有言の恋


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本が私は好きだ。電脳世界であれば本の内容をデータとして瞬時に理解できるとわかっていても手にある重みや捲る音、紙の香りといったデータにはない楽しみがある。
私は読書をするために現実世界で過ごしているわけではないかと思うほど、近頃は電脳世界に篭っていたので久しぶりの読書だ。
まったりと楽しむつもりで飲み物など準備万端整えて読みたかった本を本棚に並べて贅沢にも3人掛けソファの真ん中で読み始めた。
ジャンルは様々、興味を惹いた本であれば何でもといった具合に準備した本を順調に攻略していき今はエモーションご推奨の恋愛小説を読んでいる。
内容はよくある幼馴染の姫と騎士の身分違いの恋をテーマにしたものだけれど少し違うのは姫が騎士よりも強く、騎士は姫より強くなるまでは想いを伝えることもできないと健気に頑張っているという話だ。
努力して騎士が強くなったと思っても、まさに才能の塊な姫はその先を行くという話で延びに延びる告白をハラハラと読者は見守ることになる。私もその一人なので姫様、自重して下さいと言いたくなった。
ベストセラーにはならないだろうが私はけっこう面白い小説なので薦められたという理由だけでなくて楽しんで読んでいた。
そこに鳴った呼び出しのベルに意識を戻されて気分を害したけれど用がなければ今日は連絡とかしないようにと普段交流している皆に伝えてあるので何か用事があるはずだ。
「はいはい、今行きますよ」
二度目の呼び出しベルに元から無視する気はなかったものの、これは無視できないなっとテレビドアホンに近づく。
「どなた?」
、俺だ」
ボタンを押して現れた画像はとても見覚えのある姿。
今日は1日仕事だと言っていたはずのオラトリオが映っている。
「今開けるね」
彼が仕事だというので今日を私的に読書の日とかいって本を読んでいた。
それを彼も知っているはずなので何かあったのかとドアのキーを開けて元のようにソファの真ん中に座る。
この部屋はシンクタンクに勤める人間が借りることが出来るマンションの一室で、部屋の名義はオラトリオのものだ。
人間としての顔を使う時に使用する住居の一つだったらしいけど本当に彼が使うことはあまりなく、
勿体無いからと現実世界での私の住居として使用させてもらっている。
電脳世界に篭っていても最低限の換気や掃除を忘れないようにしたりとか借りている身としては礼儀を守っているつもりだ。
私は聞こえてきた居間のドアが開く音に視線を向け。
「オラトリオ、おかえり。お仕事じゃなかったの?」
家主であるオラトリオは居間に入って私と顔をあわせるとため息混じりに言った。
「ただいま。今から3時間程度、下手するとそれ以上に暇になった」
「どうして?」
下手すると休む暇すらないと言っていた今朝に比べての違いように訊ねれば、
オラトリオは赤いトルコ帽をテーブルの上に放って乱れてもいない髪をかき上げる。
「仕事相手のミスが一時間ほど前に発覚してな。こっちが作業できないってわけですよ」
「ご愁傷様です」
共同作業であるとはきいてはいなかったが相手があることであるのなら仕方がない。
「ああ」
「他の部屋も綺麗にしてるから休めばいいよ」
今日は読書をする前に簡単ながらも掃除しておいてよかったと胸を撫で下ろして私は読みかけの小説へと手を伸ばす。
やっと告白を試みること37回目で騎士が姫に告白を出来そうだというシーンなのだ。
「……」
気になっていたシーンだけあってすぐさま物語に引き込まれる意識。
姫様、お願いですから騎士に新たな武勇伝は止めてあげて下さいねと思いつつ捲る手が止まる。
「オラトリオ、ちょっと困るんだけど」
いつの間にやらコートを脱いで隣に座っていたオラトリオが私の肩に頭を乗せていた。
あまり重いとは感じないから体重はかけないように気をつけてくれてはいるのだろうけどこれでは小説が読みづらい。
さんや」
「何?」
いつもと違って敬称をつけて読んできた彼へと返事をすれば頭を彼は上げて。
「好き合う二人が久しぶりに二人きりの空間にいるわけですよ」
心地良いバリトンの声で私の耳元で彼は囁くと私が手に持っていた本を取り上げて身を乗り出してくる。
「……だというのに冷たすぎやしませんかね」
それに気圧された私は逃げようとしてソファの上に倒れてしまう。
これはヤバイのではないかと頭の中で警報がなるがオラトリオは楽しげに笑うと取り上げた本をテーブルの上に置きながらも視線は私を捉えたままだ。
