幼馴染とは


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表が何やら騒がしいと気づいたのは将来継ぐことになる親父の店の番をしていたからだ。俺は客が騒ぎに気をとられて出て行ったことをいいことに奥にいる親父へと一声かけてからその後につられるように表へと出た。
騒ぎとなってたのは三軒隣の舒家で、次女である花麗は街一番の美人と噂に名高いがこのような騒ぎとなるとは思えない。
騒いでいる者の話に耳を傾けても自分と同じように理解していないものばかりなのか要領を得ず、一体全体何があったのか注目していると覚えのある緑かかった黒髪が人垣の間から見えた。
あれは花麗の姉であるだろう。近所であり同い年ということで共に序学で学んだ幼馴染が珍しく外に出てきていることに驚いたが、彼女が出てきたぐらいでこれほどの騒ぎにはなりはしまい。
「お待ちを!」
少なくない人が居るというのにその男の声は響いた。
「通しなさい」
迷いのないその声は親父の言うところの人に命じなれた者特有の声といったところだろうか。商売柄、人の特徴などは覚えるようにしてたが声に聞き覚えはない。
俺とが同い年ということもあってか小間物屋としてよく紹介を舒家から受けるし、うちも舒家を紹介するので客層は似たようなもの何だがっと考えところで男が追っているのが自分の幼馴染のうち一人であるらしいと気づいた。
人の間を必死に通り抜けようとする小柄なその姿は追い詰められた小動物のように右往左往していて、人々が避けて通してもらえる男にすぐさま追いつかれそうだ。
美人と名高い花麗には彼女に懸想した男が強引に迫ろうとしたという逸話を幾つか知っているが、姉であるはそのような浮いた話は一つもなかった。それは彼女の容姿が花麗に劣るからというわけではなく彼女の性格のせいだろう。
容姿については確かに花麗の華やかな美貌に霞んでしまうかもしれないが、道端の隅で風に揺れている小さな花のように気づいた人の心を和ませるそんな温かなものを彼女は感じさせるように思う。
気の強い花麗とは違って何事もおっとりとした様子のは誤解されがちだが才女としても噂される花麗と同じかそれ以上の知識を持っているが、引っ込み思案な性格のために聞かれなければ人に話さないためあまり知られていない。
そんな社交的な花麗と違って家の中で過ごすことが多い幼馴染とは序学を出てから最近は会っていなかったのだが、だからこそ男に彼女が追われているという事態に俺はついていけなかった。
これが花麗であったのならば二人の間に入り、この事態の収拾を図ろうとしただろう。良くも悪くも彼女もまた幼馴染であり、花麗には用心棒代わりとでも思われていたせいで妙ないざこざにはよく巻き込まれたために小間物屋の店主としては不必要なほどに身体は鍛えている。
「通して」
珍しく焦りを感じさせる彼女の声に動き出して俺は人垣へと近づいたが時すでに遅かったようで男、珍しいことに見事な金の髪をした上質な物を着た男はのすぐ近くに立っていた。
彼女が振り返ると男は何のためらいもなく膝をついた。そして、頭を下げようとしたようだが彼の頭が下がる前に伸びた白く細い手が彼の金の髪を遠慮に鷲掴みその動きを止める。
「っ……何を」
少し離れた俺のところまで髪が無理に抜ける嫌な音が聞こえてきたことからして、かなり強くその髪を握りこんでいるようだ。
「姉さんっ!」
男の抗議の声の後にすぐさま花麗の悲鳴染みた鋭い声がへと発せられる。
花麗のその焦りにも似た表情にへと跪こうとしたこの男は実はかなりの家柄のご子息様とやらなのだろうかと考える間もなく。
「立って……台輔、私、お断りします」
が硬質的な声で金髪の男を台輔と呼び、断わりの言を述べた。
幼馴染として接してたはずの自分ですら聞いたことのないその冷たい物言いと鋭い目は花麗との血の繋がりを感じたが、彼女のその態度はよほどのことだったのだろうとは思うものの台輔、麒麟に対する態度としては絶対に考えられないものだ。
後先を考えていないのではないかと思わせるその態度は、実は花麗よりものほうが怒らせたら厄介な人間であったのかもしれないと幼馴染の新たな一面に俺は呆然と見ているだけだ。
「そうです!……恐れながら台輔。姉は王となれる人ではありません」
麒麟からの願い。そうだ。金髪の男が麒麟であるとするのであれば麒麟が頭を垂れる意味はただ一つ。
「花麗」
