異主従対話 〜いしゅじゅうたいわ〜
陽子にお世話になってから10日ほど経ったつまりは私達がこの世界に来てから同じ日だけ過ぎたということだ。その間は地味めな装いで周囲の人間に控えめながらも微笑みを絶やさない清楚な女官を演じさせていただいている。
女官だから同じ衣装だけれどそこは化粧や髪型と合わせる装飾品、買うお金ないので小さな花を髪飾りにしているが印象がだいぶ変わるようで一度なんて陽子と普通にすれ違って終わったこともあった。なので、そこそこ変装にはなっているのではないだろうかと考えていたわけだけれど彼には通じなかったようだ。
女官長に言い付けられた部屋に花を活けるという仕事に務めている私の隅に隠れるようにしてついて歩いてくる景麒、私の麒麟であるケーキではないと判っているのは彼が私を見ているくせに見ていないからだ。視線は向けることは出来ても顔をまともに見られないという状態らしい。
私はいつか去る人間であるので彼の態度などは放っておくのもありとは思ったけど、実は陽子が気にしているのでそうも言ってられない。流石に衣食住を保証してくれた相手には弱いし、何より今朝陽子から働いた分の賃金を受け取った。つまりは雇い主なわけだし、私も多少は気になるのは事実だしね。
「何してるの」
人がおらず、また人が来ない奥まった部屋で私は後ろを振り返り声をかけたが、今の状況はまるで小説にでもありそうな恋人達の逢瀬のようだと笑いそうになるが笑い声は堪える。
「そこに居るのなら早く出てきたら?」
私の口調は景麒に幾度か向けたものではなく、普段ケーキに向かって喋るやや強い口調だ。
ケーキは一体全体、どこに仁の心を落としてきたのか不明なところがあって私の言葉に文句をよくつけるのでこの口調が普段使いになってしまった。
他の誰かがいるようなところではなるべく使わないようにはしているが気心が知れている相手の前では使ってしまうこともある。
「……あの」
意を決したように姿を現したのは無表情な景麒だ。彼らの表情筋が動かないのは仕様なのだろうか?
「まったく、ずっとついて歩いてきてたでしょう?」
「申し訳ありません」
ケーキと同じ顔の彼に素直に謝られてしまうと調子が狂うがここは考えていたように行動しよう。
「ほら、早く転変なさい。たてがみを梳いてあげる」
胸元に入れてある私物であるクシを取り出す。いつでもと何処でもふわふわ、もこもこな子が居てもよい様に準備しているのだ。さぁ、そのたてがみを私に梳かれるがいいっ!
「はっ?その何か勘ち……」
「たてがみを梳くのはしばらくぶり……ああ、見ていると転変しづらいか。後ろを向いて目をつむってるから転変したら言って」
自分をケーキと勘違いしていると告げようとする相手の発言に被せるように言葉を紡ぐ。そうして、すかさず後ろを向いて目をつむってから手で顔をおおう振りをした。
振りなのは今もばっちりと化粧しているので化粧を崩したくないという女性としてはかなり切実な問題で、前世の化粧よりも化粧が崩れやすいし、原色系のほうが多いので一度崩れると悲惨だ。
陽子は顔立ちがしっかりとしているから原色系の化粧があいそうなので女官達が彼女を着飾りたいというのもわからなくもない。
後ろを向いて目を閉じてはいるが耳は閉じていない。景麒は立ち去る気配はないが衣装を脱ぐ音も聞こえないので無理だったかと諦めようとした時に衣擦れの音が聞こえ。
「……転変いたしました」
かけられた声に振り返れば麒麟の姿をした景麒だ。私は床の上にはしたないが座り込み、膝を叩く。
「おいで」
小首を傾げて迷う様子がなかなか可愛いが、可愛いなどといえば逃げそうなのでここは微笑みを浮かべるだけ。
蹄なのでカツカツと足音を響かせて歩いてきた景麒が手が届かない場所で立ち止まったので膝立ちになり身を乗り出し。
「もう!おいでと言ったでしょ?」
その首に手を回して引き寄せる。身体を硬くした景麒だが多少強引に引けば歩いたのでよしとする。
「身奇麗にするのは人付き合いにおいて基本でも、着飾りすぎてもダメね。陽子のは飾らなさすぎる気もするけど」
たてがみを梳かしはじめるが無言の景麒に返答を期待せずに話し出す。内容などあってないようなものばかりでここに来て陽子と友人になれてよかったとか、女官にも話をする人が出来たので生活は充実しているがいつかは戻らなければならないのよねっなど普段は頭の中で考えるに留めているようなものばかりだ。
それを黙して聴いている景麒の瞳は閉じられているので感情をうかがうことは出来ないが嫌がっている様子はないのでそのままたてがみの手入れを続けていると景麒が呟いた。
「貴方はお気づきですね。私が誰なのか」
「景麒でしょう?」
私の態度に思うところがあったのか景麒がそう言ったので私は否定せずに頷いたがその手は止まらない。
