の聖衣、仮面をつけていることから女聖闘士であるがその小宇宙から才ある者だろうに我らを一人見つけてしまったのは不運だと思った。
冥界のハーデスを倒すためとアテナに神衣を渡すために私の計画に賛同した黄金聖闘士、白銀聖闘士達がハーデスの力によって蘇ったこの場で、冥界の者に見張られている現在そのまま逃がしてやることは出来ない。
才ある者を殺さねばならぬのかと悔しい思いをしている私の前にデスマスクが立ちと話し始めたことで、知り合いであるようだとその場をデスマスクに任せた。
デスマスクが冥界に彼女を送ったと聞いた時、あやつは僅かな可能性をかけて送ったのだろうと理解した。白銀聖闘士が生きて冥界に送られて無事であるとは思えずともほんの僅かな可能性を掴み取るのが聖闘士だからだ。
アテナのことを青銅の小僧共に託し私の二度目の聖戦は終わり、再びの生は得る必要もないと思ったがアテナの今一度、力を貸して欲しいという言葉に同意し地上へと戻ったのだ。
その時に蘇った聖闘士、サガの暗躍によって幾人か暗殺されるなどして代替わりをしていたがゆえにその混乱を収めていた時に一人の女聖闘士の所在が知れぬと知れた。
それがデスマスクが生きて冥界送りにした女聖闘士であり、カミュの弟子でもあるらしいが私の孫弟子にあたる者だと知った私はアテナへと急ぎ判断を仰いだ。
心情のままに行動するのであればすぐにでも冥界へとおもむき探し出してやりたかった。アテナは私やムウ達の心情を察せられたのか迷うことなく、杯座のの探索をハーデスへと要請するように命じられた。
その命に使者として向かったのはムウであったのはムウがの小宇宙を感じ取る可能性を考えてのものだ。結果はムウにもの小宇宙を感じ取ることはできなかったのだが。
見つかったは冥界から地上に戻る際の移動に耐えられぬほどに弱りきった状態であり、冥界で移動できるほどに回復するまで療養することとなった。
女聖闘士ということもあり、ハーデスの側近であるパンドラが面倒を見ることで仮面の下を見られないようにと配慮されはしたが水分を与えるために冥闘士の一人が見たらしい。
誰が見たのかという問いには答えてはもらえなかったが、アテナは今回のことはも相手を覚えていないことと緊急事態であったとし不問とされた。
女聖闘士の掟だけでなく時代に合わせて聖闘士としての掟を変える必要があるとも仰られていたが、それは聖域がもう少し落ち着いてから決めていくことになっている。
聖域に戻ったは自らの身体が動けるほど回復した後はヒーリングでまだ動けぬ者達を癒し、聖衣の修復で忙しいムウの代わりに白羊宮の管理をし手入れも引き受けおり。そして、聖域の者達に頼まれればサイコキネシスで高所の作業などを気安く引き受けているようでもあった。
聖闘士という者は己の力に大なり小なり自負を持っているがゆえに、そのようなことを頼まれたからと気安くするものではないのだがは違う。それは良いことであるなどと一概には言えない。
他者と違うということは摩擦を生むことになり、の態度を一部の者は批判的に見ていると同時に多くの者が好意的に見ているようだ。
雑兵達の中には聖衣に選ばれなかったということの意味を深く考えもせず、聖闘士となれなかったことは運が悪かったというように考えている者もいるがそれを黙らせるだけの実力をは持っている。
冥界での闘いは彼女の小宇宙を磨き、黄金聖闘士に迫るほどの実力を身につかせたようで今後が楽しみであったのだがその力の使い方は少々換わっていた。
器用にサイコキネシスで白羊宮の柱を同時に雑巾掛けをしているのを見た時には心底驚いたものだ。使えるものは使おうと考えたのだと言っていたが、私が驚いたのは細やかな作業を息をするほどに簡単にしてしまっていることにだ。
はそれが黄金聖闘士の中でも出来る者のほうが少ないほどのことだということを自覚しておらず、その力を女官が頼めば使っていたというのだから末恐ろしい孫弟子だと思ったものだ。
