何となく
城の廊下を少し小走りとなって歩く。
昨日は久しぶりの休暇で市を見にいった。
その時に見つけた短剣の優美さを漂わせる柄の紋様、その刃は曇りなく澄んでいて美しかった。
その短剣に一目惚れをした私はその場で即購入したが短剣一つにしてはやや値は張った。けど、それだけの価値があると私は思う。
この見事な短剣を尚香様に差し上げればどのような反応をしてくださるか。きっと、喜んでくださるだろうと想像すれば口元が綻んでしまう。
「………」
尚香様のことを考えながら歩いていると背後から低い男の声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。
だけど、これほどに近くで聞いた事はないほどに近く背後から聞こえた。
「……っ」
咄嗟に振り返る。
最初に瞳に入ったのは黒い鎧。
「…………」
恐る恐ると視線を上にあげると予想通りのいつも無表情な人物の顔。
整った顔立ちだというのにこう無表情では人生、損しているのではないだろうか?と、尚香様と私が会話したしたのはいつの日だったか。
彼を女官達が少し怖がっているという事を彼自身が自覚していらっしゃるのかは知らないが、笑顔の一つでも見せれば彼女達の心証も変わることだろうに勿体無い。
「しゅ、周泰殿」
身長差の為にあまりに近い相手の顔を見る為には首がつらく。一歩、二歩と後ろに退くと少し首が楽になった。
「…………」
無言で此方を見る彼は私が名前を呼んだので続く言葉でも待っているのだろうか?でも、私の名を呼んだのは相手なのだけれど。
「あの、私は不意に近くで話しかけられるのは苦手なので次回はもう少し近づく前にお声をおかけ下さい」
大体の人はそうだと思うけど、背後からなら尚更。
もちろん、彼が此処まで近づくまでに気づかなかった私も情けないのは解っている。
「……そうか…」
何を思っているのかいないのか判断できない調子で頷かれてしまった。
「あの、私に話しかけた用件は?」
確か私は名を呼ばれたはずだもの。
「…………」
「……あの?」
しばらく待ってみたが相手からの返答は無い。よくわからないが彼は悩んでいる?
この人に限って何となく声をかけたというのは無さそうなのだけれど。
「……特に用は…無い…」
無さそうだというのが時には真実なのだから世の中は恐ろしい。
「はぁ、何となくということですね」
「……そうだ…」
そうだって貴方。そんな真顔で頷かないで下さい。と、心の中での抗議する。
「周泰殿が何と無くで人に声をかけるとは思っていませんでした」
微かに首を傾げる。見上げる先の相手の顔に始めて、何某かの表情が浮ぶ。
「何となくでも……誰でも良いと……いうわけでは…ない…」
何を言われたのだろう。
「………お前だからだ……」
言葉の意味は……
「……ではな……」
そう言って踵を返して行ってしまう彼の後姿を呆然と見送る事しか出来ない私。
やっと、私が思考を取り戻して言葉を話せるようになった時にはかなり離れていた。
「もう……周泰殿、不意打ちすぎです」
あの無口な彼がこんな事を言うとは赤くなってしまった頬を覆ってしばらく廊下にたたずんでしまう。
まず第一にこれから会う尚香様にバレないようにしないと気の良いが人をからかうのが好きな姫様。
この事を知ったらしばらくはからかいのタネにされてしまう。
困ったと思いながらも先程の周泰殿の言葉の意味を本人から聞きだそうと決心する。
だって彼の言葉は肝心な所が抜けているのだから、どうして『私』ならば話しかけたのかが……。
それを聞き出さない限りはしばらく気になって満足に眠れそうに無いもの。