約束のない茶会
目の前の惨状に苛立ちの余り持っていた書類を強く握り皺を寄せてしまう。
慌てて緩めればそれほどひどい跡はついていないようなので上に提出するには問題はなさそうだ。
さて、私のそんな行動を引き出したのは私の執務室として使用している部屋に我が物顔に鎮座する人間。
広い意味では確かにこの部屋どころか部屋の中にあるほぼ全てが彼の物であるだろうが……
「ブウサギ皇帝、仕事なさい」
「俺はブウサギ好き皇帝であってブウサギじゃないぞ。俺がブウサギなら誰がコイツらを愛でるんだよ」
勝手に人の椅子に座り膝の上で撫でていたピオニーがそのブウサギを抱えて主張した。
気持ちよさそうに膝の上で目を瞑っていたのをいきなり抱えるのは可哀想ではないかと思ったがブウサギは気にしていないようだ。
たぶんである。ブウサギの気持ちを理解できるわけではない。
「そうなったら素直に食料でしょう」
私はブウサギはお肉として大好きだ。可愛くないわけではないが食料である彼らを一匹でも愛でると食べ辛い。
それゆえに可愛いとピオニーにいくら勧められてもブウサギを撫でたり抱っこしたりしたことはなかった。
「お前、可愛いほうのが食われてもいいっていうのか」
「……名前さえ違えば」
確かに同じ名前の生物が食われるのは嫌だ。本来のジェイドと違って私はそういうところは感傷的である。
私は持っていた書類を自分の机に置くと荒らされているところはないかと確認する。
床が多少汚れているように見えるがブウサギを連れ込んだにしては綺麗な方か。
「まったく綺麗なほうのは俺に構われなくて寂しかったのか?」
ピオニーは抱えていたブウサギ、可愛いほうのを床に下ろせばブウサギは鳴きながら歩き出す。
彼のほうは開いた両手を広げてとてもいい笑顔であるが、それはこちらの感情を逆撫でする行為だ。
まだ可愛くないほうのとか言われたほうが苛立ちは少ないかもしれない。
「寝言は寝てから言いなさい」
歩き出したブウサギの背をブーツで軽く踏みつける。
いきなりのその行動にブウサギは必死で抜け出そうとするがその度に少しずつ力を入れて逃がさないようにした。
もちろんあまり痛くないようには気をつけたし、傷つけるなどは論外である。
「ああっ!!放してやってくれ!」
悲鳴をあげて立ち上がったピオニーはしゃがみ込み、私のブーツの下からブウサギを救出しようとしている。
「!ここにピオニー……」
「この家畜は踏まれて喜んで……」
ノックもなくいきなり開いた扉に振り返ればサフィールが扉を開けた状態で固まっている。
その視線は私としゃがんでいるピオニーを交互に見つめ。
「そういうプレイが趣味なの!?」
「はぁ?」
扉を閉めてこちらへと歩いてくる彼は意味不明なことを叫んだ。時々、彼の思考についていけないが今回もまた理解できない。
「僕、そういう経験ないけどがそういう趣味なら頑張るよ」
興奮し潤んだ瞳で迫り来るサフィールは不気味だ。
ブウサギを踏んでいた足を下ろして対処できるように身構え。
「何を意味不明なことを言って?」
「だって、ピオニーを踏んで……」
涙目でサフィールがしゃがみ込んでいるピオニーを指差す。
三十過ぎの男の涙など少しも可愛くはないし、君が指差してるのは一応我が国の皇帝様ですよ。
「あー、サフィール?俺は踏まれて喜ぶ趣味はない。そもそも踏まれてもいないぞ踏まれていたのはこの子だ」
放されたブウサギの背中を優しく撫でながら抱き上げるピオニーはM疑惑を否定した。
「何だ。そうなんだ」
その様子に安堵の吐息をついたサフィールだがこちらとしては彼がした誤解に頬が引きつった。
ピオニーがMであるのならば私はS疑惑を持たれていたのだ。それもそういうプレイを実行する人間として!
「サフィール、貴方は私がそういう趣味の持ち主だと?」
「えっ、いや」
うろたえて後ろに下がるサフィールをおうように一歩踏み出せば彼はまた後ろへと下がる。
多少は本来のジェイドを意識しての言動をしたことがあるが私はノーマルで嗜好を変えた記憶はない。
「思ったからこその発言だったんだろうなぁ」
「ピオニー!君は早く戻ったらどうなの?フリングス少将が探してたよ」
のん気に言葉を紡ぐピオニーにサフィールが注意した。
そういえば彼が来る前はピオニーを仕事に戻す気だったな。
「彼も大変ですねぇ。大変に同情すべき方なんで戻りなさい。ピオニー」
思い出したので右手を振って去るように促がす。
これもまた皇帝様にするようなことではないがピオニーは気にした様子はない。
それどころか邪険に扱えば扱うほど楽しそうなところがある。
……ヤバイ、マジでピオニーってMなの?
