夢現
序章
人生なんて面白いものはことと悟った。私は大学生で大人に言わせればまだ若いと言われる年だ。でも先が見えてしまった。
最終学年となる来年は卒業論文に追われ、無事に卒業したとしても就職して人に使われる日々が続く、それが嫌だというわけじゃない。
人に使われたくないというプライドがあるわけじゃないし仕方ないことだと思う。そう思う自分がいるからこそ人生なんて面白いことはないと悟った。
これでも昔は夢があった。純粋な気持ちで憧れるだけで可能かどうかなんて考えなかった。
何時からだろう?計算するようになったのは……可能か不可能かで判断するようになったのは何時からだろう?
記憶になんてない。いつの間にか私は夢を見ることを諦めて現実を見るようになっただけだ。
そのことに後悔なんてない。後悔するほど私は純粋な自分を愛してはいなかった…――
ただ流される日々にどっぷりと漬かりきった頃、私は夢を見るようになった。
最初は視界は全て白で何も見えず次にその白い世界に風が吹き風は香りを運んできて、
夢は眠るたびに感じられるもの見えるものを増やしていき私は流れ落ちる水の音を聞き、
いつの間にか私は木々に囲まれ滝の前に立ち水飛沫によって霞むその場所は何処か神秘的で美しい。
『吾子』
美しいその風景に見とれていた私は誰かの声を聞く。
『愛しい吾子』
見知らぬ男性の声は誰かに呼びかけている。私はその声に聞き覚えはないはずなのにその呼びかけているのが自分のような気がした。
吾子と優しく呼びかけるその声は無上の愛情が込められ、その声を聞いているだけで私は幸せな気持ちに包まれる。
その幸せの気持ちを抱いたまま私は夢から覚め、頬に流れる涙で夢を見ながら泣いていることに気付く。その優しい夢は私の救いだった。
時折、見ていた夢は近頃は頻繁に見るようになり、私はその頃になると不安感も感じ出していた。
夢が優しければ優しいほど、私は現実を嫌っているのではないかという考えが浮かんだ。
いつか私は夢に溺れ、現実を見なくなるのではないかという怯えは物事への積極性として現れた。
現実が充実していれば夢は見なくなると信じて……。
勉強に励んだ。成績が上がった。サークル活動に励んだ。顧問に褒められた。
休日にはボランティア活動も行なった。人の輪が広がった。良い事尽くめのはずだった。
「ほんと、最悪」
なのに今の私は腹からナイフを生やしてる。ううん、生やしているのではなく刺されたんだ。
「君が、君が悪いんだ。僕という恋人がいながら他の人間と親しくして」
男の声が聞こえる。同じ大学の、確か講義が一緒だった。
この男と話した事なんてそんなになく、知人とすら思えないそんな関係の男。
ボランティア活動からの帰り道、自宅まで5分も掛からないところで刺されてしまった。
街灯が届かない薄暗い道で、私は何とも思っていなかった人間に殺されそうになっている。
「ふざけないでよ……」
今時、流行のストーカーか。そんなものが自分に居たのも驚きだ。
「ふっ、ふざけてなんかっ!僕は……僕が君のことを一番解って」
何が解っているだ。解っているんだったらこんなことはしない。
私は現実に、此処にしがみ付こうと一生懸命だった。
少しでも此処に居ようと頑張っていたのに、それをアンタは終わらせる。
「アンタが、アンタが……一番、私を…解ってない」
男を睨みつければ、男は奇妙な叫び声を上げてナイフを私から引き抜いた。
あぁ、ヤバイ。こういう時は傷口から下手にナイフを取ったらダメなんだっけ?
そんな事を考えながら私は男の持つ赤く濡れたナイフが自分にまた振り下ろされるのを視界の隅に認めた。
『吾子』
酷く優しい声。そして、悲しみを堪えている声だ。
この声に悲しみが宿っていたのだと、私はやっと気付く事が出来た。
だから、私はあの幸せな夢を見て泣いたのか。
『生を望むか?』
声の主が私に問う。
「生きたい」
生きることの意味を見つけようとしていた矢先だった。
誰かの役に立つことの喜びを感じ、人と人との繋がりの大切さが解ったのに。
『己が生きた世界を捨てることになってもか?』
此処で終わってしまうなんて嫌だ。それに何より……。
「死にたくない」
死は恐い。全てが無くなってしまいそうで恐い。
私という存在が無くなることがこんなにも恐い事だと死に掛けて解る。
まだ、まだ心の準備が出来ていない。だから…――