副官区別


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「備品は滞りなく配備され、タルタロスの最終点検も問題なしとのことです」
「わかりました」
本日、第三師団師団長サフィール・ワイヨン・ネイス中将は普段よりも二時間早く出勤してた。
その副官である自分もまた同じであるが、それは第三師団全体として予定している軍事訓練のためだ。
今もそのために最終のチェックをしながら予定時刻を待っているとノックの音が響いた。
「入りなさい」
機密事項のものを出しているわけではないため、入室を許したネイス中将は机に広げられた地図を眺めていてドアに視線を向ける様子はない。
「失礼します」
入室の許可を得てから入ってきた人物の声が聞こえると勢いよく顔を上げて視線を向け、その人物の顔を見た彼は顔を輝かせ。
!おはようっ!」
先程までの会話とは全く違うテンションで話しかけている。入ってきたカーティス大佐を迎えるために立ち上がり近づいていくという歓迎ぶりだ。
「おはようございます。サフィール中将」
抱きつこうとしたネイス中将を避けて、ずれたようには見えない眼鏡をなおしたカーティス大佐の表情は呆れが浮んでいる。
ネイス中将の副官の一人として国内ではマルクトの双璧や皇帝の懐刀と称され、キムラスカからは共に死神と恐れられている彼らのやり取りを常日頃から見ているが、この状態のネイス中将には普段とは違った意味で近づき辛いものがあった。
同じ副官であるカーティス大佐は流石は幼馴染というべきか、日頃の冷静さが嘘のようなネイス中将とごく当たり前のように会話をしている。
そもそもネイス中将のこのテンションが出るのはカーティス大佐の前だけの限定だ。同じ幼馴染である皇帝陛下の前であっても私達に対する態度と変化はない。
礼儀知らずというわけではないので軍紀としては問題はないが、その態度の違いは幼馴染であり部下であるカーティス大佐に惚れているのだろうというのが彼ら二人を知る人間の見解だ。
「サフィールって呼んでよ。僕との仲なんだからさ」
いい歳の男が頬を膨らませて抗議をする姿はどうかと思うが、見た目にあまり違和感がないのは整った容姿のせいか。見た目がいいだけで得をしてるなどと思うのはもてない男の僻みだろうか。
中将にまでなっているというのにネイス中将の身体は服を着ていると鍛えられていると想像できないほど細い。それはカーティス大佐も同じだ。
元は研究職であったとはいえ、譜術の腕前は高く身体も鍛えているはずなのに幼馴染の中で軍人二人ではなく皇帝陛下が一番身体を鍛えているように見えるのは不思議ではある。
「今日の予行演習ですが……」
「無視はやめてほしいなぁ」
ネイス中将が今にも泣きそうな声を出した。
「ネイス中将、話を聞いて頂けますか?」
室内の温度が下がったような気がするのは、笑顔で苛立っているカーティス大佐のせいだ。腕に鳥肌が立ったのは本能的なものなんだろう。
彼女は気に入らないことがあるとよく笑顔で相手に皮肉を言うことが多い。それも皮肉だと相手が気づかず、察しのいい人間が気付くというような内容だ。
頭のいい人間というのはそういうものなのだろうかと思うのは、ネイス中将も似たように慇懃無礼になることがあるからだ。
大抵それは自分達より下の者ではなく、貴族や軍部の上の者に向けられるので軍部の佐官以下の者達からの信頼は厚いが……
「……ごめんなさい。きちんと話を聞きますからネイス中将はやめて」
「現在、第三師団から病欠などの申請がありませんので計画通りに開始出来ます。サフィール中将」
カーティス大佐にだけ許されているというか、ネイス中将が願った名前での呼称と上官への態度ではないというカーティス大佐との折衷案。
名前に階級で呼ぶという取り決めでの呼び方で呼ばれたネイス中将が少し落ち着いた様子で。
「そう、それなら計画通りに今から約一時間後に開始だね」
「陛下からも第三師団の結束を見せるように言われていますし、我々第三師団の錬度の高さを見せ付ける機会です」
予定通りに予行演習が行われることは当然だというように頷きあう二人。
男女の違いはあれど、どこか人の悪いものを感じさせるのは気のせいではない。
「少々、騒がしくなってきたし皇帝の懐刀としての切れ味も見せておくべきなのかもね」
騒がしくなったというのはネイス中将とカーティス大佐への風当たりだろう。彼らの活躍を眉唾として見る人間がいるのだ。
本来であればネイス中将はもう一階級上である大将でもおかしくはないが、貴族としては爵位の低い子爵位であったことから上層部から難癖をつけられたという噂がある。
サフィール大佐のほうは現場に出るために昇級を断わったと聞いてはいるが、それが女でありながら生意気だと言われ、皇帝陛下の幼馴染ということをかさにきているなどと言う人間がいる。
二人を知る人間からすれば、そのようなことは絶対にないと言えた。二人がもしもそのようなことをすれば帝国はとっくの昔に二人の手中だっただろうと思う。