空間把握が難しくてテレポーテーションは苦手だと言っていたが、それを見て嘘つけと思った私は間違ってはおらんだろう。



教皇の執務が一段落した次の日にムウ達の様子を見に白羊宮に降りた今日もまたは清掃をしていたようで、私に気付くと手を止めごく自然に頭を下げて迎えた。
「ムウ様でしたら聖衣の修復をしていらっしゃいますが」
私の用事がムウにあると思ったのだろう師の所在を告げる。
「ムウならば私に気づいて手が空けば出てくるだろう。それに今日はムウに会いに来たわけではなく孫弟子達の様子を見に来たのだ」
の態度は悪いものではないが、教皇として扱われているようで少しばかり寂しくも思うがムウとの関係が少し離れているようにも感じられるので仕方がないのかもしれん。ここはムウの師である私が一肌脱いでみせるべきか。
そう思いながらと会話をしていると孫弟子達と言ったというのに、貴鬼のことのみと捉えたようだ。
私としては問題はなさそうな貴鬼ではなくのことが気にかかっているのだが、そういえば恐縮してしまうだろう。
「私は孫弟子達と言ったではないか」
「……申し訳ありません」
こうして一言で理解できるのには自らをムウや貴鬼と引き離して考えているところがある。もう一人の師であるカミュや兄弟弟子達とのほうが心の距離が近しいのがうかがえるのだ。
ムウに訊ねればカミュからの頼みで弟子入れを引き受けはしたが、聖域からの回し者ではないと確証が持てるまで距離を置いた付き合いをしたようだ。
確証を持ててからもそのままの付き合いをし続けてしまったというのだから、ジャミールでの生活は人間関係の構築には役に立たなかったのだろう。
かつて聖域に私がまだ幼いとも言える黄金聖闘士を集めたのは仲間意識を持たせるためのことであったのだが、それはサガの乱により真逆の結果となってしまった。
私を案内したがお茶を淹れるために下がっている間にムウ達が手を休めて出てきた。
「シオン様っ!いらっしゃい」
「先にお知らせくださればお待ちしていましたのに」
駆け寄ってきた元気な貴鬼に頷いてから嫌味とも取れる物言いの弟子へと。
「素直に出迎えられんのかムウ。お前の弟子達はどちらも私を歓迎したぞ」
「私はこちらの予定もあると言っているのです。が居なければ貴方は待ちぼうけでしたよ」
「むっ……まぁ、よい。座ったらどうだ二人共」
確かにそうであっただろうと思いそれ以上は何も言わず、立っている二人に席を示す。
「あれ?は?」
「お茶を淹れに行っておる」
「貴鬼、はもう少しで来るでしょうから待っていなさい」
室内を見回しの姿がないことに気付いた貴鬼の瞳が私を見たので答えれば、ムウの言葉が続いた。一度座った貴鬼が浮かした身体を戻すのを見て、の手伝いのために動くのをムウは察したのだろう。
師として弟子のことを知っているがためだろうが、それはには発揮されない。が聖域での滞在先を決める時に白羊宮を選んだ際にはこの弟子は驚いていたのだ。
私からすれば何を驚くのかと思ったが、ムウ達の様子を見て納得せざるおえなかった。弟子との距離の取り方というものをムウは間違えてしまったのだと。
そうして大事に思うがゆえに修正も出来ずにいるというのだから、存外に不器用な弟子である。
「お待たせしました」
三人分のお茶を運んできたの言葉に貴鬼が立ち上がり。
、おいら手伝う」
「ありがとう。貴鬼」
トレーからカップを手に取ると運ぶ。それに礼を言ったではあるが自身が動いたほうが早いだろうに手伝いを見守る姿は貴鬼の姉のようだ。
「はい。シオン様、どうぞ」
「おお、ありがとう」
置かれたカップに礼を言えば貴鬼は笑いムウのカップを運びに待っていたの元へと急ぐ。
穏やかな光景であると言えるだろうが、お茶と茶請けのクッキーが載った皿がテーブルに置かれると去ろうとするに思わず声をかける。
、トレーはそちらに置いて座ったらどうだ?」
トレーを戻しに行くのだろうが、がこちらに戻ってくるかどうかは確信がもてなかったためだ。
