相互不理解
聖域は正式な道はほぼ一本道だ。ただし、本来の道は一本道ではなく隠されている。
どういうことなのかと外から来た人間は思うかもしれないが聖域の概念からすると女官や雑兵など下働き的な働きをする人間が十二宮を歩くのは問題があるらしい。
その解決のために少々遠回りになる別の道が用意されている。敵が攻めてきた時なんかはすぐさま閉じるルートであるその道は聖域ではごく当たり前に使われている道とのこと。
私からすればあんな階段を歩き、上司にあたる人間達に挨拶しながら上るような苦行よりは曲がりくねりながらも途中で花壇があったりとか知人に会って会話したりするだろうそっちのほうがいい。
前回来た時にはカミュが居たおかげで十二宮を通って挨拶をしつつ上ったんだけどほとんどの宮が無人で楽だった。私が訪れた時は3人しかいなかった。
牡牛座のアルデバランこと私を送り届けてくれた人なのでお久しぶりの挨拶をして、白銀聖闘士となったことを喜んでくれた。実力差はかなりあるはずなのにこれで同僚だなっとか笑顔で言ってくれた時はそのいい人っぷりに感激したものだ。
乙女座のシャカ、この人は出てこなかった。カミュにテレパシーで何か言ったらしいということだけしか知らない。魚座のアフロディーテ、美人ではあったけれどナルシストっぽくて彼の態度についていけないままにカミュに対応を任せてしまった。
つまり師に本来するべき挨拶を任せたダメ弟子という過去を持つので、アフロディーテとの挨拶を避けたくて違う通路を選んだのは間違いだった。
聖域はアテナを守るための場所なのだから門番的な存在がない道は複雑にしているあるらしい。下に行けばいいだろうという安易な考えで道を選ぶと歩けば歩くほどに道がわからなくなる。貴鬼の道案内は彼と楽しくお喋りしながらだったので道を覚えきれてなかったのも敗因か。
この背にあるパンドラボックスを背負って歩くのは重くはないけど面倒になってきたので休憩でもしようかと道からそれて木々があるほうへと歩いていく。
誰かに見咎められたら迷子になりましたって言えばきっと許してくれるよ。一応は聖闘士だし、証明はパンドラボックスで足りなかったら氷河を呼んでもらおう。
そう決めて木々の葉の青さに導かれるようにして知らぬ地を歩いていくと大きな木があり、その周囲には芝生のように草が生えていてシートも何もない状態の私にはちょうどいい休憩場所に見えた。
「ここで休憩」
でもしようと決めた時、近くの繁みが揺れた気がして視線を向ける。猫でも居たのかもしれない。
私が来たせいで場所を移動してしまったのなら悪いことをちゃった。
「私が来たことで隠れたの?」
何もしなければ出てきてくれたりしないかなっと視線を向けていたが本当にいるかどうかはわからない。
小さく揺らぐ小宇宙があるようなないような曖昧なものなのは森とか様々な動物が居るところは多い。
ここも管理はされているが充分な自然があるようなので動物が多く気配が少し読みづらくなっている。
「ここで休んでもいいかな?ちょっと疲れてしまって」
パンドラボックスを置いて草の上に横になる。長距離の瞬間移動に加えて、治療という神経を使う小宇宙を使用したせいでだいぶ疲れていたらしい。
気を張っていれば起きていられただろうけどこんな風に横になるともうダメだ。根性がないことには自他共に認める私なので目を瞑り襲ってきた睡魔に身を委ねようとした時に影が差した。
無視して寝ようかと思ったけれど気配があまり感じられないことに気がついて影の原因は何だろうと目を開けた。
横になっている私を見下ろしていたのは青年と称するにはまだ若そうな男性が居た。かなり自由にはねた髪だが不思議と彼には似合っていた。
「貴方はっ!」
カミュと同じぐらいに見える彼は端整な顔立ちだが最も目を惹いたのは麻呂眉。それで私は彼の正体を理解した。貴鬼の師匠だ!
