曇のち晴
「我はもうお前を……」
呟きの途中で水音が響く。庭に何者かが侵入したのならば間抜けな侵入者も居たものだ。
そのような間抜けに我自らが手を下す必要もなかろうと、駒が侵入者を捕まえるのを待っていると外が騒がしくなってくる。
「待て!この犬」
「そっちに言ったぞ!」
「ちょこまかと!」
捕まえられない使えぬ駒達に眉間に皺がよる。
「何が起きている?」
「犬と聞こえきたが、迷い犬だろうか」
騒動に室内にいた駒達もまた浮き足立つ様子に、このようなことで動揺するとは使えぬ者ばかりか。
比較的に使える者も居るには居るが、役に立たなさそうな者ばかりではないかと駒達の評価をしていると目の前の襖が切れた。
目の前で真横に真っ二つに上下にわかれた襖にすぐさま立ち上がり、どのような者がこの私を狙いやってきたのかと睨みつければ視線の先には、見覚えのある山犬によく似た白い子犬が一匹。
「……シロか?」
「わんっ!」
二年以上も経って目の前に現れたというのに相変わらずにポワッと気の抜けた顔をした小さな山犬が鳴いた。
視点
勢いよく飛び出した先には池とか最悪だね。いきなり水に沈んだ身体に慌てつつも池から上がったら、大の大人が私を追いかけてくるし。
その鬼気迫る様子が怖くて避けに避けていると人数がドンドンと増えていき、避けるのが大変になってきたので別のところに逃げようと襖を筆業で切った。
一度やってしまえば二回目も同じと吹っ切れて逃げる先の障害物を筆業で切って進んでいると、たくさんの人が居る部屋の襖を切ってしまい室内の人々から注目を浴びる。
ここは昔の日本みたいで着物姿で刀を差している人が居て、特にこの部屋の人々の刀所持率の高さにどうやって逃げようかと視線をさまよわせていると部屋の奥に居る少年と目が合った。何だか見覚えがあるような?
「……シロか?」
「わんっ!」(松寿丸君っ!)
何年か経っていたようで松寿丸君は成長して顔立ちからは幼さがだいぶなくなっていたが、私を見てシロと呼んだことから彼だと推測できた。
成長した松寿丸君は痩せてはいるが痩せすぎというほどではないし、栄養状況はいいようで肌の色艶はいい。
別れた頃よりも健康そうなその姿に嬉しくなって尻尾を無意識のうちに振っていた。
「戻って来るのが遅いわっ!戯け」
松寿丸君は立ち上がると左右に分かれていた人々の間を通って私の目の前に仁王立ちして怒鳴る。
「くぅん」
いきなりの大声に驚いて身体が無意識に動いて身を屈め耳を伏せてしまう。
鋭さを増したようなその瞳に射竦められ、また怒られるだろうかと視線を下へと落としていると頭上に影が差し。
「……」
無言で持ち上げられ、小脇に抱えられる。
「わう?」
その行動に首を傾げるが松寿丸君はこちらに視線を向けることなく歩き出した。
「松寿丸様、どちらへ?」
「詮議するべきことはもうなかろう」
慌てて声をかけてきたおじさんにすら視線を向けない松寿丸君。ツンデレっぽさに磨きがかかってるね。
小荷物のように運ばれながらすれ違う人々から、嫌に視線を向けられる気がする。
松寿丸君がそちらに視線を向けるだけで目線を一気に下に向けるとか、もしかして松寿丸君は恐怖政治でもしてるのか?