アメジストの瞳は閉じる必要はないことを知っている。でも、同時に何秒間に1度というように瞬きをするタイミングすらプログラムで決められていることも知っていた。
そんなことは今はどうでもいいや、どうしてオラトリオに押し倒されそうになってるんだろう。読書をするって前もって私は言ってたはずなのに。
「あらら、不満そうなお顔だこと」
私の思いが表情に出ていたらしくオラトリオがそう言ったが彼は退く気配どころか楽しげに笑っている。
彼が退かないのなら移動しようとソファから降りようとした私の両側にオラトリオが手をつき。
「待て待て、逃げるな。今、コートを脱いでるからあまり動きたくないんだ」
そういえば彼のコートは冷却のためのもので普段から着ていないといけないものだったけ。
「それならコートを着ればいいでしょう?」
に少しでも近づきたいっていう男心を解ってくれよ」
覆いかぶさるオラトリオの顔が近づき額同士が触れ合い、近くで告げるその言葉が私をくすぐる。
吐息が混じるほどに近いその距離にどうすればいいのか判らずに困ってただ彼を見てればオラトリオは顔を少しだけ上げた。
乱れた前髪が落ち、その顔の陰影を深くして彼の表情を読み辛くする。
「オラトリオ」
「んっ」
彼の名前を呟くしか出来ない私にオラトリオが言葉とは言えない返事を返した。
「呼び出されたりしないの?」
「3時間は、な」
置き場がなくて垂らしてた手を彼はあげるとその手の人差し指を舐める。
その後にオラトリオは手の甲にちゅっとキスをして、その顔を私の顔へと近づけた。
触れ合う唇は熱くその中は私と変わらない柔らかなものがあって、その柔らかなもので私の口の中はいっぱいになる。
「ふぅ……はぁ……」
息が苦しくなって掴んでいた腕を叩けば彼は顔を上げた。私と違って苦しさなど感じていないその様子に睨みつける。
が与えてくれる熱になら溶けてもいい」
オラトリオはそう囁くと私の首筋に唇を落としてキスの音をたてた。
「嘘吐き」
「嘘じゃないさ。実際には無理なだけだ」
彼はそう言うとソファと私の背中の間に手を入れて私を抱き締めるようにして私の首筋に顔を埋める。
柔らかな髪が私の肌をくすぐって少し笑えてきた。
「笑うな」
顔を上げたオラトリオは仏頂面でこちらを見ている。
先程までの妖しい雰囲気の彼もよかったが私としてはこちらのほうが心臓に優しい。
「だって、くすぐたかったし」
私をくすぐった彼の金の髪をかき上げた後に指をはわせてその端整な顔立ちをなぞる。
「恋人甲斐がないな」
「私はただ一緒に居るだけで充分だもの」
わざとらしいため息をつく彼に笑えばオラトリオは身を起しソファに座り直す。
私も身を起して座り直そうとすれば手を引かれてオラトリオの膝の上に座らされ抱き締められる。
「それじゃあ、一緒にいるか」
「この格好はどうかと思う」
彼の肩を叩きながら下ろしてくれないかと訴えたが彼は気にする様子なく。
「オラクルが居るところじゃ出来ないからいいだろう」
髪に口付けをして、その手は私を放そうとはしない。
彼がこんな風に私にかまう様になるって誰が思ったことだろうか。
あー、エモーションは最初から私と彼をくっ付け様としたっけ。
「こら、何を考えてるんだ。俺の腕の中に居る時ぐらいは俺だけのことを考えてろ」
私の顔を胸に押し付けるように抱き締め、からかうような声で彼は言った。
なのにその声の中に寂しさを感じたのは私の気のせいだろうか。
「ワガママ」
「だから、お前に言うんだよ」
一瞬、半瞬でも彼はORACLEのことを忘れることはない。
無敵の守護者と謳われる彼は常に自らを守護者であり、オラクルのスペアだと考えている。
こうして私を抱き締めているその瞬間にも……
「仕方がないなぁ」
私は両手を彼の背に回し、目を瞑る。
オラトリオはとても強いそして同時にとても弱い。
「惚れた弱みだしね」
彼は常に自分の存在理由を確認し続けている。
そこに私という存在が彼の意味に成り得るのならどれだけ幸せなことか。
出会ったその時には彼がこれほど大切な存在になるとは思わなかった。
そして、彼が私を必要としてくれるようになるなんて今でも信じられないぐらい。
「愛してる。
ああ、そうか。これは今だ信じきれていない私への彼からの意思表示でもあるんだ。
「オラトリオ、愛してる」
何度も何度も互いに互いの想いを確認する。
人はそうしなければ想いを維持できないのなら本当の愛ではないと言う人もいるかもしれないが私はそうは思わない。
これが私達の愛し方であり、想いを伝え合うことを恥と思うことはないのだから。




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