こんな姿は失礼になるのと横たえていた身体を起こそうとすると長い指が伸ばされて私の額に人差し指と中指の二本だけで動きを封じられる。
「よい。横になっておれ。疲れておるのだろう?」
あれ?疲れてるって何で知っているのだろうと思い先ほどの言葉を聞かれていた可能性というか……
「繁みにいらっしゃったのは貴方ですか?」
「……そうだ。さすがは長く受け継ぐ者もいなかった聖衣に認められただけはある」
褒めてくれているのかもしれないが聖衣をゲットした経緯はあまり褒められたことではないので複雑な気持ちになる。
カミュにも詳しい説明が出来なかったほどの阿呆すぎる行動の結果だったからだ。
「ヒーリングを施してやろう」
「いえ、大丈夫です」
黄金聖闘士からのヒーリングとか師匠であるカミュならともかく他の人は無理だ。
「わしが疲労した身体を回復させてやろうというのだ。遠慮するな小僧」
「……お願いします」
この人、理不尽だ。私との年齢差は10もないはずなのに小僧とかってありえない。
こちらの言い分をねじ伏せるような眼光の鋭さなんて20歳やそこらでだせるような代物じゃないよ。黄金聖闘士って怖い。
身体が震えそうになるのを根性で堪えていると私にヒーリングを施すために私の頭の上の位置でしゃがみ込んだ彼の手が私の頭を持ち上げ、彼の膝の上へと下ろした。
「緊張を解け」
無茶を言わないでほしい。会ったばかりの男にいきなり膝枕、それも筋肉ばかりで柔らかくないとか拷問級だ。
中身が女だからって美形な男に膝枕されて喜ぶとか思ったら大間違いだとか言えたら楽なんだけどっと私よりも強い黄金聖闘士の言うことは我が身可愛さに深呼吸して心を落ち着かせる。
カミュとの修行のおかげで何も考えずに過ごすということが出来るようになっている。何度、辛い修行をこれで乗り切ったことか。
「目を瞑れ」
言われるがままに目を瞑ると額にかざされる手のひらから温かな小宇宙が広がるのを感じた。柔らかくそれでいながら深いその小宇宙は私の身体を包む。
これは効きそうだと思いつつも眠ってしまいそうになる。さすがに膝枕してもらったまま眠るなんてダメだろう。
「すみません。眠く……」
ヒーリングの中断を求めようと声を発した私の髪を彼の手が撫でた。
「眠れ。目が覚めた時、この出会いは夢とせよ」
「夢に?それは残念……」
優しく撫でるその仕草に彼との出会いを夢とすることが残念だと思いつつ意識がまどろんでいく。
そういえば今の私になって初の膝枕が黄金聖闘士って光栄なんだろうか? と、かなりくだらない思考を最後に意識は沈む。
目が覚めた時、私は何故だか見覚えのないベットで眠っていた。
簡素ではあるが使われている寝具自体は頑丈で良い物であるようだと考えて部屋の中を見回して誰かの私室らしいことに気付く。
何だか覚えがあるような気もすると思考をさまよわせているとドアが音もなく開き。
「起きたか。」
「カミュ?」
覚えがあるのは調度品がカミュが好むシックな色合いでシンプルでいて頑丈なものばかりだったからかと納得する。
「星矢を癒すために休憩もなくヒーリングをしたそうだな」
「……すみません」
よく無茶をするなと修行時代は注意されていたので反射的に謝った。
「それを叱っているわけではないが誰が来るともわからぬ場所で眠るのは問題だ」
「それは……」
彼がヒーリングをしたからっと言おうとしてその前にも眠りそうになっていた自分を思い出して口を紡ぐ。
ヒーリングを彼がしてくれてもいなくても結果は同じだったのだし、ヒーリングをしてくれたおかげか目覚めはばっちりだった。感謝こそすれ責任転嫁してはダメだろう。
「、貴鬼にムウのところへ行くと約束したらしいな」
「あっ……私はだいぶ寝てしまっていましたか?」
貴鬼に言われていた言葉を思い出したので頷き、石造りの建物についている木造の窓は閉められていて外は見えない。
