情けは人の為ならず


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麦州へとついたのは王宮を出発してから半日も経たないうちだった。スウグという一日で一国を駆けることができるという最高の妖獣を騎乗に選んだからこそだが、数百年も身体を必要最低限に鍛えていたためでもあり、身体の負担を減らすべくケーキの使令である冗祐に任せたので身体の負担も少なく休むことなく動けている。
彼を身体に憑かせることは最初は嫌だったのだが、念のためにと何度も身体に憑かせ、それによって幾度も命が助かつたとなれば、もう開き直るしかない。
そのせいで彼は最近はケーキのところに戻ることはほとんどない。ケーキにしても使令を常に私のところに置いておきたいようなので特に文句を言われたことはない。
そして、身体が覚えるというのも強ち間違っていないのか私自身が剣を振るっても剣がすっぽ抜けたりとかいうことはなくなった。
数十年単位でこれなので、立派な剣士になる頃には数百年単位が必要そうな気もするが、最低限に身を守れればいい。
「主上、清谷が見えてまいりました」
「もう少ししたら下りて、冗祐」
街には空から入るなんてことは普通はしないので街の手前で地面へと下りれば身体の支配権が戻る。
スウグの手綱を握って街道を進めば目的の街へとたどり着く、慶東国の西端の港町の清谷。巧や雁という他国との交易の窓口ともなる街は人も物の行き来が頻繁なところだ。
「良い織物が入ってるといいんだけど」
今回は買い物が目的であり、王としてではなく個人としての衣を選びに来たためにちょっと変わった柄物が欲しかったのでここまで足を運ぶことにしたのだった。
ケーキあたりにでも私の目的を話せば、金波宮に商人を呼べばいいと言うだろうけれどやはり買い物は自分の足で探して、見て確かめたい。街に入るための検問の列に並んでいると後方が何だか騒がしい。
「何かあったのかな?」
人が逃げ出すような事態ではないようだけれどと思いつつ意識を傾ければ。
「息子が熱を出しているんです。先を譲って頂けませんか?」
「あたしらはかまわねぇよ。困った時はお互い様だ」
まだ若い女性の声と快く譲る年配の女の声、似たようなやり取りが続いているようで子どもを抱えた夫婦らしい男女の姿が近づいてきている。
子どもというものは急に熱を出してしまったりすることもあるので、今回のようなことがあれば快く先を譲るものだ。
声を掛け合ってその家族へと先を譲っていた雰囲気が変わったのは私よりも三組ほど後ろに居た男達のところでだった。
「申し訳ないのですが先を譲って頂けませんか?」
「ああ?順番を守れよ」
「すみません。でも、子どもが熱を……」
威圧するかのような男の発言に父親らしい男が腰を低くして話しかけていたが。
「そもそも子どもが熱って本当かぁ?」
「本当です!」
子どもに具合悪いふりをさせて検問の順番を譲らせようとする人間はいないわけではないが、必死な様子から今回はそうではなさそうだ。
「だとしても、人に頼むんだったら何か礼とか人として必要だと思わねぇのか?」
いちゃもんを付け、謝礼と称して金品を得る気らしい。そんな柄の悪い男達の様子に周囲の人間は眉を顰めたり、抗議の声を上げる者がいるものの柄の悪い男共に睨まれると口を閉ざした。
それは仕方がないことだろう。哀れとは思えど赤の他人のために怪我をしたいと思うような人間はいない。
「礼と申されましても……」
「快く譲ってやるために多少の礼は必要だろうが?」
私もそういった性質の人間であると自覚しているわけだが、今回のような場合はそれには当てはまらない。
「礼は強要するようなものではないと思うけどね」
騒いでいる人間たちに聞こえるように大きな声を張り上げる。
「ちょっと、お嬢さん。危ないよ」
近くに居た年配の男性が親切にも忠告をしてくれたが、一瞥して笑みを浮かべて会釈する。
「あぁ?ふざけたことを言ったのは誰だ!」
リーダー格らしい男達の中で一番身体の大きな男の怒鳴り声に私の周辺に人が引く。
「お前か?」
「ええ」
「いいとこのお嬢さんが格好つけようってのか」
妖獣であるスウグの手綱を手にしているため、男は私を良いところのお嬢さんと判断したようだ。
「そういったわけではないけど。子どもが困ってるのなら手を貸してあげようと思って」
「じゃあ、礼としてその妖獣を俺らに渡せよ」
「……あんたら馬鹿じゃない?」
珍しい妖獣であるためにスウグのことを男とは知らない様だ。
知っているのならば気性の荒いスウグを欲するというような愚行は犯しはしないだろう。
「何だと!」
「てめぇ!」
「ふざけんなよ!」
口々に男達、全員で三人だったらしい彼らは私に汚らしい罵詈雑言を言ってくるが大した内容でないので耳から流す。
「ちょっと教育してやらねぇといけねぇみたいだな」
わざとらしく指を鳴らすその様子を鼻で笑い。
「じゃあ、その授業料を払ってあげる」
長年の経験によって修羅場とも思えないチンピラ達との対立を私は冗祐へと任せる。
目を瞑りさえしなければ彼が何とかしてくれると今までの経験でわかっているので怖くはない。
彼らの武器は拳だ。痛いのは嫌だが彼らの攻撃で私が死ぬようなことにはならない。
「生意気言ってんじゃねぇ!」
男が拳を振るう。威力はありそうだが大振りなその攻撃に身体は身を屈めることで避け、布に包んだ水禺刀で腹を打ち付ける。
「ぐぅ」
強かに打ったことで身を屈めた男の肩を叩いて地面へと転がし。
「まだ授業料が欲しいわけ?」
「何だてめぇ」
「ただのお節介焼き」
何だって言われても本当のことは答えられるものでもない。
「何を騒いでいる!」
騒いでいたために役人がこちらへと来ようとしている。
「やべぇ」
「ずらかるぞ」
地面に転がっていた男を助け起こして男達が逃げ出す。役人達が来るまでに距離があるのでこのままであれば逃げられそうだ。
「追いますか?」
「別にいいや」
冗祐の問いに小声で返せば、近づく人の気配に視線を向ける。
「ありがとうございました」
「本当に助かりました」
「いえ、勝手にしたことですから」
若夫婦の礼の言葉に首を振っていると兵士が到着した。
「お前達、騒ぎのことで聞きたいことがある」
騒ぎが終わってからの登場に仕方がないとは思うもののため息がもれる。
「わかりました」
逆らっても面倒なことになるだけかと若夫婦と共に兵士に大人しく従うことにする。
聴取が短ければ子どものためにはよいだろうという考えもあるからだけど。


