双璧の景王
景の宝重の名は水禺刀。剣の本来は水、鞘は禺を封じたもの。主によって姿を変える。
剣は過去未来、千里の先をも見通し、鞘は人の心を読む。それがゆえに剣を鞘で封じ鞘で剣を封じる。
世の中にただの便利アイテムはございませんとでもいうかのような面倒な道具だ。
とはいえ、景王である私以外は鞘から抜けず、抜き身の剣を他者が振るっても藁すら切れないのはいい。
戦いの場において武器を奪われて自分の剣によって死ぬというマヌケっぷりをさらさなくてすむ。
一国の宝重についてかつてそう述べたら我が半身であるはずの麒麟に凍るような冷たい目で見られたのは悪くない思い出だ。
今ではこういうことを言っても彼は呆れたようにため息をつくか完璧に無視されるかだから寂しいかぎり、
ただどうしても受けいれられないことなどの時は注意してくるので聞くようにはしている。
してはいるが説明が若干どころか、かなり言葉が足らないので話し合いは長期戦になるのが面倒なんだよね。
鞘から剣を抜きその抜き身の刀身を眺める。部屋の灯りをうけて剣はその揺らめくような波紋の美しさを輝かせている。
剣は過去未来を見通すというが私はその力を極力使おうと思わなかった。
過去はともかくとして未来を見るのが恐ろしくてたまらなかったがゆえに水禺刀に望んだのは武器は武器であることだった。
この宝重を宝物庫にしまわずに肌身離さずに持ち歩き人を斬った。
王という名の神になった時に人を斬る覚悟を決めたとはいえ本当は人を斬りたくはなかった。
今は血の穢れなどないその手は手入れがされてはいるが王となる前よりも硬い。
「……景王陽子」
本来であれば私の次の王となるはずの娘の名を呟く。私の在位はちょうど10年と節目の年を迎えた。
それは私が知る物語とまったく違う歴史をこの国が進んでいるということを示している。
これが正しいことであったのかなどは最早どうでもいいことで私は生きたいがために王になったのだ。
王となることを拒絶しながら生きたいがために王となった私と彼女は違う。
その違いがこの先の国を大きく変えていくのだろう……剣が幻を見せ始め揺らめく。
見つめすぎたかと封じようと鞘に手を伸ばし、剣が映し出してる幻にその手を止めてしまった。
そこにいるのは赤みがかった明るい茶色の髪をした真面目そうな少女。
少女は今から学校に行くのだろうセーラー服姿で玄関から出てきて中に声をかけて歩き出した。
剣は私の意思に反応して彼女を見せている?いや、それだとしたら今は彼女は高校生ではない。
不意に浮かんだ否定の考えに幻は歪み、今度は何処かの校舎を写す。
そこにいる少女の姿にそこが彼女の学校であるのだと知ることが出来た。
幻は少女と見覚えのある金髪の男が向かい合っている場面を写す。
「これは!」
荒げた声に幻は霧散したが座っていた椅子から立ち上がったことで膝の上に置いていた鞘が床へと落ちる。
鞘と床が触れ合った硬い音を耳にし意識をそちらへと向ければ扉を叩く音についでその扉が開いた。
「主上、どうなさいましたか?」
「景麒」
私の声に気付いたのだろう彼が扉を開けて中へと入ってくる。
ここは執務室なのでケーキは好きに入ればいいと言ってはいたが今は不味い。
先程の幻に移っていた男と瓜二つのその姿に動揺を隠せない。
「……お加減でも悪いのですか?」
「何でもない」
私が知る本来の姿が移った幻をどう説明すれば良いというのか。
水禺刀の幻は過去未来を映すというが起きなかったはずの過去を映すのはおかしい。
これは宝重の異変なのか違う姿を知る私が持ち主であるからのことなのか。
「何でもないはずは……」