迷い子のように細いその声は普段よりも力ない。人前に出ることを嫌うその性質のことを思えば、王となるなどと受け入れられるものではないのだろう。
「それでも私が頭をたれるのは貴方だけだ」
強く言い切る我が国の麒麟、景麒に俺は抗議の声を上げたくなった。
は、俺の幼馴染は王となれるほどに強くはないと言い募ろうとしての家族が口々に訴える様に俺は口を紡ぐ。
幼馴染ではあっても、が家族以外に特に親しい人間が居ないとしても俺はと親しいとは言い切れないからだ。
いつも控えめに花麗の後ろで微笑んでいた、時々常識はずれな夢想を述べたりと独特な感性を持つ彼女を俺は嫌いではなかったが積極時に話しかけもしなかった。
「……私には無理です」
感情の感じられない硬い声でありながら何処か辛そうに顰められた眉に彼女の苦悩を知る。
「舒覚様、どうかお待ちを!」
王が居ないこの国のために王となるように求める景麒の姿は正しいはずだ。
「私は人なのです。台輔」
それでも、王となることの重圧に怯える年若い娘が王となることを断わることは悪いことなのだろうか。
会釈し景麒の横を通り店の奥へと姿を消したの姿は儚く見え、台輔に対したあの態度は怯えからくる自暴自棄であったんだろう。
彼女を知る俺はそう捉えたもののこの騒ぎを見ていた野次馬達の中にはの態度に好感を持つ者は少ない。
もちろん、王というものを気軽に引き受けるものでもないと好意的に言う者も居るにはいたが大半はこの国の現状を憂うのであれば王となるべきだという意見ばかりだった。
混乱している今、家族ではない俺が彼女達の家に訪ねるのは問題だろうと店番へと戻ったがその日は商売にならず、次の日からのお祭り騒ぎのような人出に訊ねることも出来なかった。
ただ俺は騒ぎが大きくなっていくのを見ていることしか出来ず、舒家の姉妹のうち姉のほうは大人しく店にもあまり出てこないという評判すら忘れたかのように彼女が王に選ばれたことだけが人々の口に上り、下手をすれば舒家の娘は街一番の美人であり、才女という花麗の評判とごちゃごちゃにして偽りの王に選ばれた舒覚という娘を作り上げていくのを傍で聞いていた。
近所であるからと俺にのことを聞いていく客に穏やかで控えめな娘だという俺が知る事実を話しても何処か不満そうにしていたり、才覚を隠していたのかと訳知り顔で頷いたりと苛立つ人間が多く顔に出そうになった俺は親父達に店番を免除された。
いざ暇が出来た時には舒家は店を閉め、心無い人間のせいで腐った卵を投げられていたり妙な貼り紙をされていたりとひどい有様だった。
俺は今近づけば王に選ばれたからと擦り寄ってきたのかと思われるのが嫌で会いにも行けず、それなのに何も出来ないという現状に苛立ち己自身の中で折り合いをつけるために舒家に貼られた心無い言葉が書かれた紙や投げつけられた物を早朝に掃除した。
全部を綺麗にすることは出来ずはしなかったが、数日続けるうちに何とか俺の中で折り合いをつけていると珍しいことに舒家から人が出てきた。
「何をしているの。俊英」
腕を組んで不機嫌そうに掃除をしてたために屈んでいた俺を見下ろしたのは久しぶりに見る幼馴染。
「花麗」
やっと日が明けた頃、そんな時間に彼女が起きているとは思っても居なかったが化粧をしているというのに隠しきれていない隈に気づいた。
今の騒ぎのせいで彼女は眠れなかったのだろう。夜は妖魔が出るから人はいなくなるとはいえど興奮した人間が何をするかはわからないことは彼女自身は身を持って知っている。
「そんなことをしてもまた貼られるんだから何の意味はないわ」
「少しでも綺麗にしておけばこの騒ぎが収まった時に楽だろ?」
「収まると思っているの?収まる時は姉さんが王となった時だけよ」
花麗の棘のある言い方に珍しさを感じて彼女をよく見るために立ち上がる。
「花麗はに王になってほしくないのか?」
「……」
俺の言葉に視線をさまよわせ、一度口を開いたのに閉じるそのいつもとは違ったその様子は花麗を小さく見せた。
そして、彼女の迷い子のようなその表情にこの騒ぎが始まった時にも思ったようにと花麗が姉妹であるのだと実感させられる。
もしかしたら普段と緊急事態のときとでは二人の反応は正反対になったりするのかもしれない。そうであるのならは王としての才はあるのではないだろうか。
「姉さんは私が居ないとダメなのよ」
子どもの頃にはよく聞いていた言葉だった。外に出た時は花麗の後ろをついて歩くに何処か嬉しそうに花麗はそう言っていた。
