女王の剪定
私が景王として即位してから三百年近くもの月日が流れたが世界は大きな変化もなく日々は流れている。理由の一つとしてこの世界には国同士の戦争がないせいだと私は思っている。
歴史を紐解いていけば戦争によって技術革新の向上が目覚しいものになっていた前世の世界、互いの国を喰らいあうために技術を磨き、圧倒的な戦力を得ようとする。
それを私は推奨するつもりはないし私が知る元の世界とほとんど変わらないだろう蓬莱と呼ばれる世界と比べればこの世界の技術の進歩はあちらの一年はこちらの百年ぐらいだ。技術をあちらから持ち込めば定着する物もあるが大抵の場合はあちらが進みすぎているせいで定着することはない。
そもそも技術を進歩させても国が斃れた時に多くの民が亡くなることで技術を持つ者が居なくなり技術が衰退することが皆無ではないのがこの世界だ。いい加減に天は王と国をイコールにする考えを改めたらどうだろうかと思う。
「天、滅んでくれないかなぁ」
天が滅んでくれたら好き勝手出来るのに。天と一緒に滅びる可能性は考えない。だって、そうなったらそれで終わりだし今後とか関係ないし。
「……様?」
「なに?」
私の前で即位三百年を祝する目的の式典について書簡を手に話していた景麒の動きが止まり、恐る恐るというような視線を投げかけてきたので首を傾げて聞いてみた。
三百ン歳な私だが若い姿なままなので今でも違和感はないはずだというのに景麒の頬が引き攣っているように見える。
「何か恐ろしいことを仰いませんでしたか?」
「言ってないよ」
「そうですか」
疑い深くこちらを見ている彼に頷き。
「良いこと言ったと思うの。私」
「私の耳に入ったのはそうは聞こえませんでしたが?」
この世界のシステムに疑問を持っている私としては良いことを言ったと自画自賛である。
それを半身たる麒麟は納得いかない様子なので私は彼から視線を逸らして呟いた。
「天、滅んじゃえ」
「主上っ!」
予想通りというか何と言うか景麒は声を大きくして私を呼んだが感情がたかぶっているのか続く言葉がない。
「ケーキってば感情が高ぶると私のことを主上って呼ぶよね」
逆に私は思考が冷めてる時に景麒と無意識に呼ぶことが多い。あとは真面目な話の時とかは意識して字は呼ばない。
ケーキと呼ぶ時は緊張状態でないという一種のパラメーターみたいなもんではないかと思う。
「そんなことはどうでもよいのです。何ということを仰るのですか」
「えー」
半身として景麒の癖を理解した報告であるというのに冷たい限りだ。私は抗議の声を発した後に机に突っ伏した。
「えーではありません。どうして天に対してそのようなことをことあるごとにそのようなことを仰るのですか」
少し前まではこのような態度をとれば注意をされた気がするが近頃はようやく景麒も諦めたらしいというか自分と使令の前だけなら問題ないと認識しなおしたと言えばいいだろう。
もちろん私も官吏の前でこのようなだらけた姿を見せる気はない。王という存在は良くも悪くも威厳というものが必要だからだ。
これが元々から王族とかであれば私の今のような態度は愛嬌とすませられるかもしれないけど元の意識が庶民な私は長く王をしていても根本は変わらないのかあまり威厳があるようには思えず、取り繕い方だけが磨かれていく感じだ。
私付きの女官に思っていたのとは違ったというようなことを私の印象を尋ねた時にそう答えられることが多いので、身近で私に接するよりも一歩離れたところで私を見ているほうが威厳がある王だと勘違いしてくれるだろうからその人のためにはいいかもしれない。
「思うことは自由だと思うの」
突っ伏していた顔を上げて景麒を見上げれば、金色の髪が彼が首を振るたびに揺れ。
「そのように真面目な顔をされとも納得するわけにはいきません。様、三百年近くも王として在られるのに天の選択が未だご不満ですか?」
「三百年も経ってるからこそよけいにそうなるんじゃない?」
王様稼業は当初よりも嫌ではないが出来るならば王となりたくなかったという考えは変わっていない。私は自分の寿命、前世で80年程度と認識しているのでそれぐらいになるまでは必死に王様稼業に精を出した。