若夫婦とは別室になったところで冢宰からの印のある旌券を出せば、もう面白いぐらいにことは進み若夫婦は良い医者を紹介され、私は聴取らしい聴取をされないままに無罪放免で街に入ることが出来た。
「権力って怖い」
充分に兵士達から離れたところで、シミジミと呟きをこぼす。何度かこういう経験をしたが人の変わりようは怖いものだと思う。
様」
聞き覚えのある声に目線を向ければ布で髪を隠したケーキが居た。
「あれ?ケーキ、来てたの?」
麒麟である彼のほうは私の気配を感じることが出来るらしいけど王である私はそうじゃない。
使令からケーキが近くに居ると教えて貰えなければ事前に知ることは出来ない。
私より後から出発したはずなのに此処にいるということは流石は最速の生き物というところかな。
「何をなされたのですか?」
普通は門で軽く確認をされるだけなので、建物内から出てきた私にケーキは怪訝そうに問う。
「ちょっと人と揉めただけ。冗祐のお陰で怪我一つしてない」
「貴方はまた騒ぎに関わったのですね」
またと言われるほどに関わった気はなく肩を竦め。
「子どもが熱を出してたからね」
「人助けをされたのなら、そうと仰ってください」
「人助けっていうか何と言うか」
王である私は多くの責務があり、民の庇護もまたそのうちの一つだ。
目の前で行われた非道を放っておくことは結局のところ自分の首を絞める結果としかならない。
彼らを助けたことも、結局のところは我が身が可愛いからだという結論になる。
「何を仰りたいのですか?」
「わからないならいいよ。私もよくわからないし」
「そのようなことを仰られては解るものも解らぬでしょう」
呆れたようにため息をついたケーキの様子に説教でもされるかもしれないと話を切り上げることにして背を向けて歩き出す。
「今回はただの買い物だし明日には帰るから、先に戻ってて」
後ろ手に手を振って言い放ったわけだけれど納得いかなかったのかケーキは後ろからついてきて。
「明日に戻られるというのならご一緒させて頂きます」
「そっ、ケーキがそう言うのなら仕事は終わらせてるだろうしいいけど」
ケーキがついて来るというのなら、彼の分もついでに買ってしまおう。容姿が恵まれているのに女官達に任せっぱなしのこの朴念仁を着飾るのもたまのことなら面白い。
買い物についてきてくれるというのだから、遠慮なく荷物持ちとして扱き使ってやろうと心に決めて私は買い物を楽しむとしようか。





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