元々、ケーキであろうと景麒であろうと麒麟の手触りは素晴らしいものがあるので触っていられるのならずっと触っていたいのだ。
「貴方、私を見ると怯えるから仲良くなろうと思って」
無視されるのならこちらも無視すればいいが、景麒はこちらを無視出来ずに気になっているようだしね。
私達が仲良くしてほしいと考えている陽子のためにも馴れてもらうためには距離を近づけることだ。
少しばかり乱暴な考え方だが直接的な距離でも近ければ近いほどに嫌でも慣れるのではないかとね。
「怯えてなど……」
目線を逸らしながら否定する様子に説得力はないが私は頷き。
「そう言うのならそれでいいけど」
「よろしいのですか?」
「君が選んだ王と私は別人それを君が一番よく理解できるはずだからね」
意外そうな声をあげた景麒だが私としては遅かれ早かれ気付かれると考えていたんだ。
十二国記では故人だったので予王について詳しい描写があったわけではないが記されている内容だけで私との違いは明らかだ。
「それは……」
「麒麟は半身なのでしょう?私は自分自身に惚れはしないよ」
麒麟に惚れて国を傾けるような王に私はならないしなれない。
「しかし、貴方を見ていると辛いのです」
かつての主と見た目は似ているみたいだからね。予王の肖像がを陽子に見せてもらったが確かに着飾った私によく似ている。
ただ表情が私よりも儚げだとケーキが言ったので最初に受ける印象は違うとは思う。
「喪ったものを嘆くのは当然のこと」
麒麟は主の命令には逆らえないのだという。
王が人をその手で殺せと命じれば仁の生き物である麒麟はその手を血に染めるのだと。
そのようなことは命じたことはないが命令と言って何度か転変してもらって休憩時間にたてがみを梳いたことはある。
よい現実逃避の手段になるので重宝しているが人に戻った後に衝立向こうで着替えるケーキは微妙なのだけどね。
「そうでしょうか。私のせいであったのに……」
「恋は一人では出来ないんだよ」
予王に想いをむけられた景麒は答えられなかった。
主である王のことを嫌ってはいなくても男として予王を女として見ることは出来なかったのだ。
「私はあの方を嫌ってなどおりませんでした」
それを罪だとでも感じているのか景麒の声は暗い。
「彼女は決して不幸ではなかったと思う」
「……」
半身だという麒麟に恋をした彼女は不幸だったのだろうか。
確かに悲劇ではあっただろうが私はそうは思わない。
「一生に一度の恋を。命がけの恋を出来た彼女がただ不幸であったはずがないよ」
自分の命と愛する男の命を天秤かけて彼女は自分の命を天へと差し出した。
この国の為でもなく、民の為でもなく、ただ一人の愛する男のために。
「そうでしょうか?」
「景麒、私はね。この世界の予王が羨ましくもある。彼女のような恋を私は出来ないだろうから」
身を焦がすような想いを私は抱くことはないだろう。どれほど大切だと考えても私は誰かと自分を天秤にかけるようなこともしない。
最初に自分があって他のことを考えるようなヤツだと自覚しているので恋に殉じた彼女の気持ちは理解出来ないが羨ましくもある。
「それは王だからではなく私が私だからで、私は貴方の知る舒覚ではないという別の者なんだ」
こんな話をしながらも私は手を休めない。話をしていても手が動くとは王様稼業のおかげで器用になったものだ。
「……様」
「でいい。私は景麒の主ではないから」
丁寧に梳いたたてがみは触れればさらさらと指の隙間から零れ落ちる。
「よく似ているだけ貴方もケーキもとてもよく似ているけれど違う」
10年という年月はかなり頑固な麒麟も変えてしまうのだと知っている私は笑った。陽子との出会いで彼もまた変化をしているはずだが自分が変化しているとは知らない景麒が首を傾げ。
「王と麒麟は半身なのでしょう?」
「はい」
「ならば、王が変われば少しばかり麒麟もまた変わるものなんだよ」
私の半身によく似た麒麟のたてがみから手を離すとクシを胸元にしまえばその仕草で私がたてがみの手入れをするのを止めたのを理解した景麒が身を離したので立ち上がる。人と麒麟であるからこその身長差で私は景麒を見下ろし、彼は私を見上げた。
「王と麒麟は共に成長するの。きっとね」
ごく自然に浮かんだ笑みに景麒が瞬きをして。
「ああ、貴方があの方ではないと納得できました。あの方はそのように笑うことなどなかった」
哀しみを含んだ声でそう囁くように告げると彼は瞳を閉じた。まるで流れ出そうとした涙を零さぬように……
王を失った麒麟の嘆きは深く、新たな主を求めずにはいられず新たな王を選ぶが最初の王との思い出を認められずに麒麟を失道させた王がいるという伝承がある。
何故、私が最初の王でなかったかとその王は嘆いたのだという話だが恋慕ではなくとも王と麒麟は想い合うことになるという証であるのかもしれない。
共に生きるがゆえに、共に生きるがために。