もしもそうだとしたら教育的指導が必要だ。噛むのは怪我しちゃうから犬パンチとかはどうだろう。
イメージトレーニングとして右手というか右前足を動かしてみる。
「何を暴れておる。大人しくせよ」
叱られてしまったので動きを止めて、大人しくしていると広くて立派な部屋に運ばれて畳の上に落とされた。
前足から無事に着地したので痛くはなかったが、猫ではないのでいきなり落とすのは危険だと、抗議の気持ちを込めて軽く睨めば松寿丸君の眼力に負けて視線を逸らす。
野生動物は目線を逸らしたほうが弱いらしいと聞いたことがあるが、確かに鋭い視線を向けられるのは怖い。眼で勝負が決まるのも頷けると松寿丸君の眼力の凄さに完敗である。
「何処を見ておる」
かけられた声に松寿丸君を見ると私の前に不機嫌そうに座ってこちらを見ている彼がいた。
その表情が拗ねているように思えて松寿丸君へと近づいて、彼の膝に頭を擦りつける。
私にとってはほんの少し前だったお別れでも、彼にとっては年単位での行方不明。
それも飼い犬が川に吸い込まれて消えるというトラウマ間違いなしな消え方をしたのだから、とても心配をかけてしまっただろう。
「よいかシロ、勝手に姿を消すでない」
覚えのある指よりも長くなった指が私の頭を撫で、優しい声が頭から降ってくる。
嬉しくなって眼を細めていると何故か軽くだが小突かれた。
「?」
「……返事をせぬか」
いきなり何だと松寿丸君を見上げれば私が返事をしなかったのがいけなかったらしい。
機嫌をなおしてもらうためにも、これは気合いを入れた返事をしようと意気込み。
「わかったよ!松寿丸君……あっ」
わんっ!わあぅぅっ。そう鳴くはずが口から出たのは人の言葉で私は両手で自分の口を塞ぐ。
出てしまったものを戻せるはずもないし、口を塞いだ手は肌色をしていて人の姿になっていることは明白だった。
「いや、そのね。これはね?」
身体が成長しなくとも彼は私を嫌う様子はなかったが、流石にこれはないだろう。
再会して早々のお別れフラグに意味もなく首を振るがこれで誤魔化せるはずもなく。
「妖怪であったか」
「違うっ!あのね。信じてもらえないかもしれないけど一応は神様です」
思っていたよりも冷静な様子で言われたけれど、妖怪と思われるのは神様としてはダメなので否定しておく。
「神?」
「うんうん」
片方の眉だけを器用に上げて問いかけてくる彼に頷き。
「どのような神だ?」
「ええと、太陽神」
アマテラスの力を受けて神に成ったのだから間違いじゃない。
「日輪だと?」
「うっ、うん」
そういえば松寿丸君は杉の大方殿の影響で太陽を拝んでいた。
姿を消した成長もしない怪しい犬が、実は拝んでた対象だと言われても信じてもらえないかな。
昔の人って信心深いし、神の名を騙る不届き者扱いかも……
「証は?」
「あかし?ええと、隠れてる太陽を呼べる!……かも?」
話を聞いてくれる様子に勢いよく言ったものの、まだ使っていない筆しらべだったので笑いながら最後は曖昧に言えば。
「その情けない物言いは何だ」
松寿丸君が眉を顰めて右手の人差し指と中指で私の額を押してきた。
今の幼女姿は頭が重いのでバランスを崩しやすいので止めてほしい。
「だって、神様的な力をきちんと使ったのは襖切った時だけだから」
「あれをそなたが行ったと?」
驚いた様子からして私が犯人だとは思っていなかったみたいだ。
犬が襖を切るとか想像出来ないから当然のことだけど。とはいえ、私の力を見せればすぐさま推測されることだったはずなので先に白状しておいて正解だろう。
「そうです。ごめんなさい」
松寿丸君の新しいお家だとは知らなかったとはいえ、破壊行動を行ったのは私なので土下座で謝る。
「面倒なことを」
「たぶん直せるので許してください」
「ほう……だが、まずは日輪を拝むとしよう。今朝は雲に隠れて日輪を拝めなかったのでな」
壊れた襖よりも太陽を拝むほうが先って、子どもの頃よりも太陽が好きになってない?
歩き始めた松寿丸君について行こうとして、この姿のままでついて行くのはまずいだろうと子犬の姿に戻る。
人としてはどうかと思うけど、この子犬姿のほうが何だか楽だ。
松寿丸君の後ろをついて歩いているとまた眼を見開く人とかがいたり、私と彼を交互に見る人がいて居心地が悪い。本当に恐怖政治でもしてるの?
「さぁ、力を見せてみよ」
「わんっ!」(よしっ!)
ここに現れた時に落ちた池がある庭までやってきた。
松寿丸君の言葉を合図にして、雲で太陽が隠れた空へと大きく円を画けば太陽を隠していた雲が消え晴れていく。
「何とっ!」
眼を見開き驚きの声を上げた彼は両手を広げて光合成をはじめた。ではなく、日輪を拝み始めた。
不思議な力を使う犬よりも日輪が優先ですか。そうですかっと落ち込みそうになるが、何故だか筆しらべを使用するたびに疲労していた体が回復してきた。
あれ? 松寿丸君の信仰って実はかなりすごいのではなかろうか?
