臆病な僕らの交響曲
肩より少し長めの金茶の髪が揺れるのが好き。
世界できっと彼女と僕しか持ち得ない紅い瞳が好き。
女性としては少し低めの穏やかな声が好き。
何より僕の心を守ってくれた彼女が好き。
本当は理由などもうどうでもいいほどに僕は彼女ににイカれてる。
いつからなんて思い出せないほど前からきっと僕にとって彼女は世界よりも大切だった。
人がそれを依存だというのならそう呼べばいいし、執着しているのだというのならそう呼べばいい。
他の誰かに彼女に対する僕の想いを批評されたところでどうでもいいことだった。
正直なところ世界に彼女と僕だけならどれだけ素晴らしいかと夢想したこともある。
そうであったのなら彼女は僕だけを見て、僕だけに話しかけてくれるのだから!でも、すぐに彼女が悲しむだろうことが明らかだった。
彼女が大切にしている妹のネフリーや実の両親、彼女と僕の幼馴染であるピオニー、彼女が養女として迎えたアリエッタにその恋人の導師イオン、口では悪く言いながら彼女は養父アンブルを大切にしている。
大切な人が出来るたびに彼女はいつも必死になって頑なになっていったから彼女は大切な人達を守りたいと願っていたのだ。
ただどうしてそれほど頑なになるのかは僕もピオニーもネフリーもわからなかった。
解るはずもない。世界が滅ぶことを彼女は何故だか知っているなどと誰が想像できるというのか。
彼女がずっと抱えていた悩みを僕に不満だけれどもピオニーにも話した時には喜びを感じたものだ。必死であの時は隠したけれどね。
彼女が言う現象が嘘でも実際のところ僕には関係なかっただろう。彼女がそうであると言うのなら僕が反対する理由はなかった。
ただお偉方を納得させるために面倒だけれどデータを揃えるために調査をし、彼女が嘆くから世界を救う為に日夜研究に励んだ。
必死で彼女のために僕は努力したんだ。なのに、僕達に話したことで肩の力を抜いた彼女は周りに魅力を振り撒いた。
その魅力に勘違いする人間が彼女の周りにうろつきはじめたのはすぐのことで僕やピオニーはそれを追い払った。
世界を必死に守ろうとずっと悩み硬い表情をしていた彼女を冷たい人間などと称した奴らが今更なんだ!僕の金の女神にお前達のような凡庸な者達が触れていいはずが無い!そう叫んでやりたかった。
そうしなかったのは彼女が僕に他人と関わるべきだと言ったからだ。人は独りで生きていくのは寂しいからっと。寂しそうに微笑うからだ。
僕は独りじゃない。君が居た。君が居る。そう言うのは簡単だったけれどそれだと彼女は満足しないとわかっていた。
だから僕は彼女以外の人間を観察して何を望むのか何を考えているのかを理解して付き合って、友人というカテゴリーの人間を数人作った。それを彼女は喜んでくれた。
彼女が僕がすることで喜んでくれるというのなら、きっと僕は何でも出来るとそう思っていた。
「サフィール、帰りはフェゼント少佐と飲みに行くらしいですね」
それが考え違いだと思い知らされたのは彼女の部屋に話をしに行った時だ。
不真面目にしていると彼女が怒るから軍の伝達事項を伝えに来たという名目で、本来なら部下に任せるべきことであるだろうけど彼女の傍に少しでも居たかったから僕が引き受けた。
「うん、彼女に誘われたからね。どうして知ってるの?」
フェゼント少佐は僕の秘書のような存在と言えるだろう。僕よりも10ほど年下だが才覚があるので重宝している。
執務室のことを僕の次に把握しているのは少佐であるし、僕が離席していれば少佐の采配は大きくなる。
その少佐に相談があるからと誘いを受けたのは昼の休憩を終えたすぐ後だったはずだ。
今は2時間程度しか経っていないのにどうしてが知っているのかなどと考えずともすぐに理解した。
「聞いたんですよ」
「フェゼント少佐に?」
頷き次の言葉を告げる彼女に奥歯を噛んだ。歯軋りをするほどではなかったがそうしなければ叫びたくなったからだ。
「彼女もしかしたら貴方に気があるのかも」
それがどうしたというのか!僕にはフェゼント少佐が誰を想っていようとどうでもいい。少佐が僕を想っていたところで応える気はない。
「そうなったら貴方にもようやく雪解けでしょうか」
雪解け。雪が解けて花が咲くことを僕達の故郷では恋の始まりに例える。それを彼女が僕に対して言ったことに信じられない思いだった。