部屋の灯りは電灯ではなくランプで寝ていたのについていたということは、もしかしたら誰かが少し前までいたのかもしれない。
「疲れていたんだ仕方がない。一度、貴鬼が訪ねてきた時にお前が疲れて眠っているのは伝えてある」
「お手数をお掛けしました」
「先程、夕飯の誘いがあったからムウのところへと行こうと思うんだが、は昼食も食べていないのだろう?」
聖域に着いたのは11時過ぎ、それから30分ほど治療してさ迷い歩いて寝たので夕飯を食べる時間だとすると4時間は寝たことになる。
貴鬼からすれば5時間以上は誘った相手が来なかったということになる。あの子には悪いことをしてしまった。
「食べてないです。朝は軽いものでしたのでお腹がすきました」
小宇宙を燃やすようなことをするとかなり燃費が悪くなるというのに疲労度のほうが優先されたらしく寝てたらしい。
久しぶりの師弟の再会が眠りこけた状態とかカミュも微妙な気持ちになったことだろう。
「お久しぶりです。師カミュ」
起き上がり軽く手で寝癖がないか確認した後にカミュへと頭を下げる。
「ああ、久しぶりだな……ムウ達を待たせている。お前の準備が出来たら行くぞ」
「はいっ!」
頭を上げるとカミュが穏やかに微笑んだ。修行時代に見たその笑顔に懐かしくなって元気な返事をしてしまった。食意地が張っているとか思われたかもとカミュのほうへと視線を向けたけれど特に気にしなかったみたいだ。
久しぶりの再開なのに変に思われたりしないしたら嫌だし気をつけないと。でも、離れていたせいかカミュは美形だったと改めて思う。
兄弟弟子達はまだ幼さが残っている顔立ちをしているけれどカミュは最初に出会った頃よりも顔のラインとかシャープになって綺麗さが増した。
カミュ自身は己の容姿など気にも留めず手入れとかしていないのだから世の中は不公平ではなかろうか。筋違いではあるけど恨み言の一つや二つは言いたくなる。
師の顔を見ていたところで準備は出来ないのでカミュに聞いて顔を洗う場所を聞いたら井戸へと案内され、聖域は水道設備がされていないと知った。
試しに飲んでみた水は美味しかったけど私は蛇口を捻れば水を飲めるほうが便利なので用事が済み次第に日本に帰国することを密やかに心に誓う。
準備が出来たので師と共に白羊宮へと向かうために階段を下へと降りて行くが他の宮の黄金聖闘士達と出会うことはないままに降りた。そういえば一度来た時も行きは出会ったけれど帰りは誰にも出会わなかったような気もする。
「カミュ、黄金聖闘士の方はどちらに?」
人に出会うことのないままに金牛宮まで抜けたところでカミュへと声をかけたのは黄金聖闘士に聞こえる可能性を少なくするためだ。そして、万が一聞かれてもいいように敬語を心掛けておく。
小宇宙を感じることに集中すればわかるかもしれないけど、聖闘士であっても戦闘時とか小宇宙を高めてない状態は普通の人とあまり変わらないからだ。
慣れ親しんだカミュ達であればそれでもそちらに居るようだと何となく理解できるけど、一度会っただけの人とかは正直なところ私にはよくわからない。
「ああ、私とムウ以外の聖域に居る黄金聖闘士達は教皇宮だ」
「教皇宮に?」
「アテナが聖域に居られるからな」
ごく当たり前のように言われたがアテナって聖域にずっと居たんじゃなかったかな。
聖域の奥に居ると教わっていたんだけど弟子育成のためにカミュは聖域から離れたところに居るとか何とか聞いた気が……
「カミュ様、!」
カミュの話がよくわからずに首を傾げていた私達を呼ぶ声があり私達はそちらへと視線を向ける。
「貴鬼」
「遅いから迎えに来ちゃったっ!……カミュ様、ようこそおいで下さりました」
私に向かって元気よく話しかけてきた貴鬼だけれどカミュには丁寧な言葉遣いを使って頭を下げた。
少し言い馴れない感じがしたけれど充分だと感じたし、黄金聖闘士に対しての敬いという形を示しているのだろう。
そう考えると私は昼間に出会った黄金聖闘士に膝枕してもらったり、ヒーリングしてもらったりと如何なものだろうか。