軍事のことを知らない守られていることが当たり前と思っていそうな軍部の人間からすれば平和ボケしている貴族達では太刀打ちできそうにない二人だ。
大人しく軍部の将官と佐官に納まっていてくれることが幸運だと貴族達は理解するべきだ。
「あまり切れ過ぎると要らぬものも切ってしまうでしょうから、ほどほどが一番ですよ」
「そうだね。アイツが苦労するのはどうででもいいけど僕のほうまで面倒ごとに巻き込まれるのは嫌だし」
「私も面倒ごとは嫌ですからね。どのような理由だろうと面倒が避けられるのなら問題はありません」
アイツというのは十中八九が皇帝陛下のことだろう。
直接的ではないけど想像がつくと胃が痛い会話だ。俺は石、俺は石と心の中で繰り返して話を聞かなかったことにする。
に迷惑かをかけないようにって言っとくよ」
「それもどうかと思いますが……さて、私は予行演習が予定通りに行われることの知らせと指揮系統の確認をしてきます」
「マルコに任せようか?」
いきなり名前を呼ばれたので意識して外していた視線を二人へ戻すと。
切なさそうに眉を寄せたネイス中将とそんな彼に気付いていても無視している様子のカーティス大佐が見える。
「いえ、有事の際には私が独立部隊を率いることもありますし、私が行ったほうがいいでしょう」
はっきりと言い切ったカーティス大佐が頭を下げて出て行く様子を切ない表情のまま見送るネイス中将。
ドアが閉まれば防音性の高い部屋のためにカーティス大佐の足音などすぐに聞こえなくなった。
「……」
先程までカーティス大佐の一挙一動に表情を変えていたその顔から表情が消える。
その表情が削ぎ落ちる瞬間はひどく恐ろしい。表情のないネイス中将はその精細な美貌のせいで人形のようだ。
彼は椅子に座り彼女が来るまで見ていた地図を眺めて予行演習のために動かすタルタロスの航路を確認している。
自分が知るネイス中将は静かな人間だ。話しかけられれば返答し、軍議においては流暢に話す様から無口ではないのだが自分から積極的に離すのはただ一人だ。
その人物は結婚の適齢期を過ぎてなお独身であるカーティス大佐、一部では皇帝陛下と許されぬ恋ゆえに結婚していないなどと噂があるが、実際は皇帝陛下やネイス中将が邪魔をしているのではないだろうかと思う。
特にネイス中将は他の誰かがカーティス大佐と一緒にいると邪魔をしに行く。その時に急ぎの仕事があろうとなかろうとカーティス大佐を優先するのを何度も見てきた。
それだけでなく副官同士ということで連絡事項を確認している時に、嫉妬を通り越して殺気めいた視線をもらったこともあり、普段とカーティス大佐がいる時の態度の違いに彼のことを残念な美形だと思う時がある。
「マルコ」
「はい!何でしょう。ネイス中将」
名前を呼ばれたタイミングに普段よりも大きな声を出してしまったが、カーティス大佐にしか興味のない彼は気にした様子なく。
「本日の風向きと予測との変化は?」
「申し訳ありません。知らされておりませんので確認してまいります」
タルタロスの航路のために風速と風向きの予測を数日間分得ているが、確かに当日のほうが確実だろう。
「なるべく早く頼みます」
「はっ!では、失礼いたします」
なるべくというのは超特急ということだろう。どれぐらいで聞いてこれるだろうかと頭の中で考えつつ部屋を出てから早歩きで歩く。
本当なら走りたいのだが、緊急事態でもないのに副官である自分が余裕なく走る様を見せられない。まだ軍人に成り立てでがむしゃらに行動していた頃が懐かしい。
軍人であれば失敗など許されるはずではないのだが、やはり人なので失敗はする。
若い頃は上官から叱責を受けたものだが、ネイス中将からは冷たい視線での一瞥だ。その後に君に頼んだ僕が悪かったんだなどと言われれば心が折れるというものだ。
第三師団の副官が俺とカーティス大佐以外が辞めていくのはネイス中将が原因だろう。
実力があると知っているので尊敬の念で俺は副官を続けているが、正直なところ何度か辞めようかと思ったものだ。
それでも続けているのは結局のところ、生誕の預言で詠まれたいずれ高貴な方の御力になるという言葉のためだろう。
平民でしかない自分が高貴な方と触れ合う機会があるのは軍人になることだったからだ。辞めてしまったら意味がない。
「尊敬できるところが多い上官なんだから、俺は恵まれてる」
そう言い聞かせるように呟いて俺は二面性のある上官を思い描いてため息をつく。
普段だけであれば厳しい人なのだろうと思えたのに、毎日のようにカーティス大佐とのあからさまな態度の違いは贔屓だとか可愛いものではない。
崇拝の域にまで達していそうな人間に追い掛け回されているのに、それを当然のように受け止めているカーティス大佐は凄い人間だと思う。
あれは俺には無理だ。やはり天才と呼ばれる人々は凡人である俺とは違うのだろうと結論付けて心持ち足を速めた。





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