彼女が微笑んで僕の恋を祝福する?それが彼女ではない女との相手であっても?ああ、もちろんそうだろう。彼女は僕を僕が望むようには愛してはいない。それでもいいと考えていた。彼女が他の誰かのものにならないのであれば僕は彼女に傍に居られると……。
「嬉しいの?」
「ええ、私はサフィールのしあわ……せ……サフィール!口を開けなさい!血が出てる」
彼女の言葉を聞いて唇を噛み締めれば唇が傷つき血の味がしたがそんな痛みなど今の僕の心の痛みと比べたら些細なことだ。
今、彼女は僕の心臓を生きたままくり貫くよりもひどいことを言ったのだと理解してない。
座っていた椅子から立ち上がると彼女は僕の元へ駆けてきて顔を覗き込みハンカチを取り出すと傷ついた唇にそっと触れる。
「サフィール、どうして唇を噛んだりしたんです。私は回復術だけは使えないんですよ?」
眉根を寄せて僕を叱る彼女の眼差しは優しい。その優しさは僕だけでなく彼女の大切な人達へと向けられるものだ。
「……」
「……何を!」
頬に触れていた右手を握って僕の顔を覗き込んでいた彼女の唇に触れるだけのキスを落とす。
「僕の気持ちを理解してくれない無慈悲な君でもよかったんだ。君が僕を傍においてくれるのなら……」
「サフィール?」
僕の言葉に戸惑ったように揺れるその瞳に喜びを感じると同時にひどく僕は恐れていた。
「愛してる。、僕はずっと君を愛し続けていたんだ」
その表情を見ることが怖くて僕はを抱き締める。冗談のように抱きつくことはあってもこんな風に抱き締めたことはなかった。
は僕達が成人を迎える頃には抱きつこうとする僕からすぐさま逃げるか突き飛ばすかしていたから本当に久しぶりだ。
子どもの頃は無邪気に何も考える事無く僕はに抱きついて、彼女も抱きしめてくれたこともあったというのに。
彼女は僕達の友情は変わらないというふりをしながら男女の違いにはきっちりと線引きをしていたから僕はそれを受け入れていた。
「いきなり何ですか?」
「いきなりじゃない。ずっと僕はが好きだって言い続けてきたよ」
子どもの時にはこの欲はなかったけれど。あの頃からずっと僕はが一番でが傍に居てくれるのなら僕達の関係の肩書きなどどうでもよかった。
友達、幼馴染、腐れ縁、同僚、上司と部下だろうと何だろうとと一緒なら僕にとって違いなどない。
……それだけなら足りないというのなら別の肩書きを欲するのは当然だ。
が喜ぶことなら何でもしてあげたいとは思うけど、それがと離れることに繋がるのなら嫌だ。
他の女と付き合うような真似をすればは笑って僕から離れるのは想像がつく。
「それは幼馴染として……」
「は僕を見ていないよね?こういう時いつも感じる。は僕の先に誰かを見てるって」
震えている。が怯えている。いつも僕を励ましてくれていたが僕の言葉でいつもと違う彼女が現れている。
ねぇ、それを喜ぶ僕は普通じゃないんだろうね。には笑っていてほしいのに泣いてもほしい。
違うかには僕だけを想っていてほしいんだ。が笑うのも泣くのも僕だけのためであってほしい。
こんなことを知ったら君は僕のことを恐れるのかな?……受け入れてくれることがないことだけはわかっているだから君が受け入れられるところで僕は立ち止まるよ。
「ねぇ、。僕の気持ちを消してしまわないでよ」
君に届かない想いを僕は抱えて生きていくのでもよかったんだ。
がである限り本当の意味で僕の想いは届かないと知っていたから……
「僕はが好き、愛してるんだ。君の傍に居るためなら僕は何だってする。の中では僕との関係は幼馴染というのならそこから踏み出さないようにするし、触れるなというのなら僕からは触れないから……」
僕の想いは君にとっては歪んでいるように思えることだろう。君だけが僕のすべてだなんて伝えてしまえば、紅い瞳に心の痛みを浮かべて僕を見る君が想像出来る。
「だから、お願いだから君から離れるように僕に言うのだけは止めて」
抱き締めていた腕を緩めても君は逃げない。それに期待をしてしまう自分が嫌で離れようと身体を動かせばの手が僕の腕を掴む。
「私は……」
「いいよ。答えなんてすぐに出さなくて……僕の気持ちはずっと変わらないから」
こんなことを言う僕を君は優しいと思ってる?違うんだよ。
君が僕のことで悩んでくれるというのなら一生答えなんてくれなくてもいいんだ。そんなことを僕が考えているとは知らない君の頬に触れて輪郭をなぞる。顔を近づければ迷いながらも目を閉じる君は卑怯だ。だから僕はその閉じた目蓋に口付けを落とす。
「、君をずっと想っているよ」