こちらへと詰め寄ってくる彼の足が軽く鞘に当たった。
彼は落ちている鞘を拾うがそれをこちらに差し出すことなく咎めるような視線を向けてくる。
「鞘?……まさか、水禺刀の幻を見ていらしたのですか?」
「違う。手入れをしてた」
見るつもりなどなかったのだと首を振るが彼は納得していないのか私を見下ろし。
「では、どうして水禺刀をそのように手が白くなるまで握られていらっしゃる」
指摘されて自分の手を見れば確かに自分の手が剣の柄を強く握っていた。
意識してその手を柄から放そうと動かそうとしたけれどその手を掴む手があった。
「様」
珍しくも私を字で呼ぶ彼に目線を向ければ紫の瞳が揺れている。
「何を見ていらっしゃたのですか?」
怜悧な美貌が憂いを帯びた様は絵になるものだと心のどこかで感心していると手が強く握られた。
それに意識を戻して答えようとしたところで水禺刀がまたも幻を見せはじめる。
他者がいる前で剣が幻を見せた記憶はなかったが此処に居るのは半身である麒麟であるからか。
普段との違いに疑問を感じたもののいつもとは違う違和感に気付いて辺りを見回すと物が二重に映っていることに気付く。
僅かにずれている物やないはずの物があったりと多少の違いはあるが幻はこの部屋の未来だか過去を映し出しているらしい。
いや、幻なのかは不明か。何故なら水禺刀の幻は刀身に幻が映るのだ。周囲に幻が展開されるなど今までになかったことだ。
「ケーキ、鞘を!」
慌てて鞘で封じなければと鞘を持つケーキへと命じた。
だが、手を放しもせず鞘を寄越しもしない彼へと苛立って無理矢理に鞘を奪って刀身を納める。
その後にケーキへと顔を向けたが彼が別の方向を見ていることに気付いた。
「あれは……」
重なった幻にこちらを驚いたように見つめる赤い髪の簡素な衣装を身につけた女性の姿と金色の髪をした男。
なるほど、ケーキは自分と同じ姿の景麒を見て固まったのか。こういう突発的なことに弱いな。
半身がこの有様なので逆に冷静になってきたが一つ不味いのは幻が一つに重なったことだ。
転生憑依トリップに続いて異世界トリップってか?それも本来のお話へとか天だか神はドSか!
原因が水禺刀だとすれば幻を納めてしまったじゃないか!
景王の執務室には二組の主従が揃ったと知るのは私とあちらの景麒だけだろう。
あちらの景麒の驚愕に見開いた目はもう一人の自分よりも私を見ているという事実があるので気付いたことは丸判りだ。
「貴方がたは?景麒によく似てる彼は麒麟ですよね」
一番に口を開いたのは陽子だった。意外とダメージを受けているらしいケーキは役に立たないので私が口を開き。
「私は、これはケーキ」
舒覚などと名乗れば前王だとばれるだろうと少しでも遅らせるべく字を名乗る。
そして、ついでの我が半身の字であるケーキも教えたが彼女はそれを聞いて私とケーキを交互に見つめ。
「ケーキ?ケーキってあのケーキ?食べる?」
「そう食べるケーキのこと。可愛い字でしょう」
「食べ……貴方は本気で私を食べるつもりなんですか?」
やっと動き出したと思ったら妙なことを言うな。
「えっ」
お前の台詞に驚いたように陽子が見てきた。ここで誤解されるのは困る。
異世界トリップ先で最初に出会った人にお世話になるのは鉄板なんだぞ。心証は少しでもよくしたい。
「冗談って言ったでしょう?」
「信じられません。字を食べ物にする時点で」
いつもは蹴りの一発でも入れるところを笑顔で注意してやれば調子にでも乗ったのか鼻で笑う男。
くそう。顔が言い男というのはだから嫌だ。こういう格好をしても様になりやがる。そもそもこいつは仁の生き物なのか?