今は何処か苦しそうに紡ぎだされたその言葉に子どもの頃と今との違いに彼女が苦しんでいることに気がついた。
いつも自信満々で気の強い花麗、それは彼女の一面でしかなくそれを支えていたのは姉であるが居たからだ。
は花麗の言葉を否定せずに彼女のことをいつも立てていて、それはまるで花麗が姉のようにも周囲に感じさせるものだったがもしかしたら彼女は知っていたのかもしれない。
花麗が華やかに咲き誇るためにはその自信を支える者が必要であることを。
「本気でそう思ってるのか?」
不味いと口に出してすぐに思ったものの一度音にした言葉は戻らない。
「どういう意味かしら?」
眦を上げて元よりきつめの瞳をより鋭くしてこちらを睨む花麗の迫力に思わず一歩後ろへと下がる。
野郎の剣幕は花麗のお陰で何度か経験したが花麗自身にこれほど睨まれた今までの記憶にはない。
「あー、いや」
「……わかってるわよ」
「はっ?」
言葉にならないなりに言い訳を紡ごうとする俺の前で花麗は視線を地面へと向け吐き出すように言った。
「姉さんが本当は私なんて必要なかったってことぐらい。わかってたわよ」
「それはないんじゃないか?には花麗が必要だったと思う」
姉には自分が必要だと言っていた彼女が真逆のことを言い始めたので否定する。
「俊英に何がわかるのよ」
何がわかるのかと言われてしまうと何とも答えづらい。
幼馴染とはいえど姉妹の仲に割って入るものではないし、花麗はともかくとしてとは親しいとも言い難い。
花麗の後ろで穏やかに微笑む彼女をよく見はしたが直接話す機会は驚くほど少なかった。
引っ込み思案だといわれればそうかと納得するが今思えば……
「ありゃ、人嫌いもしくは人が苦手だ」
笑顔の下に感情を隠すなんてことは商売人の必須特技かもしれないが俺が今想像したとおりであるとしたら彼女のそれは筋金入りだ。
「誰のこと?」
だよ」
は変わらない。花麗ですら最近は落ち着いてきたと感じるのに初めて会った頃からの印象に今まで変化がなかった。
「姉さんが?何馬鹿なことを……」
「今思うと序学でのあいつはお前の後に着いてまわっていただろ?」
「それは姉さんに私が命じてたとでも言いたいの?」
その言葉にかつてを思い返すとそういった節もあった。花麗が気に入らない相手と仲良くしないようにと俺達に言ったことは一度や二度ではない。
そう考えると世間一般的には花麗は性格が悪い人間ということになるかも知れないが陰湿ないじめをしたりはしなかった。
少なくとも花麗は自分の親しいと感じている人間が嫌いな人間と関わらなければいいという考え方をしていたようだ。
今は大人になり親の商売を手伝うようになったからか失礼なことをされないかぎりは笑顔で接することも出来るようになったみたいだが。
「そうじゃなくてだな。あいつ、花麗以外の子どもと話したくなかったんじゃないか?」
「……姉さんは引っ込み思案だから」
「いや、引っ込み思案が台輔にあれはないだろ」
最初は追い込まれたからかと思ってはいたものの思い出せば思い出すほどあれはないよな。
「きっとあの時は動転して」
「ああ、それは俺も考えはしたんだけどな」
王を早く見つけることが出来ない麒麟だと文句を言っている街の連中も麒麟の髪を鷲掴みなどできないだろう。
それを動転していたのだとしても引っ込み思案な人間が出来るとは思えない。
「あいつ、あの時は謝らなかっただろ?」
「何を」
「それこそ動転していたのかもしれないが、あいつは王となることを断った時に一度も謝ってない」
序学では人からの頼みごとをいつも困ったような表情で引き受けるか花麗が断わるかしていた。
その時も謝罪の言葉をよく言っていた。俺達からすれば相手が無茶を言っていると思うようなことですら断る時に謝っていたのだ。
そんな彼女が王となることを断った時、間違いやら無理だとかは言っていたが謝罪はしなかった。
「あれ、かなり頭にきてたんじゃないのか?」
が怒りにあらわにした姿を見た覚えはないが赤子の頃はかんの強い子どもと言うかよく泣く赤子であったらしい。
それが花麗が生まれてからしばらくして治ったという話を聞いたことがあり、聞いた時には意外だと思ったものだが実は意外ではなかったのかもしれない。
「まさか姉さんが?」
「お前には負けるけど俺も付き合いとしては長い。そんな俺でもあれほど明確な意思表示をしたははじめて見たぞ」
今までのことはにとっては我慢できることであったが今回のことは違ったのだとすれば説明はつく。