「休憩中ぐらいいいだろうが」
私の中でM疑惑が湧き上がっていることも知らずにピオニーは自分の権利の主張をした。
本当に彼が言うように休憩中であるのなら、私はあまり文句はないが私が把握しているかぎりこの時間は休憩時間ではないはずだ。
「貴方の休憩は自主休憩であることが多いから問題です。大体、サフィールに誤解されたのも貴方のせいですよ」
「そう、そうだよ!ピオニーの……ヒッ」
虎の威を借る狐のごとく私の言葉に勢いづいたサフィールだが、こちらから意識がずれたのでその腕を掴んだ。
短い悲鳴をあげたサフィールに私の目が細まるのを自覚した。
か弱い女性が腕を掴んだぐらいで軍人が悲鳴をあげないでほしいものだ。
「サフィールはどうしてあのような誤解をしたのか私にお話をして下さいね?」
怯える様子の彼に私は出来るだけ優しく言葉をかければ、サフィールは青ざめた顔で身体を震わせている。
「……俺、休憩が終わったから戻るな」
自主休憩の終わりを告げるとピオニーは隠し通路から部屋を去ろうとしている。
私から言わせてもらえば幼馴染とはいえ機密事項である隠し通路を教えてくれるなと言いたい。
一度、そう文句を言えば婚姻関係を結べば皇族だと言われたので女装したサフィールを薦めておいた。
幼馴染で隠し通路を知っているという点では条件は一緒である。
性別違うけど罰ゲームで女装したサフィールはけっこう綺麗だったのでピオニーの横に並んでも見劣りはしない。
「待って!ピオニー」
「サフィール、幸運を祈る」
縋りつくように私が握っていない側の腕をピオニーへと差し伸べるが彼は幼馴染を笑顔で見捨て、ブウサギと共に隠し通路に姿を消した。
いや、私は何もサフィールにひどいことをしようとしているわけではないのだから見捨てるという言葉もおかしいか。
「あぁ!ピオニーひどいよ!」
「サフィール、色々とお話しましょうか?」
「あの、いや、僕は仕事が……」
私の言葉に首を振って逃げようとする彼に優しい私は告げる。
「大丈夫、今日の仕事は貴方なら2時間で終わりますよ」
「2時間って!あれは無理だよ」
副官である私は彼の仕事量を大体は把握している。今日の仕事は2時間で終わるのはウソではない。死に物狂いですればなだけだ。
私はSでもなければ鬼でもないので彼が理解してくれれば短時間で話を終わらせるから問題はない。
上官である彼の仕事も心配している私は優しい副官だと思ったのだが彼は違う意見があるのか首を振っているのが見えるが無視。
「サフィール・ワイヨン・ネイス」
彼のフルネームを呼んで微笑みを浮かべる。
「ごっ、ごめんなさい!!……うう、本気で怒ってるよぅ」
こちらのS疑惑への心外度がいかに高かったのか理解したようだ。
謝りはじめた彼の腕を放して椅子に座り、行儀は悪いが机の上に両肘をつけて手を組むとその手に顎を乗せ。
「反省しましたか?」
「うん」
目を手のひらで擦るその様子は子どもの頃と変わっていない。
自分やピオニーといった幼馴染以外の人間がいる時には装うことを覚えはしたが……
「それではお茶を淹れてきて下さい。美味しいのをお願いしますね」
「……頑張る」
本人の前でS疑惑を言ったにしては優しい罰だ。
上官を顎で使うのは副官として間違っている気はするが、これは幼馴染による罰なので問題ない。
サフィールはかなり真面目なのでピオニー捜索に借り出されたりしないかぎりは休憩をとろうとしない。とはいえ、私も人のことは言えない。
がむしゃらに動くことで不安を感じないようにしていたがために何もしない時間というのが苦痛に感じるようになった。
自覚しながらもどうすることも出来ない自分にあのブウサギ好きは休憩をとる必要があると教えにきているのだ。
……私が休憩をとればサフィールもそうするからこそ、彼はここに来る。皇帝になっても相変わらずに面倒見のいい男だ。
「それで、いつまでそこに居るんですか?」
「ばれてたか」
声をかければ隠し通路から姿を素直に現した相手に呆れた視線を一つ。
「いつものことじゃないですか。サフィールがお茶を淹れてきますから座って待ってればいいでしょう」
「そうだな」
彼専用になっている大きめのソファに座るピオニー、3人分のお茶を淹れてサフィールが戻ってくるまで書類を眺めることにした。
それに視界の隅で呆れたように笑っている彼が見えたが性分なのだと心の中で言い訳をする。
……これが私達の日常であり、失いたくない日々の一コマ。