「食べるって何の話を?」
私達の話の展開についていけないのか首を傾げる様子が可愛い。
今生では18の歳で王となった私よりも2つぐらい下で王となったのだから外見上は私が上のはずだ。実年齢的にはどちらが上かはわからないけど。
ただ身長では陽子のほうが高いようで確かに少年のふりをするには便利かもしれないと少しうらやましい。
「ほら、麒麟って亡くなると身体を使令に食べられちゃうでしょう?」
「そう聞きますね」
「美味いらしいからどんな味かなって話したことがあるだけ」
私の言葉に素直に頷く彼女に嬉しくて微笑んで見せれば視界の隅で肩を震わすケーキが見えた。
何だ文句でもあるのか?二人きりになった後で腹でも軽く殴っておくべきか。
「嘘です。それだけではありませんでした」
「お前が食べたいんですか?って言ったから原形なく調理されてたら食べれるかもって言っただけでしょうが」
食べる気はない。気になるのは事実だが半身と思うように言われてそのように接するようになって10年。
まだまだ続くはずの生を美味しいらしいからっと半身食べて終わらせようとする馬鹿ではない。
そもそも麒麟が死んだら王の生はすぐに終わるらしいから食べる前に死ぬだろうが。
「言ったんですか」
呆れたようにこちら見ている彼女に私は手を振り。
「だって美味しいと言われたら味が気になるでしょう?ただ人の形してるんだし食べる気はないけど」
「そうですよね」
笑顔を心かけて冗談だと全身でアピールしたら彼女も納得したのか頷いてくれたが……
「貴方という方は私が転変したら食べるんですか?」
「普段はもう少し喋れと思うが今は喋んな!」
つい癖で乱暴な口調と共にローキックを繰り出せば無言で足首を押さえて崩れ落ちるケーキ。
「おい、大丈夫か?……、あまり乱暴なことは」
「愛情表現よ。そろそろ戻ってきた?そちらの景麒」
陽子の隣で呆然と立ったままのあちらの景麒へと注意を向けさせる。
そうして私は隣のケーキの様子を見てみたが回復してきたらしい様子に内心で舌打ちをする。
要らん一言ばかり言うので痛みでしばらく黙っていてくれればいいのに。
「えっあっ……景麒。大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。少々受け入れがたい事態が起きていますが問題はありません」
「それは問題だろ?」
景麒は混乱しているのか意味不明なことを言っているそれに律儀に突っ込む陽子は親切だ。
私であったのなら無視していただろうことを思うとこちらの景麒は大事にされてるな。
そう思ったがケーキについての私の扱いはたぶん愛ある突っ込みのはずなので改める気はない。
「だねぇ。まぁ、会話できるならいいや。それでお二人の名前を聞いても?」
私は知ってはいるが言うわけにはいかないので訊ねれば彼女は慌てた様子で名乗りだす。
「これはすまない。私は陽子、彼は景麒だ。そのどうして彼と景麒は似ているんだろうか?」
「さぁ?」
似てるというよりほぼ同一人物だ。だが、それを説明する気はないので首を傾げておく。
「……貴方の名は舒覚と仰るのでは?」
「そうですが何故、貴方が知っているのですか?」
私の前に庇うように立つのはケーキだ。
ダブル景麒。怜悧な美貌が二つ並ぶ様は絵になるが観賞している暇はない。
「舒覚?それは予王の名だったはず……」
振り返った陽子の目が私を射抜いているからだ。
「予王とは私の謚かしら?」
緩やかに笑んで見せれば三人はそれは見事に身体を硬くした。
自分で死んだ後につけられた名称かとか聞かれるとどう答えていいか迷うよね。
「景の宝重たる水禺刀が二つ並ぶとはまたとないことでしょうね」
手にした水禺刀を両手で持ち掲げれば陽子は腰に差している水禺刀に触れる。
私が手に持っているものとは違って彼女のものは鞘が死んでしまっているはずだ。
剣が見せる幻を彼女はその意志だけで持って制している。
「確かにそれは水禺刀に見える」
「ええ、私だけしか抜けない剣。だけど貴方なら抜けるのかしら?景王ですものね」
外交用の少しばかりお高くとまった話し方をしているとケーキの身体が解れているのが見える。
水禺刀を私が人に一時的にせよ渡すという行為は相手を信頼している証だ。
それを知っているからこそ彼は今の現状は理解出来ずとも危険ではないと判断したのだろう。
「そちらの水禺刀は鞘が死んでいない?いや、貴方が予……私の前の王というのならそれは当たり前か」
「あら、宝重を欠損させてしまったの?」
知ってはいたが宝重であるはずの鞘が死んでいるという言葉に反応してみる。
「申し訳ない」
「気にしていないわ。だって、その水禺刀は貴方の物だもの」