返答を師であるムウの判断を仰いでからしたは空いた椅子である私の隣に座った。女聖闘士であるために彼女の前にお茶はない。
アテナは女聖闘士の掟のことを気にしていらしたことから、これからは変わっていくのかもしれないが今はこれが正しい姿なのだ。
、白羊宮によく居るようだがムウ達が修復をしている間は何をしておるのだ?」
「掃除をしていることが多いです」
隣に座ったに会話のきっかけとして問いかけたがその返答は味気ないものであった。
(……ムウよ)
(好きに過ごすようにと言っているのですが)
睨みと共にテレパスを送ればムウはお茶を飲み表面上は変わらぬ様子でテレパスに答えおった。
(弟子に受け持ちの宮の面倒を見てもらうとは情けない)
(師への弟子への気づかいを受け取れぬほど心が狭くないものですから)
ムウと会話をしながらも孫弟子達の会話にも耳を傾けていればジャミールではそれほど掃除をしていなかったようだ。
その理由が触れていい物かどうか判断がつかなかったからだと言ったに再度ムウを睨めば、今度はムウの視線が貴鬼へと向け逸らされた。
「ふむ、ムウよ。に細工を教えてはどうだ?」
「細工をですか?」
(何を考えていらっしゃるんですか?シオン)
逸らした視線を戻したムウが喋りながらテレパスを送ってくる。
「ここに何があるのか知っておいたほうが共に暮すもどう扱えばよいのかわかるだろう」
共に暮す上で教えねばならなかったはずのことを教えなかった弟子へと答える。
「材料の本質を知るには実践ということですね」
私が教えたことを口にしたムウは危険な物は隠してあっただろうが傍にあったのに教えなかった己の怠慢を自覚しているようだ。
ムウを師として叱ることは出来るが、弟子の前でその師を私が師であるとはいえ叱ることははばかられる。
「修復士とするかは師であるお前に任せるがな」
を……修復士にですか?」
今までの関係性から考えてもいなかったことであるようだがは修復士となるための最低限の条件は持っているのだ。
それが解らぬお前ではないだろうに、お前が戸惑ったのに気付いたが身を硬くしたではないか。
気付いていないふりをして修復士としての話をすれば食いついたのは貴鬼であった。
「シオン様!ムウ様!もおいらと同じ修業をするの?」
「修復士の修業をするとなれば先に修業をはじめているお前が教えることもあるだろう」
聖闘士候補生としてはムウのところに来たは貴鬼よりも強く、超能力も貴鬼とは才能の方向性の違いのためにあまり貴鬼はに教えることは出来なかったのだろう。
「おいらがに教えることがありますか?ムウ様!」
年上とはいえ、妹弟子に何か教えることがあるかもしれないと期待した貴鬼がムウへと喜々とした視線を向ける。
もまたためらいがちにではあるが視線を向けているようで、弟子二人に見られたムウはゆっくりと口を開き。
「……修復士にするかどうかは本人の資質が向いているかどうかでしょう。まずは細工を教えてみて様子を見ましょう。貴鬼はが困っているようならコツを教えてあげなさい」
「はいっ!ムウ様。!おいら一生懸命教えてあげるからねっ!」
「ありがとう。貴鬼に教えてもらえるの楽しみにしてる」
はしゃぐ貴鬼に穏やかに答えたがムウへと視線を向け。
「あの……ムウ様、よろしくお願いします」
「準備もありますし明日からはじめましょう。
まだまだぎこちない師弟であるが、新たな一歩を踏み出した。
お茶は冷めてしまったが気分が良いので美味く感じるというものだ。
「私も時間が合う時は教えてやろう」
「ありがとうございます。シオン様」
「おいらも教えて下さいねっ!」
私の言葉に丁寧に頭を下げると身を乗り出した貴鬼に頷く。
聖戦が終わり地上が平和となった今、こうして過ごす日々は積み重ねっていくのだろう。
私が経験した一度目の聖戦後とは違う優しく穏やかな時間が……







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