とはいえ、それは大人しい幼馴染という俺の今までの認識を大きく壊すことになるが……
「……子どもの頃に男の子達に虫を投げつけられた時に怒ったことがあったわ。その時と少し似ていたかも」
そんなことがあったかと思い出そうとしたが思い出せないので俺は居なかったんだろうな。
ただ怒ったを見ていたら俺は彼女について長く思い違いをしなくてもよかったのではないだろうか。
引っ込み思案だからと気を使ってあまり話しかけたりしないようにしていたのは無駄だったのかもしれない。
いや、俺の思うとおりであれば人と話すことよりも家で本でも読んでいたほうが彼女は幸せだったんだろう。
「俺さ。意外とあいつが王になっても何とかなるような気がしてきた」
俺の想像とは違って本当に引っ込み思案であるのかもしれないが台輔が日参するというここ数日の騒ぎにも折れることなく頑なに断っているというのだから可能性はあると俺は思う。
彼女が今まで周囲に見せていたものすべてが嘘であったとは思わないが、花麗以上に強かに振る舞っていたのだとしたら王としても何とかなるんじゃないだろうか。
「……」
「まぁ、俺の勝手な想像だし気にするな」
俺の言葉に否定することなく考えるような様子を見せた花麗の背を軽く叩く。
「ちょっと!汚れた手で触らないで」
「おう、すまん」
すぐさま腕を払われてしまったが確かにいつも身奇麗にしている彼女には悪かったと思い謝れば。
「男のくせにすぐに謝るんじゃないわよ」
「商売人だから頭を下げるのはくせなんだろ」
何故か責められたので理不尽だと思いつつも花麗の言葉に逆らうと二倍、三倍の言葉が振ってくるので流す。
そうすると化粧は隈を隠す程度の最低限であったらしく珍しくも紅が塗られていないらしい唇を彼女は尖らせた。
元より化粧をしなくとも充分に美しいというのに普段の彼女は飾りすぎている気がしなくはない。
「お前、化粧しないほうがいいんじゃないか?」
「いきなり何よ。意味がわからないわ」
「俺もよくわからん。そう思っただけだ」
いつの間にか周囲が騒がしくなってきていることに気がついた。話しているうちに時間が経っていたようだ。
花麗に話しかけられる前に俺が片付けられる程度のものは粗方片付けていたし、この騒ぎの野次馬に見られると面倒だと花麗に背を向けて地面に置いていた道具を手早くまとめていると。
「私は王に相応しいなんて思わないわ。姉さん、隠してるけどかなりの面倒臭がりなの」
俺が返事をする前にそういい捨てるように言って花麗は店の中へと戻っていった。
彼女の言うようにが面倒臭がりであるというのならば王となることは面倒で仕方がないんだろう。
親父の小間物屋を継ぐことになっただけの俺でもかなり面倒だ。王様とやらはどれだけのものか。
「やっぱり王には向いてないな」
人間嫌いで面倒臭がりな部屋で本を読むのがお気に入りな人間が王になど向いているものか。
麒麟とやらも諦めて新しい王を選んではくれないものかなどと考えながら俺は家へと帰った。



この日から一月もしないうちに慶東国に新しき王が即位し、式典の際には新芽の如き初々しさを感じさせる若き女王であると堯天にほど近いこの街にすぐさま噂が流れてきた。
出身はこの街、舒家から出た女王だと祝辞に訪れる人々や妹である花麗との縁談を望む家から幾つか話があったという。
俺はといえばあまり話すことはなかった知っているようで知らなかった幼馴染のことを知る機会を失くし……
「俊英、黒と紺を隣りあわせで並べるなんて彩が悪いわ」
「落ち着くだろ」
家が落ち着かないからと昼間に家を逃げ出す幼馴染に避難先として俺の家が選ばれてしまった。
三軒隣なんて近場過ぎるのではないかと思うが、いつもと違って地味な装いと控えめな化粧の花麗は意外なほど気づかれない。
そんな衣装よく持っていたと聞けば姉が残していったものを着ているのだと言われた。
今までの彼女であれば姉の物であれ人のお下がりを着ることなど考えられなかったが姉が家を出たことで何かが変わった。
「地味すぎて客の目に留まらないわよ。女性向けの手鏡なのよ?赤とか別の色と並べて目を惹きなさい」
とはいえ、彼女の俺よりも口の達者なところは変わっていないようで俺の一言に二倍、三倍となって返ってくる。
本来の責任を取るべき店主であるはずの親父は彼女の役目を俺に任せて奥に引っ込んでいるしでしばらくこの生活が続きそうだ。





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