無自覚恋愛
「私、アッシュ響士のこと好きですよ」
笑って俺のことを知りもしないくせに好きだと言いやがるあいつが嫌いだった。
「うるせぇ」
「おぉ!眉間に皺もかっこいいですね。アッシュ響士!」
馬鹿みたいに能天気に明るく笑うあいつが大嫌いだったんだ。
邪険に扱っても悩みも何もなさそうにいつも能天気に俺が一人で居るとよくあいつは話しかけてきた。
大切な幼馴染のナタリアと同じ一つ年上だというのにこうも違うのかと思ったものだ。
彼女はいつも色々なことを考え、国のことを憂いその将来をよりよくしようと頑張っていた。
そんな彼女を思えばあいつの笑顔は俺にとって苛立ちの原因にしかならなかった。
「くそっ!何だっていうんだよ」
そのはずであったのにあいつが来なくなって10日。どうして来ないのかと俺は悩むようになった。
嫌われたのか?はっ、あれだけ色々と言って今更だろうとか。
何かあったのか?あいつは教団内部での内勤をしているのだからその可能性は低いはずだとか。
そういえば彼女に自分から話しかけたことはなく、彼女のことをあまり知らないことに気付いたりした。
いや、どうして俺がアイツのために悩まなくてはいけないんだ。
だから俺は精神統一のためにいつも一人で鍛錬をしている場所で時間を過ごす。
精神統一のために居るだけであいつとよく会う場所だからというわけでは決してない。
「アッシュ響士」
「……」
聞き覚えのある声に手を止め振り返る。
いつも声をかけられても無視をしていたというのに久しぶりに話しかけられて反応するとはこれではまるで待っていたようじゃないか。
「お久しぶりです」
笑うアイツ。いつもと同じように笑っているはずなのに何かが違う。
「精が出ますね」
俺が黙ってみていると彼女が近づいてきた。
そこで彼女からは嗅いだ覚えのない香りに気付く。これは化粧の匂い。
人を好きだと言いながらいつもスッピンで女らしさなど感じさせないこいつが何故?
不意に部下達の下らない馬鹿話を思い出した。女は男で変わるもんだと奴等は話していなかったか。
他にも人は恋すれば変わるという話だって聞いたことがあった。いや、こいつに限ってそれはない。
「……あれ?」
上目遣いにこちらを見てくるこいつの行動は意識してのものではないと知っている。
媚びを含んだ女の態度というものはどうしても鼻につく。
この俺の若さでこの地位にいることで女達が俺を優良物件と考えて狙っているからだ。
最初はこいつもそんな女の一人だと思っていた。
俺のことをアクセサリーか何かのように欲しているのだろうと。
「どうしました?アッシュ響士が何も言わないなんて元気がないんですか?」
ひどい言葉を言った。大抵の女ならもう話しかけなくなるようなことを言ったのに。
「おまえの中の俺はどうなってやがる」
「もちろん、かっこいい人ですよ」
こいつは変わらない笑顔で俺に笑いかけてくる。わかっていた何時の間にかその笑顔が俺に温かな気持ちを起こさせることを。
そして同時に俺のルークとしてのナタリアへの気持ち以上なものになるかもしれないことに恐怖を感じていた。
変わるしかなかった俺の唯一の光。彼女のことがあるから俺は俺であれたのに……
「馬鹿か」
「よかった。いつものアッシュ響士だ」
能天気なこいつの笑顔。化粧をしていようとしていまいと変わらないその笑顔に安心する。
「馬鹿にされて喜ぶんじゃねぇ」
決してナタリアとは交わしたことのない会話に心が軽くなる。
彼女とは大切な誓いを交わして、二人穏やかな時間があった。
「へへっ、アッシュ響士が私のことを見てくれてる証かと思うと嬉しくて」
その時とは違う空気だというのに今の俺にはひどく心地良い。
認めるしかないのかもしれない。確かに俺はこいつとの関係が大切なのだと。
「マゾか。変態は俺に話しかけるな」
「うわっ!ひどいです」
俺の言葉に大きな声で声をあげた。
「もし私が変態だというのならアッシュ響士のせいですよ」
俺のせいだという発言に身体の動きを思わず止める。
脳内に女は男で変わるものという部下の発言がリピートされる。
「アッシュ響士?」
近づいてきて俺の顔を覗き込んでくる。
いつもと違って艶々と輝く唇はふっくらとして何だか美味そ……