「真に日輪を天に……シロ、いや神で在らせられるというのであれば尊名がおありになられるのであろうな」
太陽を拝んでいた彼が地面に両膝をつき私へと問いかけてきたが、彼の変わりようについていけない。
日輪を信仰しているからこそ太陽を見せた私の言葉を信用することにしたのかもしれないが……
存在が消えたいわけではないし、神として必要とされるのならこの世界で役に立ちたいとも思うけど松寿丸君と距離が出来るのは嫌だ。
私は彼の服の裾を噛んで軽く引っ張ってから放してからさっき連れて行かれた部屋を目指して歩き出せば、行動の意味を理解したらしい松寿丸君がついてきてくれている。
部屋に戻ってくると松寿丸君が私より出入り口に近いほうに座ったのは、上座と下座とかの関係っぽい。
襖が閉まっているのを確認してから、力を込めて人へと変わって座っている彼の前に立つ。それでやっと視線が合うとかどれだけちっちゃいのさ。今の私。
「松寿丸君、私の名前はです」
正確には前世の名前というか人としての名前だけど、アマテラスは名乗れないし新しい名前とか考えるのも面倒だし元々の名前のほうが返事がしやすい。
シロにもだいぶ馴れたので、シロと呼ばれてもごく自然に返事すると思うけどね。
「様」
「……やめて、それ」
初めて名前を呼ばれたのに少しも嬉しくはない。
「何がでしょう?」
人の姿でも残っているけもの耳が垂れてるのはわかるだろうに顔色を変えもしない。
松寿丸君には私が見た目からしても落ち込んでるとわかるだろうに。無表情で彼が何を考えてるのかわからない。
「私に様付けとかやめてほしい」
「……」
「松寿丸君が様付けとか気持ち悪いよ」
無言の彼に笑顔で言う。
「言うにことを欠いて、そのようなことを言うか」
「ごめん。でも、そのほうが松寿丸君らしくて好きだな」
不機嫌そうに文句を言う彼に笑みを深める。
「人の姿になろうとも気の抜けたところは変わらぬか」
呆れたようなその様子と言葉から馬鹿にされているような気もするが、態度が戻ってくれたほうが嬉しい。
「中身は変わんないしね。気は抜けてないけど」
事なかれ主義だと自覚はしているが、これでも色々と考えてるからね。
「抜けておるわ。神がそれでよいと思うておるのか?」
「松寿丸君が居てくれれば充分だもの」
アマテラス達と会った時は一瞬だった人の姿がこれだけ続いてるのは松寿丸君のおかげ。
消費している神としての力と同じぐらい力が回復してるのは、彼の近くに居るからで温かい何かが彼から流れ込んでくるからだ。
「我が?」
私の言葉に驚いたらしい松寿丸君の表情が可愛い。クールそうな人のこういう無防備な表情っていいね。
「成長しない子犬でも捨てないでいてくれて、人に化けるような犬の言葉にも耳を傾けてくれた。そんな君と出会えて私は幸せ者だよ」
神としての力を使いすぎると消えてしまうらしいけど、松寿丸君の傍ならそんな心配も無縁そうだしね。
「シロ」
シロと呼ばれたが、今から頼むことを考えると好都合かもしれない。
「一つお願いがあります」
「何だ?」
声が少し優しげなので私の希望が通る可能性がある意気込み。
「ご飯は人用のものを用意してください」
心底望んでいることなので正座し両手を畳について頭を下げる。
「……ここに居るつもりなのか?」
「えっ!松寿丸君は私を捨てるの?」
勢いよく顔を上げて大きな声を出した。自分から出て行ったことは棚上げしておく。
「我に飼われる気なのかと聞いておる。曲がりなりにも神なのだろう」
曲がりなりにもって彼の中で上がっていた私の地位が急降下してるみたいだ。
「神だって知る前に松寿丸君のシロだったもの。それに神でもお腹はすくし、美味しいご飯食べたいの」
お腹を両手で押さえながら訴えるように見つめる。実は外には聞こえてないだけで話し合いの間もお腹はくぅーっと鳴っていたりする。
消費した神の力は松寿丸君のおかげで回復したけど実はお腹はぺこぺこ、お腹と背中がくっつく気がするほどだ。
人の頃は一食、二食抜いてもよかったのに今ではそんなことはしたくないというか出来ない。
「神である前に我のシロか」
「んっ?何か言った」
彼が何かを呟いたが聞こえなかったのでもう一度言ってくれないかと言葉を待つ。
「……仕方のない。一度は拾うてしまったのだから面倒はみてやろう」
「おお!流石は松寿丸君」
「調子のよい。犬の頃はもう少し賢しいかと思うたのだがな」
また呆れられてしまったらしい。彼に呆れられるのが当たり前になりそうな感じだ。
でも、呆れられていようが笑っててくれるのなら悔しさで顔を歪ませているより何倍もマシ。
「何を喜んでおる」
内心の気持ちが尻尾に現れていて畳を結構な速度で叩きつけていることを疑問に思ったらしい。
「君が笑ってくれたことに」
「妙なことで喜ぶものよ」
別れた時よりも大きくなったその手が私の頭におかれる。手自体の体温は低いのに何だかとても温かくて笑みが浮ぶ。
松寿丸君は本当に大きくなったね。その成長を傍で見ていることは出来なかったけど、君が無事でいてくれたことがとても嬉しいんだよ。
そう言ってしまえばツンデレ気味な彼に何をされるのか予測がつかないので、私は黙って尻尾をぱたぱたと全力で振った。
新米神こと私、は就職しました。
朝夕のごはんとおやつに昼寝付の雨や曇が続いた時に太陽を出す簡単なお仕事です。
あと時々愛でられます。ただし、わんこの姿の時だけの限定です。