それが過ぎた後は私の中では長い余生ということで徐々に政務を官吏達に任せるようにし、私がのんびりできる体制を整えたがこの時期の王達がやる気が削がれることになるのも解らないではないと思うことがある。
一度整えてしまえば大きな変動など重要な官吏が引退したり、失脚するようなことをしでかさない限りはほぼ変わらない仕事を繰り返すだけになるので長年繰り返すと飽きる。
「それはどういうことでしょうか?」
「私が王として存在できるような天の采配って信用出来ないってこと」
少なくとも私は飽きているが自分で滅ぼすのも今のところ面倒なのでまさに惰性で王様してる。
王というのは何よりも中身というか心意気が大切な気がするのに最初から我が身可愛さな人間を選んでる時点でもう笑うしかない。
「何を仰られるのですか!貴方は王として慶の国を豊かにし、民の生活の安寧を充分に守っていらっしゃいます」
「……褒めてくれてありがと、ケーキ。でもさ。今のこの国は私が居なくてもいいぐらいだけどね」
王の政務にそれほど熱心というわけだはないし、かなり手を抜いているはずなのに国は徐々にだけれど今も豊かになっている。
政務を投げ出しているわけではないし国も傾いていないから手を抜いても景麒は病まないのだろうか? 半身に病んで欲しいわけではないが納得は出来ない。
「様?まさか……」
言いよどんだ景麒に片手を軽く振りその考えは違っていると示し。
「ああ、別に斃れる気は今のところないよ。ただ王の役目は始めと終わりだけなんだと近頃は思うんだよね」
「始めと終わり?」
「そう即位が始まりで後は終わりに続くための惰性だよ。言い方は悪いけどね」
「……」
不愉快そうに眉を寄せる景麒に気付いたが見なかったことにして机のうえに片頬をつけて机の冷たさに目を瞑る。
「惰性の間にどうするかで終わりがいつなのか決まる。私の場合は官吏が優秀だったお陰でもうしばらく続きそうだ」
「その官吏を選んだのは貴方です」
「国の始まりのためにね。その後は選んだ官吏が働いているか見ているだけでよかったから今思えば楽だった」
「貴方は国のために色々とお考えになられて……」
「私がこの国のために色々と考えたのは即位してから百年ぐらいまでだよ。後のものは私が言いたいこと言ってただけ」
常と変わらぬ冷静そうな淡々とした口調だが必死に私は王として政務をしていると訴える己の半身を見て笑えてきた。
ふっ、ふふふ……などと自分でもちょっとばかり怖いような気がする含み笑いが私の口から漏れている。
「主上?」
不安そうなケーキ、私の麒麟。即位してからもずっと王であることよりも人であることを望んでいたと言う私に怯えている。
それを解ってはいても私にとってのアイデンティティとでも言えばいいのかその考えを私は改める気はない。ひどい半身だと己自身を笑った。
「今の慶には優秀な官吏が多いね。私の話しを訊き内容を吟味し国のためになるように直すんだからさ。私の意見に流されるままだったら国はもう斃れてたよ」
「官吏が話のままに流されていたらどうなさいましたか?」
「そのまま通したよ。言いだしっぺだもの」
立案をしておいて問題点を自分で指摘するってかなり恥ずかしい気がするんだけど。
「国が斃れてしまうかもしれないのに?」
「民の代表でもある官吏が選んだのなら仕方ないんじゃない?」
教育するためにわざと小さなミスをそのまま通すことは何度かしたが私が話すままであれば小さなミスなどと言えない立案をした。
判りづらいだろうかと考えていたその穴に気付いた慶の官吏は優秀だと自国の官吏達を誇る気持ちに偽りはない。
「官吏の不正を貴方はお見逃しになられないのに」
「それとこれとは私の中では別。未来の選択を私は官吏達に任せてはいるけど気に入らない人間には選んで欲しくない。この国の中心となる官吏を選んだのは私だし目指す国の方向を私は見せた。そう思ったから国を任せて私は半隠居を決め込んだの……まぁ、言うなれば国は木みたいな感じかな?私は剪定する人で官吏は枝、自然のままに伸びさせるほうがいいと放置してるけど気に入らないところから伸びた枝は切っちゃってるだけ」
仙籍に入ろうとも人は人。正邪あわせ持つ存在であり、常に正しいことだけが出来るわけではないし国の管理とし時には汚い仕事もしなくてはいけない。