「よっ、寄るんじゃねぇ!」
「えっ!」
思い浮かんだ考えに動揺して近づいてきていた彼女を払った。
それほど強い力ではなかったが予想していなかったのだろう彼女はよろけて倒れる。
「いたぁ」
「あっ……」
倒れた彼女に動揺して行動を起せない。
自分で倒したのだから謝罪して手を貸すべきだと思いつく頃には彼女は自力で立ち上がっていた。
「すみません。アッシュ響士」
「はっ?」
何故か謝罪されて思わず聞き返す。
「お邪魔をしてしまったみたいでもう行きますね」
いきなりのその行動に俺は咄嗟に去ろうとした彼女の手首を掴む。
「……あの?」
「悪かった」
掴んだままで何も言わない俺に首を傾げた彼女に謝罪の言葉を言う。
本当はもっと色々といったほうがいい気もするが思い浮かぶ言葉はない。
「いえ、大丈夫です」
怒っても良いだろうに笑っているだけのこいつに続く言葉が言えずにその顔を見つめ。
「おい」
「はい?」
化粧の下にある微かな痣に気付いた。ここまで近くなければわからない痣だが化粧の理由はこれか。
「これはどうした?」
掴んでいた手を離して痣がある頬を触る。
これだけ薄いのだからもう痛みなどはほとんどないだろうが女のこいつがどうして顔に痣があるのか。
「うっ、えっ」
「変な声だしてても、わからねぇだろうが」
俺の質問に答えない相手に苛立って睨みつければ何故か潤んだ瞳でこちらを見てくる。
……俺の行動が怖かったのか?そういえば普段は口だけで払ったりしたことはなかったしな。
いや、それにしては怯えすぎなような気もする。
俺が触れるだけで泣きそうになるとは、まさか何かトラウマとかか?
「まさか男が原因か?」
「そうですけど何でわかったんですか?」
やはりこいつは女に暴力を振るうような最低野郎と付き合っているのか!
つまりこの痣はその男に付けられてしまったものなんだな。
「他に怪我はないのか?」
「ないですよ」
俺の言葉に頷いているが服で隠れて見えないところにあるのだろう。
決して大きいとは言えない彼女に暴力を振るうとは最低な奴め。
「誰だその野郎は!」
こいつは戦闘についてはからっきしなんだ。
そんなこいつに何てことをしやがる。
「あっ、アッシュ響士。お顔がすごいことになってますよ」
誰かを言わないこいつにも腹が立つ。
「そいつを庇うのか?」
「庇うというか今のアッシュ響士の様子だと殺しちゃうかもって思うぐらいですもん。
流石に教団の響士が教団に逆らうようなことを言ったからってひどい目に合わすのは……」
「はぁ?教団に逆らう?」
俺が想像したこととは違うことを言う彼女に続きを促がす。
「そうですよ。預言の通りにしたら商売で大損したって文句をそれで対応した私に興奮したその方の手が当たって……って、急にしゃがみ込んでどうしたんですか?」
預言の通りにしていれば幸せになれると思っている馬鹿者が時にそうでなかった時に文句を言いに来ることがないわけではない。
それを上手くなだめすかして帰ってもらうのが受付にいる教団員達の仕事の一つでもあるので彼女の行動は当然のことだ。
自分のあまりもの勘違いに恥ずかしくなってしゃがみ込んでしまったが部下には見せられない姿だ。
「あの、よくわかりませんがご心配して下さったんですよね?ありがとうございます。アッシュ響士」
「アッシュでいい」
彼女と会ってから1年近く経っているので今更な気もするが俺は立ち上がりながらそう言っておく。
「はい、ありがとうございます」
笑顔で頭を下げるくせに名前を呼ばない。
何となくそれに苛立って下げた頭を小突く。
「わわっ、何をするんですかアッシュ響士」
「アッシュだ」
響士とつけられたので訂正してやる。
「……アッシュ」
「ふんっ、忘れんなよ。」
俺の言葉に素直に頷くこいつは嫌いじゃない。
思わず漏れた笑みを隠すために背を向けて俺は歩き出す。
「えっ、あの?今、私の名を呼びませんでしたか?……って、待ってください。アッシュ!」
初めて呼んだ名前に反応して彼女が後ろを追いかけてくる。
いつもは俺が立ち去ればついて来ないのに今日に限って違うのは俺が名を呼んだからか。
そうだとするのなら彼女がついて来るのも悪くはない。