誓いの言葉を君に捧げよう僕の言葉が君を縛るように。
名残惜しいけれどの手を腕から放させて僕は彼女の執務室を出て行く。
僕は彼女の執務室を出てからすぐにもう一人の幼馴染のところに向かった。
珍しく彼は執務を真面目にやっていたようだが僕が来て個人的な話があると言ったとたんに私室で話すことを決めた。
彼女や僕の部屋とは違って相変わらず乱れた部屋は獣臭い。
「珍しいなサフィール、執務を中断させてまで話があるとは」
ピオニーの意外そうな表情に僕は笑う。
「個人的なことだけどピオニーには一応話しておこうかと思って」
彼女の大切な幼馴染の一人。ずっと彼女を想っているのに何故かネフリーが好きだと思われていて想いは通じない。
どうしてそんな誤解をされたのかは僕としてはどうでもいいけど都合がよかったから誤解を解くどころか深めさせたこともある。
「僕、に告白したよ」
「告白したのか?」
驚いたように目を見開くピオニーを黙って見つめる。
お互いの気持ちを理解していたからこそ僕達はを挟んで睨み合っていた。
のことがなければ僕はピオニーと関わることはなかっただろう。
ピオニーもまたがいなければ僕と関わることがなかったと思う。
僕達は彼女がいることで繋がっていた歪な関係だ。
「……そうか、したのか」
物分りがよいふりをして諦めたようにピオニーが笑う。
立場が違えば僕もピオニーのように諦めて笑うことになっただろう。
幼馴染二人共が友情ではなく恋慕を抱いてたと知ったら彼女は気に病むだろうから。
「きっと僕も君も立場は一緒だったんだろうね。ただお互いにこの関係を壊したくなかったから二の足を踏んでいただけ」
「俺は、俺達は臆病者だったんだろうな」
僕もピオニーも臆病者だった。関係が変わることを恐れて指をくわえて見ているだけなのに彼女に近づく者も許しはしなかった。
そんな臆病者二人に見初められた彼女が憐れなのか、彼女がそんな男にしか縁が無いのか。
「一応ピオニーには言っておこうと思って」
僕の次に君は彼女を見ていた男だからね。
「お優しいことで」
皮肉だと思ったのかピオニーからの返答は不満そうだけど幼馴染という僕達の関係を変えるつもりはないのだろう。
地位という点では僕は決して彼に敵わないというのに彼はその地位を僕達の関係を変えるために使うことはしない。
皇帝としての権力を行使すれば物事は簡単であっただろうに彼はただのピオニーとしての傍に居ることを選び続けた。
「あっ!あと僕の部下が一人減るから」
「何かあったのか?」
もう一つ伝えることがあったと思い出して彼に言えば片方の眉を上げて訊ねてきた。
「別に軍紀違反とかじゃないよ。ただ僕の邪魔をしようとしただけ」
部下が減ると言えば軍紀を破ったのだろうと推測したようだが実のところそうではない。
自分は私怨で部下を近くから排除するのだと笑みを浮かべて彼に言えば呆れたようにため息をつかれた。
「……手酷くするなよ」
「わかってるさ」
本当はと僕の仲を裂こうとしたあの女に罰を与えてやりたいがそんなことをしての耳に入ってしまえば彼女は許してはくれない。
僕の名前が出ないように少しばかり裏から手を回してあの女の家に婚約の話でも持っていかせればいいだろう。
「結局のところはなるようになっただけか。お前のような男を育てたのはの責任だろうしな」
ピオニーは笑って僕のこれから行うだろうことを揶揄する。自らの目的のために手段を選ばないのだと告げる男こそがそうであるのに。賢帝と呼ばれる男が正しいだけであれるわけがない。
「そうだね。だから責任を取ってもらうんだよ」
頷いて僕はピオニーに背を向ける言いたいことを言った僕にはもう用はなかった。
「またな。サフィール」
「またね。ピオニー」
いつもの別れの言葉にいつもとは違う別れの言葉を返す。彼に対してまたなど僕は望んでいなかったから『じゃあね』っといつも返していた。
僕がに想いを告げたことで永遠に幼馴染となった男に僕からの友情を贈ってあげよう。
「一番はは変わらないけれど二番目をピオニーにしてあげる」
振り返って笑って言ってあげればピオニーが右手で顔を覆い。
「男からの告白なんて色気がないな」
「自業自得。同情はしないよ」
そう言い捨てて僕は去る。僕達は同じ立場だった。そこから踏み出したのは僕でピオニーが遅れた。ただそれだけの違いでしかないのだから同情など必要はない。
明日から僕達はいつもと変わらない日常を過ごすようでいて大きく違う日々を始める。