個人の考えはどうあれ国に必要であればそれが出来ると思った人間を私はこの国の内政に深く携わる者として選んだ。国の要職というものは不正が近寄ってきやすく、同時に国の在り方というものに疑問を感じる立場だとも思う。
外と内から常に自らを律しなければならないその役割をすべての人間が真っ当出来るはずはない。不正を行ったものには厳正な処罰を、国に疑問を懐き官吏たることを辞める者にはそれまでの働きに応じた褒美と共に送り出したのはもう全てを覚えてないほどだ。
「そのようなことを私には何も仰られずにお決めになられたんですか?」
「言ったよ」
「嘘を仰らないで頂きたい。私は聞いておりません」
きっぱりと言い切る景麒に私は肩を竦め。
「言ったってば。これからはのんびりしてもいい?って言ったらケーキは反対しなかったよ」
「その時のことは思い出せませんが半隠居を決め込んでいるなどと知らなかったからです」
それはそうだろう。在位百年頃に勝手にした私の決意は権利ということで誰にも相談なく勝手に決めたからだ。
「意味をきかなかったケーキが悪いと思うの」
説明を求められればあの時、話すつもりであったし二百年経ってしまっているが今話しているのだから聞かなかったほうが悪い。
「……清々しいほどの責任転換ぶりですね」
「ありがと」
「……」
褒めてないと言いたげに睨むその様子に私は笑い声を上げた後に立ち上がる。こんな風に言い合えることこそがこの国が平和だという証だ。
慶の民が笑い暮らし、官吏達が国を維持できていることは私にとって嬉しいことだ。その嬉しさは私の飽いた気持ちを埋めてくれるから滅びを私は望まない。
「お茶にしよっ!今日は蓬莱のお菓子なんだ」
「ケーキですね」
「そっ!牛乳使ってないしケーキが食べられるケーキだよ」
蓬莱のお菓子、特にケーキの時はなるべく彼と食べるようにしていたらケーキの時は誘われるという認識が出来ているらしい。
最初、牛乳はダメだと聞いたときは驚いた。卵はいいのに……ケーキの言い分としては牛乳は血に近い感じがするが卵はそんなことはないらしい。
この世界の卵が孵化することがないからかとも思ったけどそれなら卵を産む必要性は感じないので実はこの世界も大昔は蓬莱と同じような仕組みでなりたっていたのかもしれないと想像したけど、そこから変更した理由が浮かばなかったので天帝は意味不明の思考回路をしているということで脳内納得しておいた。
「私のためにそのような気遣いをして下さるのならば字を変えて頂きたいのですが?」
「無理」
彼の言葉に考えることもなく即答する。
「一考はして頂きたい」
「もう三百年近くその字なんだし諦めればいいのに」
一度も私は彼の字を変えようとしたことはないというのにケーキはケーキであることに未だ不服を示す。
諦めが悪いと思うのは私だけではないはずだ。とはいえ、今更諦められても物足りなさを感じるかもしれないという思いはある。
「ケーキを様が広められなければ私も諦めがついたことでしょう」
私が人前で字を呼ぶたびに恥ずかしそうにしていたのはケーキが広まったからか。
蓬莱の料理、特に甘味を食べたかった私は即位して国が安定してからあちらの甘味の製法を調べたりしたあちの一つであるケーキ。それを彼の字にしたという事実は金波宮に勤める者達にとっては周知の事実だ。
彼をケーキと呼ぶと時々、俯いて肩を震わせる官吏が居るのでそれがケーキの不満なんだろうと理解はしたが変更する予定は今後もない。
「自国の麒麟の字について知識を深めるのはいいことだよ」
「官吏に私の字をつけた理由を人当たりよくなるようになどと真顔で仰ったのはどなたですか?」
「甘くて口当たりよいケーキの良さを見習ってほしくて」
当てこすりをしたつもりかもしれないが事実なので気にせず笑顔で言い切った。
悪びれた様子もない私が不満を感じたらしい様子にこのままだとお茶の時間が無くなってしまうと立ち上がり。
「……」
「拗ねてないでケーキ食べに行くよ。ケーキ」
私の麒麟の手から書簡を取り上げて机上に置き、彼の手を強引に掴んで手を繋ぎると引っ張って部屋を出る。
ここに持って来させることは可能だけれど今日はいい天気なのだから庭の東屋で食べれば良い気分で過ごせるはずだ。
ご機嫌な王様とご機嫌斜めな麒麟一匹で足して二で割ればちょうど普通ということで今日も慶東国は平和です。