「、ムウ様の料理は美味しいんだよ。今日はのためにムウ様が腕を振るってくれたんだ」
「そう、それはとっても嬉しいな」
跳ねるように歩き出した貴鬼のあとをついて行きながら楽しげに話す彼の言葉に頷く。
手料理を振る舞ってくれるというのに少し違和感を感じたものの、自分の師であるカミュも普通に料理を作ることを思い出した。
聖域では男性も料理を作れるのが普通なのかもしれない。カミュも当たり前のように私達に料理を教えたぐらいだしね。
貴鬼に招かれるままに白羊宮の中へと入り、迎えてくれたのは……
「ようこそ白羊宮へ。歓迎しますよ。」
カミュよりも線の細く優美さを感じさせる美貌の貴鬼と同じく素敵な麻呂眉の持ち主。ただし、私が見た昼間の人物でないことは確実だ。
あれ?昼間の麻呂眉さんは一体全体どなた?ヒーリングしてくれたということは小宇宙を高められるはずだけど……
「どうかしましたか?」
「いえ、あの感じが似ている方をお見かけしたことがあるもので」
似ているのは主に眉ですけど。
「私に?」
「ええ」
「何処で見かけたんですか?」
「聖域で……」
そう話したところで眉をわずかに顰めた相手に気づいた。それに彼から夢とするように言われたことを思い出してしまった。
実は彼のことは口に出したらいけないことだったりするんだろうか。
「……には、いらっしゃらないはず……」
様子をうかがっていると呟きが耳に入る。いらっしゃらないはずというのはどういう意味だろうか?と、考えて聖域のことを考えて妙な想像が湧き上がる。
聖闘士となるための修行や試練で命を落とす少年達は数多いという話をカミュから聞いたことがある。ムウの表情からして似た人のことは嫌ってはいない様子ということは、昼間の彼は実は幽霊だったのかもしれない。
黄金聖闘士候補としてお互いに争って彼を殺してしまったとか……弟子同士で争わせるとは前の牡羊座の黄金聖闘士って酷い人だな。
クールになれとか言いつつ、結局のところは弟子同士の決闘をさせなかったカミュは良い師匠だ。聖闘士の試練っていう面倒臭いことをさせられたと考えていたけどアイザック達と争うよりはマシだったと思うし。
「あっ……夕食が冷めてしまいますね。折角、作ったのですから温かいうちに食べましょう」
私の言葉に考え込んでいたムウはそう言うと食事が準備されている部屋へと案内をしてくれたがそこにアイザックと氷河が居たことは驚きだった。
カミュは知っていたようだが私を驚かせるために二人共、小宇宙を出来るだけ小さくするようにしていたらしい。
そもそも私は小宇宙を普段から探るような生活はしていないというか、聖域では普通にそういうような生活しないといけない場所なら日本にすぐさま帰りたい。
これはあの星矢という少年を出来るだけ早く治癒させないといけないだろう。小宇宙探っていないといけないような危険な世界では私は生きられない。
日本に帰るまでは周囲の小宇宙に気をつけながら生活するとしようと決めつつも出来るだけ早い時期での離脱を試みることを私は心の中で誓った。
自主休憩中のとある人の視点
命を落としてから14年もの月日が経ってからの復活。否、わたしの場合は再誕か。
顔面の前に手を持ってくれば冥闘士としてハーデスに仮初に与えられた若々しい肉体と同じく18の頃の瑞々しい肌をした手や腕が視界に入る。
小宇宙で無理に肉体を生かしてた頃とは違って身体の節々が痛むことなどなく、多少の激しい動きをしても息切れずに動ける。
再びの生など望んではいなかったが若々しい身体を取り戻し心が躍るのはわたしもまた人であるということだろうが、一つ問題があった。今の私は教皇を聖域が落ち着くまでではあるが務めている。
わたしを殺して教皇としてあったサガは今はカノンと共に双子座の聖闘士としてある。アテナを私欲のために裏切った己が教皇であることを辞退し、前教皇であったわたしに教皇を戻した。