私の態度に肩をしょんぼりと落とした陽子に微笑んでみせる。
国の宝であるから王個人の物ではないと言う者もいるかもしれないが武器などいつか壊れるものだ。
「ねぇ、貴方が私の次の王であるというのなら私はどうやって命尽きたのか聞いても良いかしら?」
「……禅譲をされたと聞いております」
その理由を言わずに事実だけを言った陽子に私は返事をしようとしたが。
「ありえません」
その前にケーキの否定の言葉に思わず彼を睨みつけた。
私の視線に身体を震わせて怯えたのは景麒、つまりは陽子の半身のほうだ。
「あら、ごめんなさいね」
小首を傾げて景麒に微笑みかけたがそれすらも怯えられた。
笑って怯えられるのはちょっとムカツクんだが彼はケーキではないので放置しとこう。
問題だと思ったら陽子がきっと慰めてくれるよ。
「ありえないとは?」
その肝心の陽子だが自分の麒麟ではなくケーキへと声をかけている。
彼女としては話に聞く前の王の様子の違いに不思議なのかもしれない。
「この方が禅譲されるような方なら王になるのを厭いますまい」
「王になるのを厭った?」
驚いたように私を陽子が私を見てきたので頷く。
「ええ、恥ずかしながら人として生きたいと考えましたもので」
「そんなはずは……」
否定の言葉を告げる景麒の様子に私は本来の彼女は王となることを断らなかった事実に気付いた。
それはどのような心境であったのかは彼女ではない私には推測すら出来なかったが……
「私は穏やかな家庭を築いて生きたいという願いを捨てられませんでしたもの」
「……主上」
ケーキの声に反応したのは私と陽子。それにお互いが気付いたことに私は笑う。
「でも、王としての生も悪くはないとは思っているのよ」
「はじめて聞きました」
呆然と呟く様がおかしくて小さく笑うがすぐに陽子へと真面目な表情を向ける。
「はじめて言ったもの……陽子、私でない私が共に居てあげることが出来なかった彼と共に居てあげてね」
「……ええ、私は半身と共に生きていきます」
真っ直ぐに向けられる翡翠の瞳を私は受け取る。
彼女の誓いは麒麟と共に生きる王としてではなく、共に生きる戦友に向ける言葉だ。
「ありがとう。陽子」
その真摯な誓いに私は剣を抱え頭を下げる。
「私のほうこそ、景麒のことを貴方に頼まれるのは嬉しかった」
陽子が私の前に立ち私を抱き締めた。本来であれば二代の王が並び立つことなどない。
陽子の世界で私ではない私は死んでおり、私の世界では彼女は王となってはいない。
だからこそ、今はこの奇跡を起こしたであろう水禺刀に感謝しよう。流石は我が国の宝重だと!
我に返ってお互いが離れた後に少し恥ずかしかったが私は伝えることがある。
「それで、恥ずかしながらお願いがあるのだけれど」
「なんでしょうか?」
私の言葉に次の言葉を待っている様子の彼女に私は申し訳なさそうに眉尻を下げ。
意外とこの顔は私が集めた官達にも利くので重宝するお願い顔だ。
自分で言うのも何だけど情けない様子が哀れみを誘うんだと思う。
「今回のことは水禺刀が原因だと思うのだけれどすぐに帰れないと思うの。帰れるまでお世話になっても?」
抱えた水禺刀を見せれば彼女は頷き。
「ええ、かまいません。」
「陽子、ありがとう!」
断るような冷たい人間ではないと思っていたが予想通りに受け入れられたのはやはり嬉しくてお礼を言えば固まる景麒。
彼にとって私はかつてを思い出す人間なので辛いのだろうあまり傍に寄らないようにしよう。
「……ただお姿ですが」
「大丈夫、女官の衣装を貸してもらえるかしら?これでも礼儀作法は叩き込まれてるもの。俯いていれば注目もされないわよ」
陽子は礼を廃すとか言ったような気がするけど女官が通路で官に頭を下げるのは礼儀だ。
とはいえ、それも廃止していたら厳しいか?
「確かにそうかもしれませんね。それと王として行動されないのなら先程のようにどうかお話下さい」
反対を彼女からされなかったことで一安心し、衣装を着替えたら化粧を変更しないと。
これは女王だからと多少、派手めに化粧をしているので女官の衣装には合わない。
「それなら陽子もそうしてよ」
「ああ、そうする」
友達のような物言いにお互いがにっこりと笑いあった。
陽子にはもう親友と呼べる少女達が二人傍にいるだろうが短期間もう一人増えたぐらいは大丈夫だろう。
私は自らが治める国に戻るまで出会うはずのない少女と友好を結び、少女の半身である麒麟を泣かせ。
ちなみに麒麟については勝手に寂しそうにしていたのであって不可抗力である。ケーキと違って打たれ弱いのがいけない。
そして、他の国々の方とも交流する機会もあったがそれはまた別の話。