悪の心を受け入れ制御することが出来るようになったのであれば教皇を続けてもよいだろうとは思ったものの、責任感があるからこそ抑制されるだろうサガの意思を思い受け入れた。死ぬ前にわたしが教皇をアイオロスと決めたのにもそれがあったからだ。
アイオロスは教皇として在りながらも己を殺すことなく在れるだろうと……悪の心が感じられずともサガでは教皇で在ろうとするあまりサガとしての心を殺すだろうと思えば彼を教皇とすることは出来なかったのだ。
それゆえにサガが教皇職を辞し、わたしへと戻すことを受け入れた。ただし、しばらく冥界にあった己では判断がつかぬこともあるからとサガには補佐をするようにと命じ、聖域が整うように尽力しているのだが……
「無性に身体を動かしたくなるのは問題か」
若さというものか教皇として机の前に長く居ると身体を動かしたくなるのだ。
今も急ぎの仕事は一通り終わらせたものの書類はすべて終わったわけではなく聖域が滞りなく動くためには散歩などするべきではない。
聖域内であれど林のようになっている場所という人気のないところを小宇宙を抑えながら気分転換というには少々長い散歩を現在進行形でしている己が思うには説得力のないものではある。
あと僅かここで休息をとったら教皇室に戻るとしよう。それ以上はサガがわたしがいないことに焦れてしまうだろうと想像がつく。
文句があるのならば言えばよいだろうに、サガは己の中に不満を押し込める性質なのは死んでも直らなかったようでわたしの行動に何か言いたくても押し黙っているのだ。
それゆえにあまり姿を消さないようには気をつけてはいても、未だ感じる精神と肉体の差異のせいで無性に身体を動かしたくなり我慢できずに出かけてしまう。
堪え性が無くなったとは思いはするが若々しい姿で弟子と修行をする童虎が羨ましいと思うのは致し方がないのではないだろうか。
意識を思考へと彷徨わせているとかなり近くに人の気配があることに気づく、聖域であるとしてもこれほど人が近づくまで気づかぬとは気が緩んでいる証拠か。
そうは思いはしてもこれほど近くまで己に近づいてきた相手が気になり、小宇宙が近づいてくることもあってその人物が姿を現すのを待つことにするが木々の己の姿を隠す。
覚えの無い小宇宙からして教皇宮で働く者ではないのは確実だが、己に気づいて近づいてきたわけではない限りはここに来るとは同じように散歩でもしている者だろう。
木々の間から観察をしていると通路がある方向より歩いてきたパンドラボックスを担いだ少年が歩いてきた。
彼に見覚えはないが教皇宮に滞在する青銅達と同年代。青銅聖闘士かと思えば背負っているのはクレーターのパンドラボックスである。
「ここで休憩?私が来たことで隠れたの?」
白銀聖闘士かと視線を向けていると声変わりはまだなのか高めの声が彼の口から発せられ迷うことなくこちらへと視線を向けた。
それは小宇宙を抑えた状態の今の私に気づいたということであり、気配を探ることは彼は黄金聖闘士に勝るとも劣らないということだ。
確かな実力を持つ者を前にして戦いたいという思いが生まれるが私闘となるためにその気持ちを抑える。聖闘士は私欲のために力を振るってはならない。
だが、稽古という形で手合わせをするぐらいは問題はないのでわたしのことを知らぬだろう彼に申し込むのも悪くは無いかもしれん。
「ここで休んでもいいかな?ちょっと疲れてしまって」
手合わせを申し込もうかと考えていたが疲れているという相手に申し込むのは問題か。残念に思いつつも彼を見ているとパンドラボックスを下ろして地に横たわった。
いくら聖域といえど外で横たわるとは如何なものかと注意しようと彼へと近づき、見下ろせば疲労の色が確かに見て取れた。
任務がそれだけ過酷であったのかと自分が与えた聖闘士達への任務を思い返し、クレーターについては通常の任務とは別の指示を与えたことを思い出す。
「貴方はっ!」
わたしの接近に気づいたのか目を開けた少年が驚愕に目を見開いた。この反応を考えると出会ったことはないはずだが教皇だということを知っているようだ。
「よい。横になっておれ。疲れておるのだろう?」
手合わせの申し込みをしても萎縮されるだろうと彼に手合わせを申し込むことを諦め、小宇宙を高めて疲労している様子の彼にそのままで居るように指示を出す。
彼に与えた任務は日本にずっと居た彼を聖域に戻すというものだ。カミュの弟子ということもあり若いが実力はあると青銅の小僧のために治癒に優れる彼を戻すこととしたのだが、この様子からすると治療をした後のようだ。
「繁みにいらっしゃったのは貴方ですか?」
「……そうだ。さすがは長く受け継ぐ者もいなかった聖衣に認められただけはある」
疲れてはいても周囲を探り、わたしに気づいたのは褒められることではあるが、害意が感じられるからと見知らぬ人物の前で休もうとするのは如何なものか。
そうは思いはしたが青ざめたその顔色からしてそれだけ疲労を感じているのかもしれぬ。傷ついた聖闘士のために尽力した者に今回ばかり優しくしてやるのも悪くは無かろう。
ヒーリングを施そうとすると遠慮されはしたが再度言えば彼は頷いた。とはいえ、教皇であるわたしにヒーリングをされるということに緊張を解けずにおったので小宇宙を彼の物と同調させリラックスさせることとする。
同調しようとして気づいたのは彼の小宇宙が常に僅かながら揺らいでいるということだ。小宇宙の揺らぎは本来は心の動揺を示す。しかし、彼から感じられる小宇宙からは多少の緊張以外のものは感じられない。
常に揺らぎながらもその小宇宙は聖闘士だと考えたとしても奥深く人が抱えている小宇宙だと信じられぬほどだ。しかし、それほど深い小宇宙でありながら彼の小宇宙はあくまでも人としか感じないことが奇妙ですらある。
「すみません。眠く……」
ヒーリングを施しながら小宇宙を同調させることに集中しすぎたあまりに彼の小宇宙に同調しすぎて自らの意思が溶けていたようで彼の声に意識が戻った。
あまりに深く同調しすぎると危険であると知っていたというのにそれを忘れるほどに彼の小宇宙は奥深過ぎた。
アテナの持つ女神の偉大さを感じさせる小宇宙とは違うただ人の小宇宙、それが何故これほどに深いのか。
彼の小宇宙は個が曖昧になるほどに溶け合う奇妙なものであったことも、わたしが引き際を間違いそうになった要因か。
本来、そのような小宇宙では己というものを持っていないということにも繋がり、小宇宙を高めることは難しい。
彼は白銀聖闘士となるほどに小宇宙を高めることが出来、コップ座の聖衣をまとえることからして小宇宙の扱いは上手いはずだ。
「眠れ」
この奇妙な小宇宙を持つ聖闘士と会話をしてみたい気もするが今は休めることが先決だろう。
眠るように言いながら彼の額にかかった髪を払う。その柔らかな感触に髪へと手を滑らせてその行為に昔を思い出した。
教皇として忙しいがゆえにあまり共に時間を過ごせなかったがゆえに眠るムウの頭を撫でたことを。
「目が覚めた時、この出会いは夢とせよ」
懐かしい思い出に心を和ませたがだいぶ落ち着いたとはいえどまだ普段どおりとはいえない聖域において教皇がこのようなところに居るのは障りがるために忘れるように言いつければ。
「夢に?それは残念……」
眠気のためにどこかあやふやな口調でこの出会いを夢とすることを残念がる少年に笑みが漏れる。
曖昧とすら感じるほどに人の小宇宙と溶け合う小宇宙、それは彼の性質であり一種の才であるのだろう。
膝の上に感じる少年の重みにこのままにして行くのも問題かとカミュへとテレパシーを送る。
教皇である私からのテレパシーに瞬時に反応し、弟子が眠っていることを伝てから彼の頭を最後に一度撫でてから膝から下ろして立ち上がる。
彼のことは師であるカミュに任せ、サガが気を揉んで待っているだろう教皇室へと戻ることとした。